ラッコの飼育歴30年以上、国内のラッコの繁殖計画も手がけている『鳥羽水族館』(三重県)の石原良浩さんは言う。
「1982年に初めて米国から日本にラッコが輸入され、瞬く間にラッコブームがきました。’94 年のピーク時は、122頭もいたんです。ただ、それ以降、20年で9割減少し、現在は13頭になってしまいました」
良質な毛皮目当ての乱獲で、一時は絶滅に近い数まで減少したという。原油流出事故により200頭のラッコが1度に死んだこともあった。やがて、アメリカ領内のラッコは捕獲禁止になり、日本への輸入も閉ざされる。
「全国の水族館で協力して適齢期のオス・メスを貸し借りし、同じ水槽で飼育する繁殖計画が重視されるようになりましたが、一筋縄ではいきませんでした」(石原さん、以下同)
その原因のひとつが〝オスの草食化〟だ。
「これまで国内で取り扱ったラッコの数は延べ300頭以上ですが、そのうち3分の2は水族館生まれ、水族館育ちの個体です。野生のラッコは、周りの親や仲間から交尾を覚えますが、水族館ではオスは1頭ずつしか同じ水槽で飼えないんです。また、オスは自分の子どもを認識できないため、父にとって息子は恋敵。殺し合いになることもある。もちろん娘も〝メス〟ととらえてしまう」
こうして個別飼育を続けるうち、オスはすっかり草食化してしまう。
「ラッコの交尾は、オスがメスの背後から鼻に噛みつき身動きを取れなくする同意なしのスタイル。本来ならメスが抵抗できないぐらい強く噛むのですが、水族館生まれのオスは抵抗されたらすぐあきらめる。一方、メスも交尾を知らないので何をされているかわからず、必死に抵抗します」
国内の水族館で、ラッコ繁殖計画が模索される中、全世界的にみれば野生個体の生息数は増え始め一部では輸入再開の動きもある。
「ラッコの主要な生息地、アメリカ西海岸では、今も海洋動物の捕獲を禁止していますが、座礁した個体は特定の施設で保護されます。ただ、その収容施設のキャパシティーが限界に近づいたことで、デンマークやフランスに輸出されているんです」
ならば、日本にも近いうち輸入されるのでは?
石原さんはその問いを、間髪入れずに否定する。
「実は、収容されたラッコのオスは去勢をした状態で輸出されるんです。私たち日本人の感覚では、人工的に生殖機能を奪った個体を1代限りの展示用に輸入することには、抵抗感があるんです」
スーパー高齢ラッコ計画
国内のラッコ13頭は、徐々に高齢化が進んでいる。寿命は野生で15年、飼育下で20年程度だという。
『海遊館』(大阪)に暮らすパタ(20歳)は人間でいうと80歳。飼育担当の地本和史さんは、
「ラッコの妊娠適齢期は15歳。ギリギリの16歳のとき、オスと同じ水槽で過ごさせましたが、馴れ合いになってしまって。半年ごとに少し別居させるなどの工夫はしましたが、ダメでした。今は高齢なので、とにかく元気に長生きしてほしい」
国内最高齢でこの世を去ったポテト(享年25)をそばで見守ってきた前出の石原さんは、高齢ラッコの飼育にある決意を抱いている。
「ポテトは筋力低下で、晩年は水深2メートルも潜れなかった。本当にヨボヨボで白内障も発症しました。でも、過保護な飼育環境は寝たきりの入院と同じ。
90歳でも元気に走るスーパーおばあちゃんっていますよね? ラッコも同様に高齢でも自分の意思で生きられるように飼育したい」
エサの魚肉は半解凍の固いまま与え、前足と歯のトレーニング。
さらに、飼育員が水槽壁面の上のほうを狙ってエサを投げつけると、勢いよく水中に潜って助走をつけ、ジャンプ! 簡単には取れないところにエサを置けば頭で考え、身体を動かす癖が身につくのだという。
「国内の水族館で今、妊娠適齢期のラッコはオス3頭、メス4頭。でも、まずは高齢化したラッコも含め最良の環境で飼育することが最優先です。ラッコはデリケートな生き物で、繁殖のための引っ越しが命取りになることもあります。不自然な試みはせず、妊娠の可能性を探っていきたい」