「天皇陛下の生前退位について、政府は現在の陛下の退位のみを可能とする特別措置法を制定し、皇室典範の抜本的な改正は見送りにする方針のようです」
そう話す宮内庁担当記者が続ける。
「8月8日の陛下のお言葉によれば、皇室典範の改正にも踏み込んでもらいたいと読み取ることもできます。
ただ皇室典範改正となると、議論が長引き、意見の分かれる女性・女系天皇や女性宮家の問題にも立ち入らなくてはなりません。
政府としてはまず特措法で陛下に退位していただき、残りの問題は当面は棚上げにするつもりのようです」
いずれにせよ、長期療養が始まってから13年になる皇太子妃雅子さまが、「皇后」になる日は数年以内になりそう。
「昨年ごろから雅子さまに、“〇年ぶりのお出まし”というような久々の公務が増えているのは、陛下の退位のご意向を内々にお受けになったからかもしれません」(宮内庁関係者)
実はこの秋は、雅子さまが皇太子さまに見初められてから、ちょうど30年になる。
おふたりの出会いの場となったのは、'86(昭和61)年10月18日、スペインのカルロス国王(当時)の第一王女のエレナ王女が来日したときのお茶会。
「皇太子(当時・浩宮)さまと初対面だった雅子さまは、“浩宮さまって、そんなにおえらいの?”と、母方の祖母におっしゃったといいます。
皇太子さまは“ケタ違いにスケールの大きい女性”と雅子さまに“一目惚れ”でしたが、雅子さまはお妃候補のひとりになっているとは夢にも思われなかったようです」
そう当時を振り返るのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。
当時の小和田雅子さんは、外交官試験に合格したばかりで「外務省から内定をもらったとき、これで自分は結婚できないかもしれない、とも……。両立させたいですね」と新聞のインタビューでお答えになっている。
「その後、雅子さまは皇太子さまにパーティーなどで何度かお会いになり、皇太子さまの思いは高まっていったようです。
一方、雅子さまは外務省の在外研修生として英国のオックスフォード大学に留学することになり、連絡は途絶えたようです。
また、雅子さまの母方の祖父が、水俣病の原因となったチッソ社の社長を務め、宮内庁内にも皇太子妃として異論が出たことで、皇太子さまは1度はあきらめられたようです」(宮内庁関係者)
しかし、その後の皇太子さまの猛アプローチもあり、'93年に、おふたりは華燭の典を挙げられた。
しばらくは子宝に恵まれず、愛子さまの誕生後は「適応障害」に苦しみ続け、結婚生活の半分以上が療養生活となってしまった雅子さま。
「最近では、ご病気という挫折を乗り越え、愛子さまのご成長もあってか、雅子さまのお出ましは増え、苦手とされる行事にも出席されるようになりました。
天皇陛下が生前退位の意向を示されたこともあり、次の皇后としての自覚と覚悟がより深まってきているのだと思います」(前出・渡辺さん)