シングル『Hey Hey おおきに毎度あり』で初のオリコンチャート1位を獲得し、順調にアイドル街道を進み始めたSMAP。しかし'96年5月、最初の危機が訪れる。
森且行がオートレーサーに転向するために脱退。後に怪物的な人気となる『SMAP×SMAP』(フジ系)が4月にスタートしたばかり。そのうえ、森の人気・実力は高く、木村拓哉とツートップと言われていた。
《将来はバイクのレースに出てみたいな》(JUNON'90年10月号)。森は早くからそんな発言もしていた。
転身の際には、普段は控えめな森から「絶対の自信と決意が感じられた」。後に木村もそんな言葉を口にしている。
脱退会見にはジャイアンツのユニフォーム姿の中居正広が同伴。明るく盛り上げていたが、胸中は複雑で解散も考えていたという。
森の事務所との契約が切れる日、それでもメンバーは森の家に集まり、オートレース養成学校入学のために断髪式を行った。このときただ1人参加しなかったのが稲垣吾郎。
そのマイペースぶりをメンバーからネタにされていたが、18年後、稲垣はそのときの真意をひっそりと打ち明けている。雑誌『an・an』の連載で、
《本当のことを言うと前日みんなで会った時に気持ちに決着をつけたつもりだったので…。でも遊んでいたからと思われていたのか、って(笑)》
彼なりのケジメの気持ちだったのだろう。周囲に流されない自分の哲学を持っていた。
SMAPで最初に人気が出たのは稲垣だった。'89年にNHKの朝ドラ『青春家族』に出演。'94年にはドラマ『東京大学物語』(テレ朝系)に初主演し、陰のあるナイーブな佇まいが注目を集めた。
稲垣はジャニーズ事務所において、昔も今も異質な存在である。明るく元気で太陽の下が似合う若者たちの中で稲垣はただ1人、もの憂げでミステリアスな月のほの暗さを感じさせる少年だった。当時の彼を知る芸能記者は言う。
「昔から変わった子だったと自分で言ってましたね。友達がみんなサッカーしていても1人でボーッと空想にふけっていたって。“華やかさと暗さとか重さが共存してるものが好きで、感性を刺激される”なんてことも言ってました」
やはり当時、彼を取材した女性誌の記者は、「SMAPでいちばん普通で真っ当な人」と評する。
「特別ニコニコもせず、不機嫌だったり構えたり、スターぶったりもしない。映画や音楽など興味のあることには饒舌だし、インタビューでも自分の気持ちに素直になることが大切と話す、自然体の人」
'01年8月24日、再びSMAPの存続を揺るがす事件が起こる。稲垣が公務執行妨害と道路交通法違反で逮捕されたのだ。不起訴となるがその後、約5か月にわたり芸能活動を自粛。SMAPもその年の『紅白』を辞退した。容疑者ではなく“稲垣メンバー”という呼び方の異様さも物議をかもした。
復帰最初の番組であった『SMAP×SMAP』で稲垣は5分間にわたって謝罪スピーチを行い視聴率は番組史上最高の34・2%を記録。メンバー全員そろって歌った『BEST FRIEND』に茶の間は胸を熱くした。番組関係者によると、このスピーチは稲垣自身からのたっての希望で実現したという。
「本人からどうしても自分の言葉で謝りたいと希望があったので、台本なしの生謝罪となりました。最初は2分間の予定が3分ほどオーバーして、こちらは少し慌てました」
そのころの稲垣を支えたのが'00年からの長い交際が報じられていた菅野美穂だ。
稲垣は20歳ころの取材で、《派手じゃなくて控えめなんだけど、その人独特の雰囲気がある人。目の奥の輝きに何か訴えるものがある人が好き》と話している。
2人が親密になるきっかけとなったドラマ『ソムリエ』当時の対談でも、「感性型って面では、菅野さんと僕は似てるのかもしれない……」とシンパシーを感じていたようだ。
幾度もオープンな蕎麦屋デートや同じマンション内での「合鍵同棲」「破局」「復縁」報道が繰り返され、'08年についに破局。その後、菅野は堺雅人と結婚する。
稲垣はといえば、近年は女性との浮いた話はほとんど耳にしない。中居によれば、
「吾郎は扱いにくい女の子みたい。酔わせて今夜なんとかしちゃおうって思っても、ちっとも態度が変わらない」(JUNON'97年11月号)
それでいて、なぜか“吾郎ちゃん”という愛称がよく似合う。クールでありながら、突き抜けた三枚目もてらいなく演じきり、話好きで天然でもある。SMAPの癒し系といえば草なぎ剛と思われるところだが、“剛ちゃん”ではなく“吾郎ちゃん”が定着したことは、稲垣の意外な立ち位置を物語っているのかもしれない。
'12年に出演したNHKのコント番組『サラリーマンNEO GOLD』の記者会見でSMAPにおける自らのポジションをこう分析している。
《たぶん僕はSMAPのメンバーでは中間管理職的な存在。間違いなくそういったポジション。上に気を使いながら下の面倒を見る。みんなにいじられながら、実は“僕は潤滑油になっているぞ”って自分で思っているんです》
SMAPを育てたI元マネージャーは、かつて稲垣をSMAPの“次男坊”と語っていた。そして、「SMAPはいいタレントだよね」と自ら屈託なく口にする稲垣を、「本当に手がかからないんです」と目を細めていたという。
近年は俳優としての評価が高い稲垣。きっかけは'10年に出演した三池崇史監督の映画『十三人の刺客』だ。“最凶の暴君”である松平斉韶役に抜擢され、顔色ひとつ変えずに女性や子どもをなぶり殺す狂気に満ちた悪役ぶりが絶賛され『第23回日刊スポーツ映画大賞』助演男優賞を受賞。三池監督も、「ことさら誇張しない。ものすごい自然ですよね。当人にしてみれば悪人ではないという感覚を彼はよくわかっている」と演技を絶賛した。
「一生懸命になってるところって人に見られたくない。内側は熱く激しくても、表面はいつも涼しげな人でいたい」
10代のころからそう語ってきた稲垣。25年間、独自の信念を持ち静かにSMAPの「次男坊」から「中間管理職」というポジションを築き上げてきた彼が、もうすぐそこを離れる。どんな場所を選び進んだとしても、変わらぬ“吾郎ちゃん”であってほしい。