『Choo Choo TRAIN』誕生秘話
“ときめきを運ぶよ~♪”
ZOOやEXILEが歌い、幅広い世代に愛される国民的ソングとなった『Choo Choo TRAIN』。この曲の生みの親でシンガー・ソングライターの中西圭三が、曲と同じく今年デビュー25年を迎えた。
「よく人が言っているのを聞いて、またまたと思っていましたが、本当にあっという間の25年でした(笑)」
'91年3月にメジャーデビューを飾った中西。当時放送されていたダンス番組に曲を提供したことがきっかけとなり、新人アーティストのZOOを大抜擢したJRのコマーシャルソングを手がけることになる。
「担当の方から “ちょっとリゾート感のある、アウトドアを感じられるダンス曲を作ってほしい。タイトルは『Choo Choo TRAIN』で”と先にリクエストをいただいてから作業に入りました」
電話で依頼を受けてから、あっという間にメロディーができあがったことを覚えているという。
「“(サビの)タラリララ タラリラ ラララ”のラララの部分に“Choo Choo TRAIN”がハマるなと思って、すぐにデモテープを作って送ったらOKが出た。当時は、余計なことを考えず、純粋で、無邪気さ全開だったんじゃないですかね(笑)」
コーラスでも参加していたため、どれだけの人が聴いてくれるかが気になりレコードショップへ行ったそう。
「横浜の馬車道のレコード屋さんだったと思います。星飛雄馬のお姉さんのように柱の陰からこっそり見て(笑)。この人も、あの人も買っていったと。まさに飛ぶように売れていきました。あの光景は、すごく印象的でしたね」
もうひとつ、強く心に残っているのがZOOの初ライブ。
「自分の曲でたくさんの人が盛り上がっているのを見るのは、初めてのこと。イントロがかかった瞬間から5000人が総立ちになって会場が揺れた! ということを感じさせていただいて、これはすごい現象だと感動しました」
レコ大と紅白が同日開催されていた時代
デビューしてすぐに作曲の才能を認められた中西。翌年リリースした3枚目のシングルで宝石店『カメリア・ダイヤモンド』のCMソング『Woman』も大ヒット! その年の日本レコード大賞作曲賞を受賞した。
「『Choo Choo TRAIN』が爆発的にヒットして、世の中に受け入れられたことで動き始めたのかもしれないと思っています。
『Woman』は、作詞の売野雅勇さんから、ボーカリストとして伝えていくとは、どういうことかを教えていただいた曲でもあります。言霊じゃないですが、背中を押すというか、聴く人の力になることができる。世の中での歌手の役割というものを初めて感じさせてもらいました」
まだ大晦日にレコード大賞と紅白歌合戦が同日開催されていた時代。
「武道館でレコード大賞の作曲賞をいただいて、そのままNHKホールへ移動して紅白歌合戦に出演する。噂には聞いていましたが、これかって(笑)。
レコード大賞の会場には両親も来てくれたんですが、苦笑いさせることになってしまって。賞をいただいた『Woman』を披露したとき、2番まで歌うことを知らず、演奏が始まっても間奏だと思って、しばらくボーッと突っ立っていたんです。やってしまいました(笑)。
紅白で歌わせていただいた『君のいる星』は、あれっ!? 今回のベストアルバムに入っていないな。これは別で披露するために、あえてですね(笑)」
活躍を続ける中で離婚も経験
数々のCMソングやドラマなどのテーマ曲が収録されたアルバム『yell』('92年)、『Steps』('93年)、『Starting Over』('94年)が3作連続でオリコン1位を獲得。
また、バラエティー番組から誕生したウッチャンナンチャンの南原清隆、キャイ~ンの天野ひろゆき、ビビアン・スーによる企画ユニット“ブラックビスケッツ”による『タイミング~Timing~』('98年)の作曲も手がけ、150万枚以上を売り上げるミリオンヒットとなった。
さらに、ディズニーアニメ『美女と野獣』の主題歌『ビューティー・アンド・ザ・ビースト~美女と野獣』などを歌う米有名歌手のピーボ・ブライソンといったグラミー賞アーティストとのデュエット曲を発表するなど、まぶしいほどの活躍を続けてきた中西。
「出会いに恵まれていたんじゃないかなと思います。すごくラッキーだった」
プライベートでは、'98年に現在ナチュラリストとして活動する益戸育江さん(元女優の高樹沙耶)と結婚。公私ともに充実していたが、'00年に離婚。1年間のサンフランシスコ生活を経験する。
「サンフランシスコでは、ワールドツアーを回っているような有名なミュージシャンが故郷に戻ってきて、教会やお祭りで演奏している姿をよく見かけたんです。ごく自然に、楽しみながら音楽で地域に貢献をしている姿を見て、自分も日本に戻ったら音楽でなにかしらの貢献ができたらと思いました」
『ぼよよん行進曲』に込めたメッセージ
帰国後、地元・岡山の開業医が主催したフィリピンのストリートチルドレンを救うためのチャリティーコンサートに出演。
そこからNHK『おかあさんといっしょ』の体操の曲として長年愛された『ぱわわぷたいそう』('05年~'14年)を歌うことに。劇団ひとりが“心の支え”と公言している大人も泣ける名曲『ぼよよん行進曲』('06年)に続いていく。
「僕が体操の曲を歌うっていうイメージがないようで、かなりビックリされた方もいらっしゃったみたいです(笑)。ただ、自分の中では必然のようなお誘いでしたから、自然に受けることができました。
『ぼよよん行進曲』というものを作り残せたことは、自分にとってもすごく大きなことだったと思います。子育ては、ストレスがたまることもあると思う。
“大変なことがたくさんあるけれど、自分の足のバネを信じて頑張っていこう”というメッセージが、奮闘する親御さんたちに伝わったようです。楽しい曲だけど、泣ける。でも、泣くことで、また頑張る力が湧いてくると」
'00年以降、何をモチベーションにして曲作りをすればいいのか、自問自答する時間がたっぷりあった。音楽から離れたいと思ったことも。『ぼよよん行進曲』を作っているときもそう。聴く人に寄り添って書いたメッセージは自分自身にも向けられていた。
「“いまより高く飛び上がるタイミングがくるから、そこまで頑張ろう”と、自分にも語りかけていたと思います。
世の中には出ていないけれど、貢献活動で作った曲もありました。『美しい唄』は北海道の美唄という町との出会いがあって書き下ろした曲。今回、10年越しでレコーディングをさせていただけた。
何年かかろうと時が来れば世に届けることができるんですね。納得がいく作品を作り続けてこれたと、この節目に振り返ることができたのは、ありがたいし、幸せなことです」
いろいろ変わったけれど、声は変わらず
あまたのヒット曲を当時の声で聴くことができるベストアルバム『All Time Best~KEIZO's 25th Anniversary』には『Choo Choo TRAIN』など楽曲提供した曲のカバーや『美しい唄』のように新たに録った曲も収録されている。驚くのが、デビュー当時と変わらない気持ちのいい高音のソウルフルな歌声。
「いろいろ変わっているところもありますけど、そうなんですよね。変わらないように一生懸命やっております(笑)。マイクを使わないコンサートをやったりして、声楽を学んだことが功を奏しているのかもしれません。
この先ですか? 世の中の流れに身を任せながら、チャンスに向かって思い切り爆発できる、立派な“大人子ども”でいたいですね。
いろいろ世間を騒がせましたが、2度目の結婚はとても幸せに過ごさせていただいておりまして(笑)。ふたりでいろいろなものを見て、ワクワクしながら過ごすこともプラスになっています。
25周年を迎えて“圭三チャレンジ”と題して、いろいろなことに挑戦しています。11月には華々しく大所帯のバンドでライブもします。これからも果敢にチャレンジしていきますよ」
<ライブ情報>
デビュー25周年と52歳の誕生日を祝うライブ『祝宴 -UNITE! 全員集合!-KEIZO NAKANISHI's 25th Anniversary & 52nd Birthday Live』を11月10日、品川プリンス・ステラボールにて開催
<作品情報>
25年の歴史をたどるコンプリートベストアルバム
『All Time Best~KEIZO's 25th Anniversary』9月7日発売。2CDには全30曲、DVDには11曲を収録。初回限定盤(2CD+DVD)5000円+税、通常盤(2CD)3500円+税