何事もなく、普通に生きていた人たちの日常が“戦争”によって壊され、思いもよらなかった人生を生きることになる――そんな人々の姿が描かれる『帰郷』は、「戦争について考え続けることがライフワーク」と語る、浅田次郎さんの連作短編集です。

登場人物たちはみな別の仕事の従事者

あさだ・じろう 小説家。1951年、東京都生まれ。'95年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、'97年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、'06年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞と司馬遼太郎賞、'08年『中原の虹』で吉川英治文学賞、'10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を受賞。'15年紫綬褒章受章。撮影/竹内摩耶

「戦争に携わったそれぞれの人たちの人生を、できるだけ真摯に、自分なりに解析して、小説の形で表現していければというふうに思っています」

 本書には、娼婦をしている女と、南方戦線で生き残った元兵隊が焼け野原の新宿でふと出会う『歸鄕』、日本から遠く離れたニューギニアでの生々しい戦闘を描く『鉄の沈黙』、幼いころに父が戦死し母と離れて育った大学生が、戦争のことなどすっかり忘れてしまったかのような戦後の遊園地で働く『夜の遊園地』、昭和40年代の自衛隊員と戦時中の陸軍兵が時を超えて交流する『不寝番』、壮絶な戦場をくぐり抜け帰国した元兵士が傷痍軍人と関わったことで数奇な運命をたどる『金鵄のもとに』、海軍を志願した大学生が絶望の中で夢や思い出などを語り合う『無言歌』という6つの話が収められています。

「出てくる登場人物たちは、みんな本来は別の仕事をしていた人。職業軍人はほとんどいないんです。『無言歌』に出てくる海軍士官も、学徒動員がなければ軍人にはなっていない。そんな人たちが赤紙1枚で駆り集められて、戦地へ送られて死ぬのが戦争なんです」

 しかし、昭和30年代には戦争はすでに過去の出来事になっていたことを、その時代が舞台となっている『夜の遊園地』を書いていて気づいたという浅田さん。

「昭和30年代前半は、そこらを歩いている男の人のほとんどが軍隊に行ってたんですよね。でも昭和30年代前半で、すでに戦争はなかったことになっていた。30年代半ばになると、街の風景って今とほとんど変わってないんですよ、都電があったくらいで。

 だから、僕自身も戦争というのはまったく意識していなかったし、遠い昔の出来事だと思っていたけど、実はそんなに昔のことではなかったんですね。

 大人はみんな知らん顔してたわけです。あまりにもつらい体験なので、思い出したくも話したくもなかった、という気持ちもあったと思う。自分の悪い経験は、子や孫たちには伝えたくないという気持ちもあったんじゃないかな。でも、今はこういう小説の形で、戦争について僕も考え、読者にも考えていただければと思いますね」

犠牲になった人生を考えるのが“小説”

 今年は戦後71年目。夏はさまざまな出版物やテレビ番組などを見て、戦争について考える機会も増える時期です。

「戦争が終わってからずいぶん時間がたちました。そうすると社会は“風化させてはならない”と、考えますね。でも、風化するというのは忘れることだけではないんです。戦争というものがひとつのパターンにイメージづけられてしまう“類型化”、そして“情緒的”になってしまうことも一種の“風化”です。戦争はかわいそう、悲しい話と類別されていく。これも風化だと思うんですよ

 風化させないためには、戦争が起こると一体どんなことが待っているのかを“小説”という形で読み、想像力を働かせることが大事になってくるのです。

「僕は戦争を経験していないけれど、幸い年齢的にいって戦争体験者の話を直に聞いている世代なので、そういう耳に残っているものっていうのがわりとあるんです。実際に戦争を体験した人でないと戦争は書けないと言う人もいるし、本当はそうなのかもしれない。

 だとすると、平和な時代がくれば戦争は忘れられてしまうことになる。でも、それはよくないことだと思う。だから誰かが、何らかの形で、戦争というものをできるだけリアルに書いていくって作業が求められているんだと思いますね。そういう意味では、僕が今のこの時代になって戦争小説を書くというのは、自分の使命じゃないかなと思うんです」

 しかし浅田さんは「これは戦争小説ではなく、反戦小説なんです」と言う。

反戦の気持ちを持っている方には、この小説を“戦争の実態”として読んでいただきたい。反戦って口で言うのは簡単だけれど、たぶん実感としてわかっていない人が多いと思います。反戦は、ただ暴力否定という意味だけではないんですよ。それがどういうものなのかを、この小説の中から具体的につかみ取ってくれたらありがたいなと思います。

 僕は歴史家ではなく小説家で、小説家っていうのは人間を描くものであるから、こういう形でしか戦争を描くことはできません。だから、これは作り話であるけど、僕なりにいろいろ調べて、想像して、実態はこういうことだったんじゃないか、と書いた小説であるわけです。

 そういう意味では、歴史書を読むよりも、戦争がわかるんじゃないかなと思います。そして“戦争”という漠然としたものではなく、その戦争で犠牲になっていったひとりの人生というものをよく考えなければいけないと思うんです。戦争は暗くて重たいけど、目を背けたらいけないんです」

『金鵄のもとに』に出てくる傷痍軍人。幼いときに上野で見たことがあり、とても怖かったことを思い出しました、と浅田さんに伝えると……。

「身体が不自由になって、ああするよりしょうがなかった人もいる。でもね、中には物乞いをするほかなくなった自分の不幸をさらして、世界の人に無言の訴えをしている人たちも大勢いたと思う。僕も子どものころ傷痍軍人に恐怖感を持っていたけど、彼らの存在と恐怖感が、僕に小説を書かせているんです