保健所に送られる寸前だった傷だらけの野良犬を見るに見かねて連れて帰った生き物好きの女性。偶然の出会いが、一家と地域の運命まで変えた! 鰺ヶ沢の名物、焼きイカ屋さんで繰り広げられる“あばれどん”と“犬バカ”の愛情物語――。(人間ドキュメント・菊谷節子さん 第2回)

「犬や猫とは、助け助けられる関係」

動物には動物好きな人がわかるのか、菊谷さんが座るとすかさず子猫が! 撮影/竹内摩耶

「私、嫁に行ったでしょ。そのとき、実家に犬がいたの、ちょっと大きめの犬がね。嫁に行って毎日リンゴ畑に行っていたんだけど、嫁に行ったその日から、実家からやって来ては1日中、リンゴ畑のはしごの下にいるんだわ。1日も休まずにだよ。嫁に行っているから、わんこのままこ(ご飯)持っていくとは言えない。それで毎日、自分のままこ半分やってた」

 畑には30匹ほどの野良猫もいた。

「だから朝はままこさ炊いて、魚を持っていくわけさ。大吹雪で1メートル先が見えなくても欠かさず持っていった。雪の中、車が入れないときは、這っていったこともあるよ」

 わが子のように犬猫を慈しみ、助ける菊谷さんを、犬猫もまた助けてくれた。

 ある春先のこと、田んぼの畦道を歩いていると、見慣れない猫が前を横切り、“ギャー!”というものすごい悲鳴を上げた。よく見れば、口から泡を吹いているではないか。実は、菊谷さんのすぐ前にマムシがいて、身代わりになってくれたのだ。

 1週間ほどたったころ、その猫がひょっこりと顔を出した。

「“大丈夫、生きてるよ!”って言いに来てくれたんだわ。でもそれっきりで、その後は1度も姿を見てないの。あれはホントに不思議だったな」

 これまでにたくさんの猫や犬を保護しては育て、里子に出してきた菊谷さんだが、手元で動物を飼い始めたのは、今から40年近く前。この地に七里長浜きくや商店を出店してからのことだった。

「それまでは、じいさん、ばあさんもいて、出稼ぎして家にお金入れてたからな。1男2女の子ども連れて、おとさんは北海道のパルプ会社で木を切り出す仕事をして、私はゴルフ場のキャディー」

 冬ともなれば雪に閉ざされ、農作業も行えない北の果てでの40年以上前の暮らしといえば、出稼ぎがつきものだった。

 菊谷さんの長男で、七里長浜きくや商店の社長を務める菊谷忠光さん(52)が、そんな北国のかつての暮らしぶりを証言する。

長男の菊谷忠光さん。元警察官で、現在は鰺ヶ沢の町会議員 撮影/竹内摩耶

「小学校1年ぐらいだったんだけど、そのころは着る物がなくって、年に1回だけジャージを買ってもらえる。そのジャージを毎日着ていくもんだから、汚くなってボロボロになって、友達からは“臭い”って言われて。

 ところが、おふくろがジャージを強い洗剤で洗ってしまったもんだから、ボロボロになってしまったことがあったなあ(笑)」

 さらには、今ではすっかり好々爺といった感じの静良さんも、かつては手のつけられない酒乱だった。

「今は仏さまみたいだけど、飲めば必ずケンカしてくるの。この人、青たんできてなかったことないぐらいだったな」

 そんな生活の中、菊谷さんの目に飛び込んでくるのは、同じく毛をボロボロにし、人に追われて傷ついた、捨て犬や捨て猫たちだった。

「この店を始めたころ、そこさ段ボール捨ててあったの。見たら、犬が2匹入っていたのさ。1匹は人にやって、1匹は私が拾って、ミルクをやって育てたんだわ。それがここで飼った第1号の犬、ボンだ」

きくや商店を始めて2~3年目のころ

 以来、20匹近い犬、30匹以上の猫を保護しては育てあげた。グレーでしましまの体毛から名づけられたわさおの相棒猫の故・グレ子もまた、捨てられていた猫だった。

「店の前の自動販売機の後ろに、段ボール箱さ入れて捨てられてたの。4匹いたけど2匹はコチンコチンになってたな。白いのとグレ子だけが生き残った。

 私は食べ物もろくに食べられなかったし、いい物も着られなかった。みんなと遊ぶこともできなかったから、情が湧いてしまうんだ。結局、育ててしまうんだなあ!」

 運命の犬・わさおもまた、そんな菊谷さんのもとへ、導かれるようにして9年前の2007年11月にやって来た犬だった。

わさおは手のつけられないあばれどん

鰺ヶ沢名物『イカカーテン』と菊谷さん

「さっき言ったとおり、わさおは拾った犬で、近くの『海の駅わんど(観光施設)』に捨てられていた犬だったの。ケガだらけで、町の人が3~4人集まっては、“これはダメだ。かわいそうだけど保健所に電話しよう”って。

 そこに私がチビっていう犬を乗せて、軽トラで通りかかったというワケさ」

 困り切ったところにやってきた“犬バカ”の登場は、まさに天の采配。ところがわさおは、うなるわ暴れるわで、とてもじゃないが手がつけられない。

「どうしたらいいだろうって思って、ふと見たら、チビのエサがあったのさ。それをちょっと取ってあげたら、お腹すいてるもんだからパッと食っちまって、“もっとちょうだい!”って。そうなったらこっちのもんだ(笑)。それでチビの首輪取って、スッとわさおさ首輪つけたの」

わさお 撮影/竹内摩耶

 熊と戦う秋田犬の、それもケガをするほどイジメられていた野良犬である。人との距離を縮めるのは、動物に関しては百戦錬磨の菊谷さんといえどもラクではなかった。

 人を見ればうなり、静良さんにも牙を剥く。わさおは顔もライオン風ならば、気性もライオンのようだった。こんな手のつけられないあばれどん(暴れん坊)を、飼い犬になどしていいものか……。

「どうしたらいいかと悩んだよ。人を噛んで迷惑をかけてもダメだし。すごく悩んだけれど、“よし、最後までやろう!”と。今まで何匹も犬を飼ってきたけど、悩んだのはわさおだけだな」

 わさおを助けたい一心の、菊谷さんの躾が始まった。

 わさおが悪さをすれば、ケガをしないよう尻のあたりを叩く。だが、そんな菊谷さんに対しても、わさおは容赦なく向かっていった。

「何度も何度も、言って聞かせて叩いて聞かせて。

 そしたら、わさおが手をなめて“かあさん、ごめんな”って。そしたら私も“じゃあ、許してやるよ”って。もう人間と人間の会話だな。でもそうやって育てたら、わさおも、“これはおっかないばばだ”と、わかったんだわ」

 先輩犬・チビもわさおの躾にひと肌脱いだ。

「“このかあさんは怖いよ。だから言うこと聞いたほうがいいよ”って犬語で話し合っていたんだ。それに“夏の暑い時には海に入れば涼しいよ”“川のこのへんは浅いけど、あっちのほうは深いから危ないよ”とかもな。

 だからチビが亡くなるまで、わさおはチビのこと大事にしていた。チビが18歳になって耳も聞こえず、嗅覚もきかなくなって海のほうに行っちゃうと、わさおがチビの綱をもってくるんだわ。“危ないよ!”って。自分が世話になったチビを、そうやって面倒見てくれていたの」

 チビが亡くなるそのとき、菊谷さんにそれを教えたのもまた、わさおだった。

「遠吠えして私のこと呼んだんだ。“かあさん、チビが亡くなるよ”って。それがわさおの本性なのさ」

※「人間ドキュメント・菊谷節子さん」は3回に分けて掲載しています。