元横綱千代の富士の九重親方が7月31日、61歳で急死し、角界に衝撃が走った─。
「突然のことでした。昨年5月末の還暦土俵入り披露後、すい臓がんが見つかりました。手術は成功し、回復しているように見えましたが、最近になって胃や肺への転移が見つかり、7月13日から入院していました」(スポーツ紙記者)
現役時代は、"ウルフ"の愛称で慕われ、31回の優勝(歴代3位)を誇り、角界初の国民栄誉賞を受賞。"小さな大横綱"と称されるも、5年生存率2割未満と言われるすい臓がんに屈した。
遺体の眠る九重部屋が涙に暮れる中、親方がこよなく通った東京・錦糸町『とり喜』の主人、酒井康人さんの目からも、涙がこぼれる。
「今日は(焼き鳥を)焼いていて、ずっと涙が止まりませんでした。店をオープンして15年になりますが、親方には14年前から贔屓にしていただいてます。
最初はおかみさんが友人たちといらしていて。もちろん親方の奥さんだとは知りませんでした。あるとき、おかみさんが親方を連れてこられたんです。忘れもしないクリスマスイブの日でした。お店に入ってこられたときに、"わっ、千代の富士だ!"とびっくりしたものです」
彼の腕にはさりげなく喪章がつけられている。
「うちが7年前から連続してミシュランの星を獲得するようになると、なかなか(気軽に)立ち寄っていただくことも叶わず、申し訳ないと思っていました。
今年の初め、私が1人で仕込みをしているときに、それこそふらっとお店に来てくださったんです。"プレゼントだ"と言って、還暦の土俵入りを描いた絵を持ってきてくれました」
土俵に上がれば眼光鋭い九重親方も、酒井さんの前ではいつも穏やかな眼差しだったという。その振る舞いは誰とつるむこともなく、愚痴ひとつ言わず、まさに"昭和の男"で、カッコよかったそうだ。
常連店のひとつで、週に1度は通っていたと報じられた、東京・浅草のふぐ、スッポン料理店『つち田』。ここでも、主人の土田裕さんとの男同士の付き合いがあった。
「親方が最初に店に来たのは10年くらい前です。最初は後援会の方と一緒に来られたのですが、週1でスッポンを食べに来るようになったのは、それから1年くらいしてからでした」
それはこんな理由があったからだった。’07年6月、土田さんは父を亡くし、店を継ぐ。
「翌月に親方が来られたときに、父が亡くなったことを報告すると、"そうか、応援してやるから頑張れや"と。
それからは、言葉どおり毎週のようにご自分で予約されて来られるようになったんです。私を応援するためにと、いろいろな方を連れて店に来ていただきました。もちろん、ご家族と仲よく一緒のときも」
現役時代は"土俵の鬼"と恐れられた親方だったが、土俵を離れると"鬼"や"狼"のイメージとはかけ離れた優しい姿を見せていたのだった。
そして、彼に対し、酒井さんも土田さんも抱いている気持ちは同じだった。
「感謝の気持ちでいっぱいです」