ホームドアのない駅は都内にも多く存在する

 鉄道業界の隠語に“マグロ”というのがある。いわゆる人身事故のことだ。

 現在では、列車衝突のような鉄道事故は稀だが、人身事故は日常茶飯事で、鉄道で亡くなる人は後を絶たない。

 盲導犬を連れた会社員がホームから転落し、進入してきた銀座線にはねられて死亡(2016年8月15日発生)。人身事故には、視覚障害者が被害者になるケースも少なくない。この事故が示すように、特に視覚障害者にとって、鉄道は必ずしも安全ではないのだ。

 一方で、人身事故で圧倒的に多いのは飛び込み自殺である。自殺の場合、鉄道会社は完全に“被害者”という立場で、鉄道マンたちは忌々しい思いを込めて“マグロ”と呼ぶ。

「どうせ死ぬなら別の場所でやってくれよ」

 これが彼らの本音だ。

 国土交通省の資料(2010年3月)によれば、首都圏で発生した輸送トラブルのうち、自殺による影響額は平均8900万円と試算された。しかも、これは影響が1時間未満だったものだけを対象としている。

 この金額は、鉄道会社の被害額ではなく、社会への影響を示す金額だが、その迷惑の大きさがあらわれている。

「XX時XX分頃、○○線、△△駅~□□駅間にて人身事故発生・・・」

 この一斉放送が流れると、鉄道の各現場は戦場と化す。乗客にも多大な迷惑がかかるが、鉄道マンたちも大変な状況になるのだ。ラッシュ時であれば、なおさらである。

 駅では、続々と人が集まるが、乗客を運ぶ電車が来ない。乗務中の運転士や車掌は、満員電車に耐える乗客とともに、車内に閉じ込められる。苛立ちを募らせる乗客の中、鉄道マンたちは恐怖すら感じるのだ。

朝の満員電車に人身事故が重なると駅のホームは大混乱に

 時間に厳密である鉄道は、それが乱れると大混乱になる。乗務員の勤務や車両の検査予定も狂うため、放っておくと、延々と乗務を続ける乗務員が出るし、必要な検査ができなくなる車両も出る。

 つまり、遅延によるダイヤの混乱だけでなく、乗務員や車両の運用も混乱するのだ。

 この混乱の中で、指令と検修現場、乗務員区との間では怒号が飛び交う。お互い、自分の担当部分を早く平常化させたいため遠慮はないし、悪習だが、鉄道の現場では声が大きい人の意見の方が通りやすい。

 しかし、人身事故でもっとも辛い思いをするのは、自殺の現場にいる鉄道マンである。

 鉄道は、ブレーキをかけても急には止まれない。様子のおかしい人がホームにいても、嫌な予感がしても、運転士は電車を止められないのだ。自殺者が電車進入の直前に飛び込むと、頭が前面ガラスに激突し、運転士の眼前で凄惨な死を遂げる。運転士が受けるショックは計り知れない。

人身事故の場合、線路にも損傷を与えることがある

 自殺の状況により、遺体の損壊も大きく変わる。いずれも悲惨だが、体が車体に弾き飛ばされれば不幸中の幸いで、車両の下に入り込み、台車に巻き込まれ、轢断されてバラバラになれば悲惨である。運転再開は遅れるし、その体を拾う鉄道マンは哀れである。

 現場での処理が終わり、運転再開になれば、ようやく乗客たちは救われる。多くの鉄道マンたちも胸をなでおろす瞬間だ。

 しかし、その後も“マグロ”の対応は続く。人身事故の車両は、回送で検修現場に入り、異常がないか検査を受ける。このとき、車両が汚れていれば清掃も行う。筆者は、このような作業にも従事してきた。

 凄惨な事故の場合、車両の床下機器が血に染まったり、肉片が残っていたりする。それに目を背けず、壊れている機器がないかを確認し、汚れているところを洗い流すのが仕事だ。

 人間の肉片を見てしまうと、しばらくの間、料理で挽肉を使ったり、食べたりするのが嫌になる。それでも、時間の経過とともに平気になるのだが、意外に長引くのが、鼻に残る“臭い”である。

 損壊した遺体は、独特な強い臭いを放つ。その臭いを鼻が覚えてしまい、テレビや映画で人が殺されるシーンを見ると、鼻が臭いを思い出してしまうのだ。

 人身事故は社員や乗客に多大な迷惑をかけるため、自社に非がない場合、鉄道会社は遺族に冷徹な対応を行うことがある。

 2007年、愛知県大府市にあるJR共和駅で、認知症の男性がホーム先端のフェンスを開けて線路に降り、電車にはねられて死亡。その後、JR東海は遺族に対して損害賠償を請求して提訴した。

 飛び込み自殺ではないこともあり、この件では遺族が裁判で争ったが、一審は家族側に約720万円の賠償を命じている(二審では、フェンスが施錠されていなかったことから、JR東海の責務も認めて賠償額が半分になった)。介護で疲弊する家族に対して過大な責任を負わせる判決だったが、最高裁まで家族は争い続けて、2016年3月1日にJR東海の逆転敗訴が確定する。

 もとより、JR東海は売上高1兆7000億円の企業であり、賠償金が経営に影響を与えることはない。それでも提訴したのは、自社が受けた被害に対して責任をとらせる姿勢を貫いたためだろう。

佐藤充氏が執筆した『鉄道業界のウラ話』(彩図社より)

 人身事故も、それぞれのケースで責任の所在は異なる。しかし、死と隣り合わせのホームがあること自体、いずれのケースでも鉄道会社の責任は免れないのではないか。

 少なくとも、線路に降りるような危険な扉は、子供や認知症の人が簡単に開けられないようにしておくべきである。

 また、ホームドアが設置されれば、視覚障害者も、酔客も、ホームから転落することはないし、飛び込み自殺も防止できる。多大なコストがかかるホームドアの設置は、遅々として進んでいないのが実態だが、そんな現状に対して、鉄道会社に注がれる視線は厳しくなっている。

 これからは、飛び込み自殺による人身事故であっても、鉄道会社を“被害者”と見る人は減ってくるはずである。もちろん、"マグロ"の対応をする鉄道マンは同情されるべきだが。


文)佐藤充(さとう・みつる):大手鉄道会社の元社員。現在は、ビジネスマンとして鉄道を利用する立場である。鉄道ライターとして幅広く活動しており、著書に『鉄道業界のウラ話』『鉄道の裏面史』がある。また、自身のサイト『鉄道業界の舞台裏』も運営している。