都市部で道行く母親に声をかければ、その数だけ「保活」の苦労話を聞けるだろう。保活とは、保育園へ入れるための保護者の活動を指す。当たり前のように存在してきた問題にもかかわらず、その詳細は意外に知られていない。
「子どもを預けられるならどこでもいい、というわけではないんです。認可保育所は一定の基準をクリアしている。だからこそ、そこに入れたいんです」
待機児童が日本一多い東京・世田谷区で『世田谷保育親の会』の運営にボランティアでかかわる夏木礼子さん(46=仮名)は、母親たちの思いをこう代弁する。
子どもに安心で良質な保育を受けさせたい、それが親心というもの。認可保育所なら、建築基準法等の関係法令の定めに従うほか、採光、換気、危険防止にも十分に注意を払った運営が求められるなど、自治体ごとに基準が定められており、保育の質が担保されている。さらに公的資金補助があるため、保育料も安価な金額ですむ。だからこそ認可保育所の倍率は上がる。
待機児童も保活も、今に始まった話ではない。『保育園落ちた日本死ね!!!』のブログをきっかけに、保育をめぐるさまざまな問題に注目が集まるようになったが、
「これまで保活の問題は可視化されませんでした。働きながら子育てをしていれば、常に走り続けているような状態。声を上げ続ける余裕はない。何とか入れてしまえば、今度は仕事と子育ての両立で忙しい。だから政治にも反映されてこなかった」(夏木さん)
どれだけ保活が過酷か。なんとか長子を認可保育所に入れることができた世田谷区の天野香織さん(44=仮名)は、駆けずり回った記憶を思い起こし、何度か声を詰まらせた。
「育児のためにお休みしているのに、保活に苦しんで子どもにあたってしまうことがありましたね。“何をしているんだろう”って」
'14年1月に出産した天野さんは、食品メーカーのマーケティング部の部長代理。20年働いた会社を辞めることは考えなかった。
「周りから“都内の保育園探しは大変だよ”と聞いてはいたけれど、この苦労はやってみた人にしかわからないと思う」
天野さんが保育園の情報を集め始めたのは、妊娠中から。実際に行動しだしたのは、子どもが生まれ半年ほどたった'14年の夏だ。
そのころ港区に住んでいた天野さんは、半年後に世田谷区に引っ越す予定があったため、土地勘のない世田谷区で保育園をめぐり歩いた。
「真夏に生後半年の子どもを連れて、ベビーカーで。園に時間や日を指定されるので1日1園しか回れないんです。6月に電話をして、10月に来てください、と言われたこともありました」
リストアップした園は都道府県知事の認可を受けた認可保育所が10、それよりやや基準がゆるい都独自の認証保育所と、国の認可を受けていない認可外保育所が8。すべて回った。保活用のノートを作り、一覧化して情報収集にあたった。
「ほかの人よりポイントを多く得るために、復職を1か月早めました。それで1ポイントもらえるんです」
多くの自治体が“保育利用調整基準”といわれる、このポイント制度を採用している。獲得したポイント数の順に入所の優先順位がつけられ、さまざまな条件でポイントが増減するのだ。
例えば、世田谷区の場合、認可外保育施設に有償で預けている場合は6ポイント。4月入所の予定で親が1月から働いていれば3ポイント、2月から働いていれば2ポイント。親の就労実績が1年以上の場合は2ポイント……といった具合。
週5日・40時間以上の就労を常態とする人には、50ポイントが与えられる。夫婦共働きの場合、合算すると100ポイントになる。ポイント表とにらめっこしながら「どう1ポイントでも多く獲得するか」を考える。それが保活なのだ。
天野さんの体験はすさまじい。真夏に保活を行った世田谷区の無認可保育所から、「10月に空きが出る」という連絡をもらった。
まだ世田谷区に引っ越してはいなかったものの、空きを確保するために10月から12月まで、通わない保育所に約10万円の保育料を支払い続けた。そうしなければ復職が難しいからだ。
さらに慣らし保育も兼ねて、当時住んでいた港区の認可外保育所へ11月から預け、12月までの2か月間通わせた。かかった保育料は月約10万円。
こうしておよそ50万円が保育料で消えた。すべて「認可保育所に入るため」の出費だった。前出の夏木さんも7年前に保活をしているが、今と似た状況だったと振り返る。
「しかも、うちの子は12月中旬生まれで大変でした」
保育所の入所は4月。募集は、その前年の12月に締め切る。夏木さんが申し込んだ世田谷区は12月上旬締め切りだった。
12月中旬生まれの子どもということは、1年後の12月には1歳。しかし、1歳児が認可保育所に入所できる枠は0歳児より減り、落選率が上がる。なぜか。すでに入所ずみの0歳児は、1歳になっても、ほとんどがそのまま残る。すると1歳から入所できる子どもの枠は、せいぜい1人か2人程度にしかならない。
夏木さんは12月の出産直後、2次募集に申し込みをした。復職するには、0歳の4月から入所させるしかなかった。
出産直後で身体じゅうが痛むなか、保活をスタート。認可園に入れないことを考え、通える範囲の認可外保育所を、授乳とオムツ交換の時間を気にしながら回った。
ひと駅先、ふた駅先……とだんだん範囲が広がっていく。妥協しなければ入れる保育園はなかった。
「入れることに集中してしまうと、通園には現実的ではない保育園まで何とかなるかも、って思っちゃう」
4月1日に会社に戻ると人事に告げていたが、認可保育所の2次募集にも落選、3月時点で預け先が決まらなかった。3月になると連日、人事から電話がかかってきた。復職の10日前に、民間の保育室から「転勤で子どもが1人退園するので入園できます」という連絡があり、バスで通園する場所ではあったがラッキーだと思い、夏木さんは迷わず入室を決めた。
「出産の日程は選べないのに、生まれ月によって入園の可能性が変わってしまうのは不公平ですよね」
埼玉県朝霞市に住む製造業の斎藤洋子さん(37=仮名)は「これからが不安です」とこぼす。5年前に保活で苦労した。その子どもも今年、小学生になった。
「保活をクリアしても今度は学童問題があります。母親にとって、小学校のほうが働きにくいかもしれない」
斎藤さんの会社は、子どもが病気のときの有休休暇が小学生に上がると取得できなくなる。時短勤務もなくなり、残業規制も消える。
保育園は台風でも大雪でもやってくれていたが、小学校は休みになることもあり、学級閉鎖もある。そもそも保育園より登校時間が遅く、出勤に間に合わない。
「学童は8時から、私の仕事も8時から。その時点で遅刻です」
斎藤さんは苦笑いする。5年生になると放課後児童クラブ(学童保育)の枠からはずれ、利用不能に。
「定期を買い与えて、数駅先の実家に電車で帰ってもらうしかないかな……なんて思っていますよ」
壮絶な保活を乗り越えてもまだ続く子育てと仕事の両立問題。「女性の活躍」というならば、子育てをしながら働く環境を早急に整えるべきではないか。
取材・文/吉田千亜