戦国時代きっての戦略家・真田信繁(幸村)のドラマチックな生涯を描くNHKの大河ドラマ『真田丸』。高視聴率をたたき出しているこの話題作をきっかけに、戦国時代に改めて興味をもったという人も多いのでは。
いまから400年前に生きた戦国武将たちはどんな暮らしぶりだったのか。とくに、戦いに明け暮れる強靭な精神と肉体は、どんな食事によって支えられていたのか。興味深いエピソードを紹介。
・意外と質素な戦国武将の食事
よく“腹が減っては戦ができぬ”というが、戦国時代の食事はどうだったのだろう。食事は、朝夕の1日2食。主食は玄米で、朝夕2合5勺ずつ、つまり1日5合の玄米を食べた。これを炊くと茶碗で大盛り10杯になる。
栄養満点の玄米を食べて、戦国武将は活力を得ていたのだ。味噌汁の味噌は、大豆味噌でなく、ぬか味噌が一般的だった。大豆は軍馬の飼料として貴重だったため、そう簡単に手に入れることができなかったのだ。
副食は、野菜の煮物、納豆、かまぼこ、海苔、漬物、梅干し。何よりのご馳走が魚や野鳥。上級武士の間では宣教師の影響でウサギやイノシシ、など獣肉も食べられていた。
・信長が怒りっぽいのは塩分のとりすぎのせい?
「桶狭間の戦い」に出陣する前に、立ったまま「湯漬け」をかき込み出陣していった信長。何事にも気が短く、合理主義者の信長は、大の「湯漬け」好きだった。「湯漬け」と一緒に食べるのが、「焼き味噌」。尾張の味噌は米麹を使わない大豆100%の豆味噌なので、ほかの味噌と違って大豆の成分が濃厚に含まれている。
大豆は脳の集中力を高めるレシチンが豊富。信長の類いまれな頭脳は、この大豆で養われたのかも。薄味の公家風高級味つけより、田舎料理の濃い味を愛した信長。現代では、1日5グラムと言われる塩分を、信長は50グラムもとっていたとか。
・秀吉は虎肉を食べて絶倫ぶりを発揮?
幼少期に貧しかった秀吉の好んだ食事は「麦飯」。そのころ食べた大根とゴボウの味が忘れられず、生まれ故郷の尾張国中村の年貢を免除するかわりに、年頭の祝いとしてこの2品を献上するよう命じたという。また晩年好んで食べたのが、米を小さくかき割って作る「割粥」。胃にもたれず消化によく美味なのだとか。
そして諸候の姫たち300人を側室にしたといわれる秀吉が、朝鮮半島から取り寄せていた精力剤がなんと虎肉。朝鮮出兵の際、武将たちに「皮はいらない。虎の頭肉と腸の塩漬けを送れ」と命じた。加藤清正も秀吉に送るために「虎退治」に励んだといわれる。
・家康の長寿の秘訣は食生活にあり
家康は徳川15代の将軍の中でも最も長生き(75歳)をしたが、その理由は食生活にある。日ごろは「麦飯」を好み、焼き味噌とナスの漬物があればご馳走だった。野菜や山菜、魚、果物など旬のものを好み、季節はずれのものには手を出さなかった。
旬のものには、長生きに欠かせないビタミンCと酵素がたっぷりと含まれている。さらに鷹狩りを愛した家康は、長生きに欠かせない動物性タンパク質もしっかりとっていたと言われている。
・戦国武将のご長寿ベスト5
10代、20代で命を落とすことは珍しくなかった戦国時代の武将たち。しかし、戦火をくぐり抜けて天寿を全うした武将もいる。その中でもトップは北条早雲の三男で箱根権現社の別当を務めた北条幻庵、97歳。北条早雲も88歳で5位と、親子ともども長命を保った。
2位の龍造寺家兼は、宿敵を倒し龍造寺家を再興させた翌年に93歳で亡くなった豪傑である。3位は家康の息子で“鬼っ子”と呼ばれた松平忠輝の91歳。4位は、真田信繁の兄で真田家を江戸時代に生きながらせた真田信幸の91歳。長寿の天下人、家康でも75歳と、30位に入れるかどうかだ。
・戦国武将の酒飲み番付
戦国武将きっての酒豪と言えば上杉謙信。合戦においても馬に乗ってドンブリ並みの馬上杯をあおった。酒の肴は決まって梅干し。鯨飲と梅干しの塩分がたたったのか49歳のとき、脳卒中で世を去った。
また、秀吉の家臣団の中でも武闘派といわれる加藤清正も酒豪のひとり。酔っ払いのことを“トラ”というが、これは清正の幼名“虎之助”にちなんだと言われている。
信長は大酒飲みではないが、酒盛りが好きで重臣たちを集めて夜通し飲むこともあった。その席で、酒が嫌いな光秀によくからんだ。陽気な席で酒をまずそうに飲む光秀が気に入らなかったのが、2人の亀裂の原因かも!?
イラスト/高木一夫
参考資料/『戦国武将ものしり事典』(奈良本辰也監修/主婦と生活社)、『本能寺の変四二七年目の真実』(明智憲三郎著/プレジデント社)、『秀頼脱出』(前川和彦著/国書刊行会)、『家康は関ヶ原で死んでいた』(島右近著/竹書房新書)