大手広告会社『電通』の新入社員だった高橋まつりさん(享年24)が過労自死した事件は、違法な長時間労働の疑いがあるとして厚生労働省が同社の強制捜査へ乗り出す事態に。働き方について、かつてないほどの注目が集まっている。
女性の労働問題に詳しい弁護士・中野麻美さんが指摘する。
「政府は働く人の労働時間がだんだん短くなっていると言っています。だから電通みたいな企業は異例だとして、特別班を組んで血祭りに上げている。でも、実態は違う。長時間労働の企業はむしろ蔓延しています」
電通は氷山の一角にすぎない。それを統計が裏づける。中野弁護士によると、
「2013年の『労働力調査』によれば、日本人の平均労働時間は年2140時間と、かなり長い。男性は年2700時間を超えると指摘する調査もあります。1990年代の初頭には1日10時間以上働く人は十数%程度しかいなかったのが'00年代以降、50%近くにまで増えています」
長時間労働がはびこる現状に、「電通の事件は他人事と思えない」と嘆くのは業界紙で働く女性記者(40)。人手不足から月200時間の残業が数か月続き、「ここで倒れたら休めるのにと何度願ったかしれない。カラカラの雑巾を絞るようにして生きていた」と話す。
職場では、仕事内容や労働時間に男女の差はない。だが激務の日々に見切りをつけ、同期の女性はほとんどが職場を去った。
日本には長時間労働を規制する法律がない
『忙しさも、男女平等だよ。』─。これは男女雇用機会均等法が成立した1985年の広告コピーだ。均等法が施行されて今年で30年になるが、働く女性を取り巻く環境は大きく変わった。
「均等法ができる前までは“女性保護”という決まりがあり、女性の深夜勤務や休日勤務を禁じていました。ところが均等法が成立し、男女平等にしてほしければ労働時間も一緒にしろ、となったのです」
そう話すのは、ジャーナリストで和光大学教授の竹信三恵子さん。
均等法の成立前から、男性の働き方は'80年代に流行したCMソング『24時間働けますか?』を地で行く状態だった。家のなかを切り盛りしてくれる支え手がいるから長時間、外で働くことができる。ところが、働く女性が支え手を期待するのは難しい。
「福祉予算が増えないから保育園や介護施設も不足しています。そうなると女性たちは、男性と同じように長時間働きながら育児や介護も自分でやらなければいけなくなる。当然、できるわけがない。女性に不利な仕組みが最初から取り入れられた構造になっているんです」(竹信さん、以下同)
子どもの世話を実家に頼れる人はいいが、誰もがあてにできる環境ではない。
「仕事と家庭の両立は無理ということで、なかでも事務職の女性たちがパートや派遣などの非正規に流れていきました」
さらに均等法と同年、労働者派遣法が成立する。
「フルタイムで働くのは大変だから、派遣で好きなときに働きましょうね、という触れ込みだった。ところが派遣は低賃金で不安定、家計を支える労働にはなりません。すると男性は、さらに一生懸命に働き続けなければならなくなる」
驚くべきことに、日本には長時間労働を規制する法律がない、と竹信さん。
「労働時間の上限は、1日8時間、週40時間と労働基準法で定められています。ところが労働組合と企業側が協定を組み、労組が認めたら事実上、何時間でも働ける仕組みになっている」
つまり抜け穴だ。そうして長時間労働で縛りつけられ、会社の言うままに転勤を強いられてきた日本の男性正社員。一方、女性たちを中心とした非正規枠は拡大の一途をたどっていく。'14年には、働く女性で非正規の占める割合が過去最高の56・7%に達している。
「バブル崩壊後、主婦パート以外にも非正規が広がり、就職先がないから新卒で派遣という人たちまで出てきた。特に単身女性が目立ちます。'08年の年越し派遣村で問題視されたような男性非正規も増えました。そもそも派遣の賃金は市場の影響を受けやすいうえ守ってくれる労組のような存在も少ないため、値崩れしやすい。そうした流れのなかで貧困化が始まります。女性の貧困は今後、さらに深刻化していくでしょう」
非正規として働く女性のなかには、正社員と変わらない仕事をこなす人も増えている。非正規なのに正社員と同じか、それ以上の仕事内容や仕事量を課されているのに賃金は安いまま。理不尽な働かせ方だが「どんどん広がってきています」と、労働ジャーナリストの渋谷龍一さん。
ブラックバイトは“主婦パート”の応用編
世界経済フォーラムによる'16年版の男女平等度ランキング『ジェンダーギャップ指数』で、日本は111位と女性活躍を謳う安倍政権下で過去最低に。理由は、男女の所得格差。非正規女性の賃金は男性の半分しかない有様だ。
「その原点は主婦パート。社会保険料はかからないのに正社員並みの働きをしてくれて、時給は安くすむ。企業にとって、ものすごくお金が浮く存在なんです」(渋谷さん、以下同)
主婦パートは全国に800万人いると言われている。
「安倍政権は正社員の女性を辞めさせないようにしていますが、実際に女性がたくさん進出しているのは非正規、なかでも主婦パートの世帯が増えています。夫のほうが高賃金なので家計補助のように見えるけれど、妻の稼ぎがなかったら生活が成り立たない。実質は第二主収入です。仕事では正社員同様の働きを求められ、家事や育児もやるという二重負担に晒されて、実はかなりの長時間労働を強いられているのです」
表が示すとおり、主婦パートとキャリアウーマン、専業主婦世帯を比べた調査で、最も家事をしない夫は主婦パート世帯だった。夫も長時間労働だからだ。家事・育児は自ずと妻が担うことになり、ますます賃金の高い仕事に就けなくなる。
「企業と政府が結託して、こき使うかわりに、税金を少し安くしてあげるからねと女性からぶんどっている状態です。800万人いる主婦パートにこんな扱いをしていたら、ほかの非正規にも影響しますよ。主婦パートの低賃金に引っ張られる形で男性非正規も賃金を下げられる。ブラックバイトもそう。生活を維持するために稼がなければいけないから、サービス残業も休日出勤もなんでもつけ込める。ブラックバイトは主婦パートの応用編なんです」
正社員も無傷ではいられない。
「主婦パートに比べて君たちの働きぶりはどうか、給料が高すぎやしないかと賃金を下げられたり、もっと頑張って働きなさいと労働時間が長くなったりします」
政府は“働き方改革”として長時間労働の是正を打ち出している。実現すれば女性は働きやすくなるのだろうか?
前出・竹信さんは次のように強調する。
「例えばヨーロッパでは、EUが労働時間に罰則つきの規制を設けています。8時間働いたら帰るという社会的慣習もある。だから女性たちも普通に働けて男性も家事育児ができる。残業が当たり前みたいな日本とは全く違う。男性に合わせて長時間働かなきゃまともに扱いませんよという日本流の“男女平等”ではなく、EU流を目指さなければ普通には働けません」