「台湾籍は放棄したし、日本を愛してるから問題ないって事でなく、二重国籍なのかどうか、なぜこれまでの発言が違ってたのか、そゆとこなんですよね。だから二重国籍を追及された質問で、台湾籍を放棄しました、日本を愛してますは、回答としてズレてるし、外国籍の人からしたら不快にすら感じるわけ。」(9月8日フィフィTwitterより)
日本を愛しているという必要はない
私は2歳から日本に住んでいるんだけど、いまだに“どこの国籍なの?”と尋ねられることがよくあります。
さらには、“日本とエジプトではどちらの方が住みやすい?”、あるいは“日本は好き?”といった質問も投げかけられる。スポーツ観戦をしていても、“日本とエジプトどちらを応援する?”とかね。
だけど、どこの国籍かというのはプライベートな質問だし、こうした質問を問われた側は非常に困ってしまう。面白いゲームを望んでいます、とか答えるんだけど。
私に限らず、国の狭間で生きてきた人間は、こうしたある意味いじわるな質問をしばしば受けることがあります。おそらく蓮舫氏も、同様の境遇下にあったのだとは思う。
そんななか今回、二重国籍疑惑を受け、野党第一党の代表としての資質を問われた際、蓮舫氏は「生まれ育った日本に誇りを持っているし、愛している。その部分では国籍法に基づいて正式な手続きで、日本人になった。台湾籍も放棄している。ここに尽きる」とおっしゃられました。
一見、愛国心に満ちた発言のように思われますが、この“愛している”という発言に私は違和感を持ったの。
おそらく今までの人生で散々“どこの国籍? 日本は好き?”と、まるで図られるかのような質問を受けてきたであろう事情は察します。
だけど、政治家は日本を愛しているのは当たり前。国のために行動しなければならないわけだから、わざわざ日本を愛していると言う必要はありません。
それに、外国籍であっても日本を愛している外国人はたくさんいます。日本を愛していると言われて悪く思う日本人はいないとは思いますが、二重国籍問題を“愛している”という一言で誤魔化そうとしているのなら、むしろ日本の有権者をバカにしている発言だととられてしまいかねないよね。
国籍を確認するのですら、時間がかかるのだから…
そして今回の件を通して私が痛感したことがもうひとつ。
蓮舫氏は、台湾籍がたしかに放棄されているかどうか、直ちに確認が取れないため、新たに除籍の申請を行なったとおっしゃられました。国籍という単純なものですら、政治家の裏をとるのは時間がかかるということです。
政治家の方々のなかには実にさまざまな疑惑が山のようにありますが、真相を解明するのはなかなか大変なことなんだなと改めて痛感しました。
《構成・文/岸沙織》