“やんばるの森”に囲まれた小さな集落に、悲鳴と怒号が飛び交った。
7月22日未明、政府は沖縄県東村高江(ひがしそんたかえ)にある『米軍北部訓練場』のヘリパッド建設工事を強行した。
「森を壊すな!」
「これが民主主義か!」
座り込んで反対する住民に対し、全国から集められた約500人の機動隊は殴りかかり、引き倒し、あるいは首を絞めあげるなどして排除した。
さらに同日、国は名護市辺野古の新基地建設についても強硬策に打って出た。辺野古湾の埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事が政府の是正指示に応じないのは違法だ、との確認を求め、国は沖縄県を相手に新たな訴訟を起こしたのだ。
「県民の気持ちに寄り添う」という安倍首相の言葉とは裏腹に、国の強権によってむき出しの暴力にさらされている沖縄。その北部にある人口150人に満たない高江で今、何が起きているのか。また、これまでに何が起きてきたのか─。
現職大臣が落選した参院選直後の7月11日朝、国がしたこと
事の発端は1995年、沖縄県内で起きた米兵による少女暴行事件にさかのぼる。米軍基地の整理縮小を求めるうねりが起き、翌年、日米両政府は『沖縄に関する特別行動委員会(SACO)』の最終報告で、県内にある米軍施設の一部返還に合意した。
だが、これによって沖縄の負担が軽減されることはなかった。宜野湾市の普天間飛行場を返還するかわりに「撤去可能な海上ヘリ基地」を辺野古に建設するなど、移設を前提にした条件がつけられていたからだ。
辺野古では基地建設に反対する市民の座り込みが続いている。3月に結んだ県との和解条項に基づき、国は埋め立て工事を停止してきたが、中谷元防衛相は早期再開の考えを隠さない。
またSACO合意では、米軍北部訓練場の返還も決められたが、ここでも同様の「条件」があった。高江に、主にオスプレイが離着陸するためのヘリパッドを6か所、建設するという計画だ。
騒音や墜落事故を懸念する住民をよそに、'07年、国はN4と呼ばれる地区から工事を強行する。'14年までに2か所のヘリパッドが作られたが、これに反対する住民の粘り強い反対もあって、およそ2年、工事は中断されていた。
ところが参院選直後の7月11日朝、国は工事再開に向けて建設資材の搬入を開始。北部訓練場のゲート前には多数の機動隊が張り付いた。また高江に続く県道の封鎖、警察による車両の検問も実施。反対住民を威圧し揺さぶりをかける意図があったのは明白だろう。
今回の参院選で、沖縄選挙区では、基地反対を訴える伊波洋一氏が自民党の島尻安伊子氏に大勝している。現職大臣の落選という形であらわされた「反基地」の民意を、国は力ずくで踏みにじったのだ。
昼も夜も1日に何度も、轟音をうならせながら超低空を飛ぶ米軍機が
工事強行の前日、各地から1600人が駆けつけた緊急抗議集会でも、耳を傾けることはなかった。
「普通に暮らしたいだけなんです」
高江住民の安次嶺雪音(あしみねゆきね)さん(45)はそう訴える。
集会の間、頭上でオスプレイらしきヘリが巡回していた。沖縄防衛局の測定データによれば、N4地区で6月の夜間(午後7時~翌午前7時)に確認された騒音発生回数は383回。地下鉄の構内と同等の100デシベル近くまでに達していたとの指摘もある。
「6月に入り、オスプレイが飛ぶ回数がグンと増えました。昼も夜も、1日に何度も来る。騒音もひどいけれど、身体にビリビリと響く低周波が気持ち悪い。墜落の怖さもある。今は子どもたちを連れて(東村と隣接する)国頭村へ避難していますが、このままでは転校も考えなければ……」
轟音をうならせながら超低空を飛ぶ米軍機は、沖縄では珍しくない光景だが、
「こんなの、許されるの!? って昔は驚きました」
そう話す伊佐育子さん(55)は京都出身だ。結婚を機に沖縄へ。高江の自然に惹かれて、ここで息子を育て上げたが、子どもたちを育んだ豊かな森は戦場へとつながっていた。
「ベトナム戦争のときには、北部訓練場で、ジャングルでの戦闘のために出撃前の最後の訓練をして、ここから多くの米兵が飛び立っていったんです。高江の住民をベトナム人に見立て、殺戮の訓練が行われていた場所でもある。今も地上戦闘部隊などの訓練が行われています」(伊佐さん)
ヘリパッド建設に際し、住民への説明は十分になされていない。なぜ新たに作る必要があるのか? 飛行ルートは? 飛ぶ時間帯は? 安全と生活に関わる重要な質問に対し、沖縄防衛局の回答は「米軍の訓練内容については、いっさいわからない」だった。
高江地区では'99年と'06年に、住民総会で2度の移設反対決議を出している。それでも国は「(東村)村長は容認している」として工事に着手した。子どもが生まれたばかりの住民もいるのに……。
なにがなんでも…という国のやり方は戦前の軍国のよう
安心して暮らしたい。自然を壊して作る“戦争の準備をする場所”ではなく、やんばるの森をそのまま子どもたちに残したい。伊佐さんら母親たちは立ち上がり、『「ヘリパッドいらない」住民の会』を結成する。'07年のことだ。
「座り込みといっても、最初は何をどうすればいいかわからない。辺野古の人たちに教わりながらやっていました。最近は、県外からの応援も多くてありがたい。大阪でしょう、千葉でしょう……」
そう言うと伝票の束を見せてくれた。全国から支援物資が続々と届く。
10年にわたる闘いの間には、前代未聞の裁判もあった。国は住民15人を相手取り「通行妨害禁止」を求めて訴えたのだ。被告には8歳の子どもまで含まれ、証拠としてあげた写真には別人が写っているというずさんぶり、乱暴さだった。
「ここまでやるのかと思いましたね。なにがなんでもヘリパッドを作ろうとする国のやり方は、戦前の軍国のようで、恐ろしいです。でも、6つ作る計画だったヘリパッドがまだ2つしかできていないのは、住民の粘り強い反対があったから。私たちは、あきらめるわけにはいかないんです」