8月9日から28日まで公演されていた歌舞伎座『八月納涼歌舞伎』。中村勘九郎や七之助らによって、今公演で初お披露目された演目『廓噺山名屋浦里』が歌舞伎ファンを大いににぎわせた。というのも今作は、タモリと笑福亭鶴瓶の大御所2人が作り上げた噺だったからだ。
「吉原の花魁『浦里』と堅物侍の人情噺なんですが、もとはタモリさんが、'11年にNHK『ブラタモリ』で吉原を訪れたときに仕入れた話です。そして『笑っていいとも!』(フジ系)の楽屋で話を聞いた鶴瓶師匠が、作家さんと落語に練り上げたのが『山名屋浦里』です」(落語関係者)
昨年1月から自身の落語会で同作を披露している鶴瓶。“原案者”であるタモリが、花束を持って落語会をサプライズ訪問しては鶴瓶を祝福、驚かせたエピソードは以前、「週刊女性」でも報じている。そんな黄金タッグが生み出した作品に、いち早く注目していたのが歌舞伎役者の中村勘九郎だった。
「『浦里』を伝え聞いた勘九郎さんは“ぜひとも歌舞伎にさせてください”と、頼み込んだそう。思わぬ“オファー”に細い目を見開いて驚いた鶴瓶師匠はタモリさんと相談して、“おもしろい舞台にしてください”と快諾したのです。『中村屋』とは何かと縁もありますからね」(前出・落語関係者)
コクーン歌舞伎を立ち上げて、ニューヨーク公演を実現させた故・中村勘三郎さんと同様に、勘九郎は歌舞伎界において“アイデアマン”として知られている。とくに新しいものを生み出すことに関してはさすが、若い感性ということだろう。通常ならばひとりで演じる落語を、今回はしっかりと歌舞伎に仕立ててみせた。
さらに勘九郎は、『山名屋浦里』で意外な役者を歌舞伎デビューさせていた。
「鶴瓶さんの息子で俳優の駿河太郎さんも出演しました。9月11日から舞台公演がスタート、22日には映画も公開される勘九郎さん主演の作品『真田十勇士』にも、太郎さんは出演しています。
その縁あって勘九郎さんに誘われて歌舞伎座に立ったのかもしれないですね。鶴瓶さんも生前の勘三郎さんとは交友がありましたが、息子同士を引き合わせたことはないのだとか。不思議な巡りあわせがあるんですね」(芸能プロ関係者)
さて28日の千穐楽、『三部』最終演目の『浦里』終演後にはカーテンコールが行われた。慣れない演出と一向に鳴りやまない拍手に勘九郎、七之助らが困惑していると、花道を歩いて舞台に向かう2人の影アリ。そう、この日またも来場していた、タモリと鶴瓶による千穐楽ならではのサプライズ登壇だった。
グレーのジャケットに白いパンツ、かぶっていたハットをとったタモリ。そして黒のジャケットにハーフパンツを合わせた鶴瓶。
スタンディングオベーションで総立ちだった客席からは、より大きな歓声と拍手が沸き起こった。
「去年から落語として上演しているんですけども、こんなにも早く歌舞伎になるとは思ってもみませんでした。それにしても不思議ですね。だってコレ、落語ではひとりでやっているんですよ」
と話した鶴瓶。ことの“発端者”タモリも、
「吉原を特集したときに、自分も興味があって資料を調べていたら、この話のもととなった実話に会いました。それを落語か講談にできないか、と鶴瓶に話したら、“やるで”と。でも、こんなに早くこんなふうに歌舞伎になるとは驚きましたね」
自身が見つけた話を相棒が落語化、そして歌舞伎として多くの人を魅了したことがよほどうれしかったのだろう。最後にテンションが高まったのか、タモリが「あーいー!」と劇中の『禿』のまねをして爆笑をさらうと、同時に幕が下りたのだった。
また千穐楽の楽屋裏では別の祝い事も催されていた。『山名屋浦里』と同じ三部で、こちらはおなじみ『土蜘』を踏んでいた中村橋之助だった。
実はこの日をもって、36年間名乗った中村橋之助としての最終公演となった。10月の歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎』では、八代目『中村芝翫』を襲名するのだ。
「幕が下りると、市川猿之助や市川右近、市川染五郎ら演者、スタッフはもちろん、團子の付き添いで来ていた中車も橋之助を囲みました。タモリさんや鶴瓶さんからも“お疲れさま”と、ねぎらいの声が届いたといいます」(歌舞伎関係者)
タモリと橋之助にも遠からぬ縁がある。橋之助の妻、三田寛子は『花の82年組』のアイドルとしてデビューするも、ブレイクしたのは『笑っていいとも!』だった。
「料理コーナーでタモさんのアシスタントとして活躍、可愛がられていました。そんな三田さんと橋之助さんとの結婚を聞いて“反対”したのだとか」(テレビ局関係者)
というのも、当時の三田はお世辞にも料理上手ではなく、天然キャラが売りだった。
「タモさんは“梨園の妻”としてやっていけるのか心配だったみたいですね。でも、日々精進したのでしょう。いまや三田さんはお手本ともいうべき存在です。3人の息子さんたちも立派な歌舞伎役者として成長しました」(前出・テレビ局関係者)
9月上旬、勘三郎さんが過ごした、勘九郎一家や七之助が住む都内の豪邸を、袴姿の橋之助が息子たちを連れて訪ねていた。自身と息子たちの襲名を勘三郎さんに報告していたのかもしれない。これまた義理人情の噺。