『手のひらの京』(新潮社)は、綿矢りささんの3年ぶりの長編小説で、主人公は図書館勤務の長女・綾香、社会人1年目の次女・羽依、理系大学院生の三女・凛の三姉妹。
 31歳の綾香は結婚にまつわる悩みを抱え、トントン拍子の人生を歩んできた羽依は生まれて初めて壁にぶつかり、研究に没頭する凛は将来、東京に出たいという気持ちをひそかに抱いて過ごしている。三姉妹の春夏秋冬を描いた小説の舞台は、京都だ。

京都と距離ができたからこそ書けた作品

「京都は私が生まれ育った場所です。お寺や神社といった観光地はもちろん魅力的なのですが、なにげない街並みや自然の中にも京都のよさがたくさんあるように感じていましたから。自分なりに京都という土地を紹介できたらと思い、この作品を書きました」

『手のひらの京』について語る綿矢りささん 撮影/森田晃博

 本作の執筆にあたり、綿矢さんは谷崎潤一郎の『細雪』に大きな影響を受けたという。

『細雪』は四姉妹の日常を通して土地を見せるという手法が豊かな世界観につながっていて、本当に素晴らしい作品だと感動しました。『細雪』の京都版のような小説を書けたらいいなぁと思ったことが、この作品を執筆する大きなきっかけとなりました

 主人公の三姉妹には、綿矢さんのさまざまな思いが込められているのだそうだ。

20代から30代までの、いろいろな女性が暮らす京都を書いてみたかったんです。家族を描きたいという思いもあったので、同じ家に住んで喜びや悲しみを分かち合えるような姉妹という設定にしました。私自身、弟との二人姉弟なので、もともと姉妹に憧れる気持ちがあったんです」

 三姉妹の中で、いちばん自分に近いのは羽依だと感じているそうだ。作中には、悪目立ちを避ける京都の文化の中で、持ち前の容姿を堂々と自慢して生きてきた羽依が、社内で強烈な嫌みを浴びせられ、逆ギレをする場面がある。

思わぬ出来事に直面したときの混乱ぶりとか、内面のエキセントリックな感じには共通する部分があるように思います。もちろん私は、羽依のように気持ちのいい啖呵は切れないのですが(笑)

 姉妹といえども、京都という町との距離感は三人三様で、それが読み手に多様な京都観をもたらしている。

「綾香は京都という土地にどっぷりと浸かっていて、羽依は土地の空気感をうまく利用していますよね。凛は京都と距離を置かないと、自分自身を確立できないと感じています。私の感覚は凛に近いですね。京都を好きだからこそ、遠くから眺めてみたいという気持ちが大きかったですから。京都を離れて暮らしはじめたからこそ、この小説を書けたような気がします

歴史ある場所だけに土地の持つ重さもある

『手のひらの京』(新潮社) ※記事の中で画像をクリックするとamazonの紹介ページにジャンプします

 各地から観光客が訪れる京都だが、本作には観光だけでは知りえない京都の側面が描かれている。例えば、上京を希望する凛に父親がこう語る場面がある。

── 凛は京都の歴史を背負ってゆくのに疲れたんちゃうか ──

「京都はたくさんの歴史を重ねているぶん、土地の持つ重さや迫力のようなものがある場所だと思うんです。町と自然が共存しているし、観光名所がゆえに人の流れもあるし、すごく住みやすい場所です。

 でも、その居心地のよさに引き留められるというのでしょうか。私自身、大学進学の際には一大決心で上京したんです。東京で暮らしはじめてからも、“目が覚めたら京都にいるんじゃないかな”って思ってしまうくらい、京都という土地に後ろ髪を引かれていました」

 本作にはさまざまな京都の姿が登場するが、綿矢さんが描けてよかったと実感する場面のひとつが夜の嵐山だという。

夕闇の時間帯の嵐山は、それまで鳴りを潜めていた怪しげなものたちが動きだすような雰囲気があるんです。季節としては、ちょっと厳しめの面を見せている、冬の嵐山が好きです

 ちなみに、お正月の場面で登場する八坂神社は、綿矢さんにとってのパワースポット的な場所でもあるのだそうだ。

八坂神社の玄関口である西楼門は、四条通のつきあたりにあるんです。大晦日やお正月は特に参拝客が多いですし、四条通からは普段から土地的なパワーが流れ込んでいると思うんです。それらを全部受け止めてもびくともしない神社なので、元気が欲しいときによく行っていました

 おせち料理やおばんざいなど、食事のシーンを通して京都の豊かな食文化にも触れることができる。

「例えば、万願寺とうがらしひとつとっても、私が子どものころはかつおぶしで煮しめる料理くらいしかなかったんです。でも最近は、ラー油で炒めたじゃこと合わせた“万願寺とうがらしとじゃこの炊いたん”とか、ちょっとしゃれたおばんざいが増えたなぁと感じています。食の場面は、最近の京都のお料理を意識して書きました」

 17歳で小説家デビューを果たした綿矢さんも、すでに30代を迎えている。

この小説は、自分の20代を振り返った作品でもあるんです。普段の京都を紹介しているので、京都に興味がある人や、観光で行かれる方に読んでいただけたらとてもうれしいです

<プロフィール>
わたや・りさ。1984年、京都府生まれ。2001年『インストール』で第38回文藝賞を受賞しデビュー。早稲田大学在学中の2004年『蹴りたい背中』で第130回芥川賞受賞。2012年『かわいそうだね?』で第6回大江健三郎賞を受賞。近著に『ひらいて』、『憤死』、『大地のゲーム』、『ウォーク・イン・クローゼット』などがある。