東京・八王子。JR八王子駅から徒歩5分に位置する公共施設の一室に、『八王子つばめ塾』八王子駅前教室はある。一見、個別指導の学習塾と何ら変わらないが、つばめ塾に学費は発生しない。
家計困難の子どもを対象に無料または数百円で食事を提供する『子ども食堂』が全国各地で有志によって運営されているが、“無料塾”も数を増やしている。講師も全員が無償奉仕だ。
「つばめ塾は2012年9月に、講師は私1人、生徒は国分寺の無料塾から紹介してもらった男子中学生1人で始まりました」
小宮位之(たかゆき)理事長(38)が塾の立ち上げをそう明かす。
「1年目は約20人だった生徒数は、翌年50人、翌々年に100人に増えました。現在は約75人。小学生4人、高校生8人、残りが中学生。男女比は半々くらい」
入塾希望者は、月に3、4人ほど。4、5月は多くて、2か月で10数人いたという。
「つばめ塾のことをネット検索で知った方が半分、残りの半分は口コミです。職場のシングルマザー同士のコミュニティーや同じ学校のママ友などから存在を知って申し込まれることも多いです」
■父親の収入がバイト程度の家庭も
無料塾に生徒が集まる。その背景には、日本が格差社会のぬかるみにどっぷりつかり貧困世帯の増加が止まらない現実が横たわっている。日本における17歳以下の子どもの貧困率は、'12年時点で16.3%。6人に1人が貧困に喘いでいるという。
内閣府の子ども・若者白書('14年版)は「大人1人で子どもを養育している家庭が特に経済的に困窮している」と指摘。事実、大人が1人の世帯では、相対的貧困率が5割を超えている。母子世帯の年間就労収入は200万円未満が全体の64%を占める。
「塾生の家庭環境は母子家庭と、共働きでお子さんが3人以上の多子世帯が半々くらい。共働き家庭でも、きょうだいが多いと全員を有料塾に通わせるのは困難でしょう。最近多いのがリストラ系で、父親がバイト程度の収入しか得られない家庭などです」
日本社会の問題点が塾に反映されていることを、小宮理事長は裏づける。
つばめ塾に通う中学2年の園田大志くん(仮名・13)は「5人きょうだいの一番下」という家庭環境で育った。
「お兄ちゃんが通っていて、入ろうと思ったきっかけは親に言われたから。水曜日に英語、木曜日に数学を習っていますが、先生がいっぱいいるからすぐに質問できるし、すごく丁寧に教えてくれてわかりやすい。英語はあんまり得意じゃなくて、1年生の参考書も使って復習中。勉強しないと“終わる”から、ここに通えてよかったです」
■理事長自身はアルバイトをして家族を養う
つばめ塾の入塾条件のひとつに“経済的に苦しいと感じていること”という項目がある。住民票と課税、非課税証明書を提出する必要はあるが、両親の収入制限はない。収入がそこそこあっても、多子のために教育費の捻出が困難というケースもあるからだ。
そんな家庭に、小宮理事長は寄り添う。
「僕はつばめ塾を通して、“学習面においては必ず子どもたちを手助けするよ”“お金のあるなしが教育を左右するのは違うんだよ”という社会にするための種まきをしたいんです。まき続け、育てたい」
塾設立当初は映像制作会社に勤務していたが、半年後には辞め、塾に専念。現在は市内に5つの教室を運営し、年末年始以外、年間361日、生徒を受け入れている教室もある。数学と英語がメインで理科、社会、国語は休み期間に集中講習をする。
「つばめ塾の運営は、ほぼ100%寄付金で賄われています。小口の方ですと、毎月1000円~数千円。中には毎月10万円ほどくださる方もいます。場所代や諸経費を合わせると、つばめ塾の必要経費は1か月10万円強くらい」
自身の生活はというと、「私自身は皿洗いや弁当配達、コンビニエンスストアのアルバイト、高校の非常勤講師もしています。妻と3人の息子を食わしていかなければなりませんからね」と苦笑いする。
■無料塾は住みやすい社会にするための“投資”
苦しいときに義父母に助けられたりしたが、つばめ塾の理念に賛同し、無報酬で教えてくれる約60人の講師の存在が大きい。
「社会人と学生が半々、男女比は6:4くらい。報酬はゼロで、交通費すらお支払いしていません」(小宮理事長)
それでも4割は市外から通ってくれるという熱心さだ。
6月から教え始めたという福祉関連の学部に所属する大学3年の田中梓さん(20)は、「授業がない水曜日に、藤沢から通ってきています。休みを使って交通費をかけてきても、苦じゃないです」と、充実感いっぱい。
講師歴2年の公務員、瀬戸和史さん(29)は、「生徒の理解度がだんだん高まっているのがわかり楽しい」と週3回、3教室をかけ持ちして教えている。
「“困っている子のために”とかではなく“投資”だと思っています。今後、貧困格差が広がっていったら、子どもたちが働き盛りの年齢になったときに、日本全体の力が下がります。住みやすい社会にするために、今できることを」
そんな講師の思いを生徒とマッチングさせるために、小宮理事長は講師にこう望む。
「“生徒に寄り添ってあげる”ことだけです。隣で生徒が課題をひとつひとつこなしていくのを生徒の立場で励ましてあげられることが重要です」
■安心して学習できる、返済不要の奨学金制度
実際、“貧困世帯”はどんな生活をしているのだろうか。経済難の母子家庭の中には、母親が病気や事故で働けなくなり、それまでは普通の暮らしができていたのに突然、家計が圧迫され貧困地獄に陥る子どもも多い。
スーパーでかき集めた野菜くずや油かすでその日の食事を凌ぐ子、プリクラ代やカラオケ代がなく友達付き合いにふたをする子。塾代以前に交通費やテキスト代すら払えないからと通塾を諦める子もいるという。つばめ塾に通う生徒の中にも、貧困にあえぐ子どもの姿が。
「お母さんが入退院を繰り返すようになり、弟や妹もいるので、登校前に牛丼店で働き、下校後にはガソリンスタンドでバイトをする高校生がいました。出費を抑えるためか、修学旅行にも行かなかった」
そう小宮理事長は、貧困のぬかるみがどこにでもある現実の怖さを訴える。そして「僕は自分の経験上、家計が苦しい家庭は、現金支給ほどありがたいものはないと思います」という考えから、返済不要の3つの奨学金制度を設けた。
交通費やテキスト代のほか中学3年生などには模試代や交通費を支給する『塾生奨学金』(申請すれば誰でも受けられる)、月額2万円の『大学生奨学金』(現在、1人の女子大生が受けている)、高校入学の際の教材費として1万円を支給する『高校生教科書奨学金』。
奨学金にかける意義を、小宮理事長が明かす。
「塾生の中には、“通いたいけど交通費がないから行けない”と悩む子もいます。また、最近は学校の授業も塾で習っていることを前提に進められる場合があり、通っていない子はどんどん置いてけぼりです。
経済状況によって、意欲ある子の学習の場が奪われることがあってはならない。みんなと同じスタートラインに立つための教育費は出してあげたい、という思いで給付しています。本人が、お金のことを気にせず、安心して学習を始められるための給付です」
■卒業生がバイト代で2000円の寄付
小宮理事長はつばめ塾というネーミングに、「巣立っても、いつかまた帰ってきて」という思いを込めた。すでに明るい兆しがあったという。
「現在、都立高校3年生の女の子ですが、中学を卒業して3か月くらいたったころ、2000円をつばめ塾に寄付してくれたんです。自身もバイトをかけ持ちし家計に入れていた子ですから、身を切る思いで捻出してくれたのでしょう。
同封の手紙には《本当に感謝してます!!つばめ塾がもっと大きくなって、いろんなことが充実していきますように。いつか戻ってこれるといいな》と書いてありました」
開塾から1年半ほどたったころの出来事に「こんな子がうちから出てくれたんだ」と、涙を抑えられなかったという。公共施設を借りる際の費用負担などを行政に期待することもあるが、行政の力より「人の善意をもちよる」ことでつばめ塾は成功し、生徒や講師に受け入れられている。
「毎週1回、地域の『子ども食堂』から無料でパンが届きます。食堂側から声をかけていただき、配達日にはカレーやソーセージが入ったミニクロワッサンなどが1人2~3個行き渡ります。フードバンクと提携する計画もあります」
このように無料塾が子どもらのセーフティーネットにもなりつつある。極度の食糧難や、見るからに服装や持ち物で貧困がわかるわけではないという現代の子どもの貧困は、“ステルス貧困”ともいうべき非常事態。急な出費や病気になると、すぐに生活が成り立たなくなる。
教育で立ち向かうために小宮理事長は、こう呼びかける。
「もっと無料塾が増えてほしい。地域の公民館などであれば千円台でも借りられます。全国で無料塾を立ち上げる人を待っているし、全力で応援します」