“復興”という希望の言葉が被害を隠す──。避難指示解除の進む地域で人々から話を聞くと、そんな言葉が浮かぶ。この現象について、避難者とともに復興政策の検証を続ける首都大学東京の山下祐介准教授は、次のように分析する。
「メディアでは“自治体も住民も国も、帰りたいと思っている”“帰還を実現すればハッピーなんだ”という考えがよく示される。人々の心を傷つけまいという思いとともに、政府の方針に反しませんから。メディアが斟酌している」
しかし、現状を見ると、性急な避難解除に納得していない住民は多く、帰還も政府が言うようには進んでいない。
「本来は帰れる判断をするための前提が必要です。前提が成り立っていれば、帰還は当然だし、復興につながる。しかし、前提が抜けたうえでの“帰還政策”はおかしいんです」
「避難者は“怖いから帰れない”と言っていい」
住民が帰還できる“前提”とは何か?
「現状では、除染によって被ばくしない状況が作られ、インフラ、仕事、コミュニティー、学校が整備されれば帰還できる── 一部の声をもとに、そういう“前提”で進められている。
しかし、帰れない理由はそれだけではない。根っこにある“大前提”は、安全なはずの原発が爆発したという事実なんです。しかも再事故の可能性さえ否定されていません。
そもそも日本で原発が事故を起こすと思われていたか。関係者だけでなく日本人のすべて、原発反対の人も含め、本当に今回のレベルの事故を想定したことがあったか。事故前には、そんな人はいなかったでしょう」
起こるはずのない事故が起きた。しかも現状では、しっかりとした原因究明はされていない。にもかかわらず「収束宣言」や「アンダーコントロール」という言葉が先走るが、国民の多くは事故を起こした原発が完全にコントロールされているとは思っていない。廃炉工程の見直しが繰り返され、汚染水に手を焼き、溶けた核燃料もいまだ確認されていないのが実情だ。
「起きないはずの事故が起き、解明も総括もされていない。それで帰れるのか。避難者は“怖いから帰れない”と言っていいんです。
帰れる前提が成り立ち、この原発で2度と事故は起きないと客観的に判断できる状況があれば、帰りたい住民も増えるでしょう。それがないのに、帰れるというのは詭弁です。住民は、“事故を起こしたのは誰なんだ!”“ふるさとをこんなふうにしたのは誰だ!”“元通りの安全な場所にしろ”と言うべきです」
「支援を断ち切るための避難の“解除”が進んでいる」
例えば、自動車事故であれば、加害者が被害者に頭を下げ、賠償し、被害者のペースで解決するのが通常。しかし国は被害者を納得させるどころか、勝手にルールを決め、都合よく早く終わらせようという意図が見えるのだ。そのような理不尽な帰還政策のもとで住民はどうしているのか。
「実際、多くの住民は“通っている”んです。避難元と避難先の2つの地域をまたいで暮らしている。地域をまたぐ暮らしを実現させているのは、今の政府の支援です。その支援を断ち切るための避難の“解除”が進んでいる。やるべきは、二重住民票などの長期避難を支える制度作りです。賠償が惜しいからといって、やるべきことをやらないのは無責任です」
被害を受けた住民のために、何もかもを奪われた地域の“真の復興”のために、国は、どういった対策をするべきなのか?
「賠償問題よりも前に、帰るに帰れない状況を作り出した責任を国はきちんと認めること。廃炉までの長期的な展望をもって、復興政策を組み立てる覚悟をすることです。性急な解除ではなく“いつか、やがて帰る”という長期政策・制度化によって復興すべきです。帰還政策を進め“事故はなかったことにする”というのは、信頼再建どころか新たな信頼失墜にしかつながりません」
<プロフィール>
取材・文/吉田千亜
フリーライター、編集者。東日本大震災後、福島第一原発事故による放射能汚染と向き合う母親たちや、原発避難者への取材を精力的に続けている。近著に『ルポ 母子避難』(岩波書店)