夜間中学を題材にした山田洋次監督の映画『学校』が公開されてから20年以上たった。しかし、依然として学び直しの場は限られる。国や自治体に粘り強く理解を求めてきた関係者はこのほど関連学会を設立し、改革に意欲をみせる。
公立の夜間中学は8都府県31校だけ
「全国夜間中学校研究会の推計では、全く学校に通ったことのない未就学者と小・中学校中退者を合わせると、全国で百数十万人の義務教育未修了者がいます」
と元夜間中学教諭の関本保孝さん(62)は話す。
貧困やDVなど切羽詰まった家庭環境を背景に、出生届を出していない無戸籍児や居所不明児、親の虐待、ひきこもり、不登校……。1日も学校に行っていないのに卒業証書をもらった「形式卒業者」もいる。読み書きや簡単な計算もできないまま成長し、社会で打ちのめされる。
「履歴書が書けない」
「病院の問診票が書けない」
「スーパーの買い物で割引の計算ができない」
勉強し直すしかない。しかし、公立の夜間中学が設置されているのは、東京、神奈川、千葉、京都、大阪、奈良、兵庫、広島の8都府県31校だけ。つまり、1校もない自治体のほうが圧倒的に多い。どう対処しているのか。
「高学歴社会で、小・中学校を出ていないのは恥ずかしいと、ひっそりと隠れて生活しています。たとえば役所に行く前、手首にぐるぐる包帯を巻いて“ケガをしてペンが持てない”とウソをついて代筆してもらう。自宅に郵便物が来ても、『読めないから捨てている』という。基本的な教育を受けられなかったために、人間の尊厳まで奪われているんです」(関本さん)
全国夜間中学校研究会が昨年9月に調査したデータによると、公立夜間中学30校の生徒総数は1825人。残る1校の生徒数を足したとしても、義務教育の未修了者数とはかけ離れている。
一方、国内の外国人労働者は年内に100万人規模に到達する見込みで、受け入れ環境の整備が急がれる。
「定住して一生懸命働く外国人はたくさんいる。国際結婚で来日した外国人やその家族もいる。貧困の連鎖を断つためにも、年齢、国籍などを問わず、すべての人に最低限の教育を保障しなければならない」と関本さん。
関本さんらが呼びかけ人となり、大学教授や元教師らでつくる『基礎教育保障学会』が8月21日に設立された。当事者とネットワークを組み、国に全国的な識字調査の実施を働きかけたり、政策提言していきたいという。関本さんは事務局長に就任した。
ボランティアで運営「川口自主夜間中学校」
手弁当のボランティアで運営してきた夜間中学もある。
埼玉県川口市の『川口自主夜間中学校』は毎週2回、午後6時半から2時間開校する。授業料は無料。公共施設の会議室を教室として借り、元教師や学生らが無償で先生役を務める。創立31年になる。
元小学校教諭で同校代表の金子和夫さん(69)は言う。
「埼玉県には公立の夜間中学がありません。昨年7月から、形式卒業者は夜間中学で学び直せるようになりましたが、学校がないんだから入学しようがない。うちでは4人の形式卒業者が勉強しています」
6人がけのテーブルが8つ。生徒にはほぼマンツーマンで先生がつき、日本人生徒用のテーブルは2つ。ほかは外国人向けの学力別テーブルだ。
アフリカのマリ出身のディアキテ・オッセーさん(35)は画数の多い漢字に頭を抱えていた。水道工事の仕事に就いて1年半、業務範囲を広げるために自動車の運転免許を取りたい。教えるのは元大学教授の大西文行さん(76)だ。
川口市内のタクシー運転手の男性(67)は、台湾から2週間前に呼び寄せた妻の子どもを連れてきた。約1年半前、友人の紹介で16歳下の台湾人女性とお見合い結婚した。妻の祖父母が面倒をみていた小4男児を引き取った。
「2学期から転入する小学校に挨拶に行ったら、中国語がわかる教師はいないと言われた。自力で日本語を習得して学校の勉強についていくしかない。家族の支えだけでは世の中は渡っていけないし、学校でたくさん友達をつくってほしいから」(男性)
約半年前に中国から来日した元会社員・宇敬民さん(42)は、言葉の壁にぶちあたって仕事に就けずにいる。
先生役を務めるのは販売業の権文穎さん(31)。5年前に中国から来日し、1年前まで自主夜間中学の生徒だった。
「故郷を離れて心細い中、先生はみんな親切だった。娘のように心配してくれて、あったかかった。恩返しをしたい」と権さんは言う。
別のテーブルでは日本人女性(22)が分数の計算に取り組んでいた。使っているのは小学生向けのドリル。高校は卒業している。ただ、病気で休みがちだった。
「看護師になりたい。数学ができないと看護学校にも入れないし、免許が取れない。勉強し直したいと思って今年5月から通っています」(女性)
前出の金子さんは「ここに来る子はまじめ。騒ぐような子は少ない」と話す。
「居場所が知れると困るんです」
「居所不明の子どもが来てくれたこともあります。本来ならば中2の年、その13歳の男子生徒は母親と一緒にやってきました」(金子さん)
親が借金取りに追われて学校を転々としていた。小学校を卒業しておらず、中学に入学していなかった。
「居場所が知れると困るんです。ここで勉強できますか」
と男子生徒は聞いた。
「心配ない。大丈夫だよ」
と金子さんは答えた。
学力はほとんどゼロ。鉛筆の持ち方もわからず、漢字で名前を書けなかった。数か月通ったあと、彼は言った。
「先生、勉強っておもしろいね。僕も、名前と住所が漢字で書けるようになったよ」
ある日、彼は消えた。
「彼に教えたことがある。全国どこにいても『中2です』と言えば、その土地の中学に通えるって。どこかで中学に入り直していることを願っています」(金子さん)
いろんな生徒がいた。20代で「10÷2」が解けない。4ケタの足し算ができない。中学生の年でも、小学2〜3年生の漢字が書けない。あるいは「12-5」が計算できない。「指は10本しかないから引けない」と訴えたという。
「『10からいったん5を引いて、2を足すんだよ』と教えると、『ああ、そうか』とわかってくれる。学校で仕組みをちゃんと教わっていない。黙って座っていれば1日が終わるんです」(金子さん)
せめて1県に1校は夜間中学を設けるべきでは。