五木寛之さんのエッセイ『生きるヒント』。'90年代に雑誌『ミセス』に連載され、全5巻にまとめられた本は当時大ベストセラーに。それらを2006年に『新版 生きるヒント』として編み直し、このたび待望の文庫『新版 生きるヒント 1 自分を発見するための12のレッスン』となりました。

「僕の考えではね、5年か10年たって古さを感じさせるようなものは、25年くらいたつと新しくなるんです。裸電球とか箱型テレビとか、そういうものが書いてあるほうが、時間がたつとノスタルジーも湧いてきて、かえって新鮮に感じられるんです。この本もそうで、みんなによく読まれていて、祖母、母、娘と三代にわたっている読者もいるんですよ

書いたものより、語ったもののほうを大事にしている

いつき・ひろゆき 小説家。1932年福岡県生まれ。66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞を受賞しデビュー。67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。主な作品に『青春の門』『四季・奈津子』『親鸞』、随筆『風に吹かれて』『大河の一滴』、『かもめのジョナサン』の翻訳も手掛けた。近著に、元気に老いるための書『玄冬の門』など。撮影/坂本利幸

 最初に『生きるヒント』の単行本が出たのは1993年、今から23年前ですが、内容は今でも新鮮。副題の「自分を発見するための12のレッスン」の名のとおり、何気ない日常生活の中での気づきが、私たちの心を温めてくれます。

「言葉で意味が通じないような表現は使わずに、海外の思想家や哲学者の名前を引いて、誰々はこう言っているという引用はできるだけ少なくしました。そして語るように書く、あたかも講演の採録のようにしているんです。

 僕は基本的には書いたものより、語ったもののほうを大事にしているんですよそれは人類の宝物のような古典や思想が、全部語りによって伝えられているからです

 仏教には何千というお経があるけれど、ブッダ自身が書いたものは1行もない。聖書もキリストが書いたものではないですし、『論語』だって先生がこうおっしゃいましたというのを弟子が記録したものですからね。

 近代になって活字文化というのが力を持ってきて、書かれたものが大きな位置を占めるようになりましたけど、基本は言葉を肉声で発する、人に向かって語るってことが大事なんです。僕はNHKの『ラジオ深夜便』を長年やっているんですが、ラジオというのはパーソナルに語りかけるメディアですよね。この本もまったくそうです。ラジオでひとりでしゃべっているような感じなんです

悲しむことはじっくり時間をかけないとできない

 本書にはレッスン1の『歓ぶ』から、レッスン12『想う』まで、全12章が掲載されていますが、五木さんは今の時代に欠けていることは、レッスン2の『悲しむ』ことだと言います。

「世間っていうのは、何か2つあると、片方は大事で片方はダメとか、黒と白に分けて考えがちなんですが、喜ぶことと悲しむことは両方とも大事なんです。最近はみんな面白がるけれど、ちゃんと悲しむことは苦手ですよね。

 例えば何か事件が起こったとき、翌日にはもう違うニュースが出て、みんな忘れてしまうということがある。それは喜ぶことは瞬発的にできるけれど、悲しむことはじっくり時間をかけないとできないからなんです。今はじっくり悲しんでいる暇なんてないんですよね。でもそういう事件を見て思わず涙する、悲しむ、ということが大事だと思います

人生100年どう生きていいのか、古典にも書いてない

 また未曾有の高齢化社会に突入し、健康や長生きについて誰もが悩む現代。本書も老いに関するトピックスが取り上げられています。

「人生50年と言われた時代から、今では人生100年の時代に入ってきたわけですね。そうすると、50年終わってから残りの50年、倍の時間を生きなきゃいけないわけですから、どう生きていいのか、古典を見てもどこにも書いてないんですよ。人生100年はまったく未曾有の荒野で、そこにはともしびも何もない、道もないんです。

 今はそこを手探りで生きていかなきゃいけないということに、みんなが気がつき始めた。老いていくってことは本当に大変ですよ。しかも世の中にはテロのような、自殺よりも他殺がわれわれの周りにあふれているような時代で、死が非常に身近なものとしてある。そこでどう生きていくか?

 そう考えると、若者よりも高齢者が希望を持って生きていくほうが10倍難しい。先が見えてるし、友達もどんどん減っていく。でもそういう状況になってから慌ててもダメで『生きるヒント』では、早めに準備することだったり想像することが大事ということを書いているんです。ただ今の時代、生きるって大変なことなんですよ。それについてはレッスン12『想う』を読んでいただければと思います」

参考にするのはあなたの勝手です

 しかしこの本は、読む人に強要は一切せず、あくまで「ヒント」として書いている、と五木さん。

この本は“ヒント”ですからね。ヒントというのは解答じゃなくて、補助線なんです。ちょっと光をこっちから当ててみたらどうですか、違ったふうに見えるかもしれないですよ、もしそれが役に立ったら考えてみてください、と相手に手を差しのべてないんですよ(笑)。こうしなさい、って言い切っていることが全然ないし、自分の体験の中でこういうことがあったということが書かれていて、それを参考にするのはあなたの勝手です、というね。

 それにしても新しいものが次々に登場して、いろんなものが日々古くなっていく時代の中、この本を読んでくれる方がいるのは、ありがたいことですね」

■取材後記

 文庫版は全5巻が5か月連続発売の予定で、各巻の巻末には五木さんと阿川佐和子さんの解説対談が収録されます。これは五木さんの発案だそう。

「著者はこういう意図で書いたのであろう、なんて全然間違っている文芸評論の解説があってね(笑)。だったら読者の声を代表した評論家と作家の対談のほうがいいと、僕の『忘れえぬ女性たち』に解説対談を載せたのが文庫の歴史で初めてだったんです。今回それを思い出してね、やってみたんです」