ピアニストの中村紘子さんが大腸がんで亡くなった。72歳だった。
「今から40年以上前、高校生のときです。学校に公演に来てくれた中村さんの演奏を聴き、なぜかとても幸せな気分になったことを覚えています」と話すのは本誌ベテラン記者。
それまでクラシック音楽をピアノの生演奏で聴く経験などなかった少年時代、中村さんが奏でる音色に魅了されたのだという。
かつて、彼女は雑誌のインタビューでこう答えている。
《いちばん大切なのは、たとえどこであっても、自分の言葉で語りかける演奏ができて、その私の演奏を聴いて元気になったり、幸せになったりしてくれる人がひとりでもいるということなんです》
20歳のときに『ショパン国際ピアノコンクール』で入賞と最年少受賞の栄冠に輝き、
「入賞は日本人としては2人目でしたが、10年ぶり、しかも最年少でもあったので話題になり、一躍注目されるようになりました」(全国紙記者)
日本を代表するピアニストとなった彼女は、テレビ、ラジオ、CMなどにも次々と出演。番組で共演したことのある南こうせつをゲストに呼んだコンサートでは、「音楽にジャンルや国境はない」と熱く語ることもあった。
私生活では、’74年に芥川賞作家の庄司薫氏と結婚。ふたりのなれ初めはユニークだった。
「庄司氏の受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』の中に中村さんの名前が出てきて、それがきっかけとなったようですが、庄司氏はもっと若いころから彼女に憧れていたみたいですよ」(文芸誌編集者)
前出のインタビューではそのときの様子も語っていて、
《本の中に私の名前が出ていると友人が教えてくれたんです。カバーに載った作者の写真を見た瞬間、あっ、私この人と結婚する! ってなぜか思ってしまったんですね(笑)。で、彼がカンヅメになっているホテルを突き止めて電話したんです》
結局、結婚するまで交際は5年間続いたが、
《その付き合いで、私は自分がいかに音楽バカで、いわゆる大学に行っていたら身についたであろう幅広い視野や教養が欠けていたか、学んでいったのは確かです》(前出のインタビュー)
夫はよき伴侶であると同時に、よき師匠だったようだ。海外演奏会には必ず夫婦そろって出かけるほど"おしどり夫婦"として知られていたが、そんな彼女に大腸がんが見つかったのが’14年のこと。
翌年には復帰したが、再び活動休止に。病魔と闘いながらも今年の4月に復帰して、8か月ぶりに演奏を披露したが、その後、体調が悪化して再入院。
「"病院はつまらない"といって、亡くなる前日、彼女の誕生日の7月25日に自宅に戻り、夫と愛犬と過ごしたようです」(前出・全国紙記者)
みんなに愛された"天才ピアニスト"は、最愛の夫と愛犬に見送られて、天国へ旅立っていった。