人気夫婦漫才師の宮川大助・花子さんは東北の被災地を頻繁に慰問している。この5年間で、ともに50回以上にわたって被災地を訪ね、岩手・大船渡の『おおふなと復興応援特別大使』にも任命された。
「現在、仮設住宅のみなさんは復興住宅に移られる段階。5年間一緒にいた仲間とバラバラになってしまう不安を抱えています。でも、僕らのお笑いを聞いたおばあちゃんたちが“私にはまだこんなに笑える力があったんだ。もう1度、頑張って生きていこう”なんて言ってくれるとうれしくてね。笑っていることこそ復興そのものなんですよ」
そんな被災者との交流を通して、大助さんたちは防災の知恵を学んだ。
「合言葉は“信用・信頼・てんでんこ(バラバラに逃げること)”“備えあれば憂いなし”。そして仮設の方々が口をそろえるのは、“家族全員が助かること”、“近隣のみんなが全員助かること”。家族が助かればどんな困難にも立ち向かっていける。近隣の人たちが助かっていれば、復興のためのエネルギーは絶対出てくると言うんです」
南海トラフ地域の人なら相当警戒しているはずなのに
最近、2人が力を入れ始めたのは、南海トラフ巨大地震の危険地域である市町村での防災シンポジウムだ。
「きっかけは、昨年の防災の日のイベント。そこで、危険地域に、なじみ深い町やお世話になっている町があるのを知りました。実際、震災経験者が講演をしているんですね。そしたら、大助も“俺たちが学んだことを伝えたい”と言いだして。じゃあ、行きましょうとなった」(花子さん)
大助さんは、三重や和歌山の海岸沿いは東北の沿岸とよく似ていると言う。
「東北では津波がくるまで30分、40分という時間があったけど、南海トラフならもっと早い。和歌山県串本町などは2分なんですよ。
『正常性バイアス』という非常事態を認めたくない心理によって東北では4割の方が迫る波から逃げなかった。それを1割が必死になって助けようとしたが、5割が亡くなった。これはとんでもない数字です。あれだけの津波の威力を全国の人が見ていて、ましてや南海トラフ地域の人だったら相当警戒しているはずなのに、4割以上が防災に興味を持たないんです」
ただの防災講座ではなく、生きる力を見直す機会
それでも花子さんは防災シンポジウムに手ごたえを感じていると話す。
「講演に行くと、まず尋ねます。今、ここで地震がきたら私をどこに連れて行ってくれますか? すると、“あそこに山があるからそこに逃げたらいい”なんて教えてくれる。“おばあちゃんはそこに行きますか?” と聞くと“いやあ、しんどいしなぁ”なんて言う。
“もう死にたい。人生どうでもいい”。そう言っていた人たちがシンポジウムの最後には“頑張るね”と言ってくれる。これはただの防災講座じゃなくて、生きる力を見直す機会なんですね」
大助さんも力強く、
「まだ被災されてないみなさんを前にすると、どうしても被災者にさせたくないと思うんですよ」
9月3、4日、2人は『宮川大助・花子ファミリー劇場 妖精の里~命の架け橋~』(13時開演・17時開演、大阪・テイジンホール)という舞台を行う。テーマはまさに「復興と防災」。大助さんが言う。
「1部と2部があって、1部が南海トラフ危険地域に指定されている地域の物語で、2部のほうが被災地の仮設の物語になっています。3・11での体験がどれだけの“学び”になっているかを伝えられたら」
舞台内容は、大助さんが実際に取材した人々の証言や事実の描写がミュージカル仕立てで構成されている。
「被災地の方は“夢と希望をください”と言います。そんなみなさんの背中をポンと押してあげられるようなものにしたい。そして、危険地域に住むみなさんの意識が高まればと願って、この舞台を作りました」