働けども働けどもパワハラ、残業に追われて―― (写真はイメージです)

 総務省の調査によると、'15年の女性就業者数は2754万人。数が増えたとはいえ、女性が働きやすいようになったとは言い難い。仕事の悩みは尽きず、家庭との両立に頭を悩ませる人も多い。年齢も違えば立場も違う働く女性たち、それぞれの「リアル」に迫った。

残業は月100時間、ビジホに3週間泊まり込んで職場を往復

 どれだけがむしゃらに働いてきても、アラフォー近くなれば20代のようにはいかない。そう身をもって知った甲本佳奈さん(39=仮名)は外資系企業で働く公認会計士だ。本社のある海外とは時差があるため、深夜や明け方まで会社に残ることも珍しくない。

「猛勉強してアメリカ公認会計士の資格を取ったものの、リーマンショック直後で就職先がまったくなかった。だから7年前に、派遣終了後に正社員になるという前提の“紹介予定派遣”で今の会社に入ったんです」

 時給1500円からのスタート。「なんでもやります」と言って入った会社とはいえ、専門職としての知識を活かせない雑務に追われ、イベントコンパニオンのような受付業務をやらされたときは不本意だった。正社員になったあとも、派遣からのスタートだったことが響いて「役職がつくまで買い叩かれていました

 やがて忙しさは増し、残業は月70時間〜100時間に。特に決算のある月は多忙を極めた。当時の社内に、外国会計基準の細かい違いに対応できる人材が佳奈さん以外にいなかったからだ。

「自宅が遠いからと、会社近くのビジネスホテルに3週間ぐらい泊まり込んで、ひたすら職場と往復したこともありました」

 あれをやらないと。これもしなくちゃ。常に会社のことを考える日々。適当に手を抜く部下への怒りも湧いてきた。私は激務にさらされているのに、ずるい。

「同じ職場にいても全員が忙しかったわけじゃない。定時で帰っている人もいた。できる人材がいなかったというのもあるけれど、上司は私に任せきりでした」

 あるとき、佳奈さんは身体が動かなくなっていた。メールの返信を打つこともできない。

「ずっと体調が悪かったのに無理を重ねていた。顔色が青白いとしょっちゅう指摘されていました」

 限界だった。過労により今年の10月から1か月、休職することが決まった。

身体を壊したことで、キャリアや働き方そのものを見直すきっかけになった。休職期間が明けたら、自宅勤務の働き方に切り替えようかと思っています」

「3年は子どもをつくらない」と口約束させられた

 回り道をした末に、新たな一歩を踏み出したのが安藤みちるさん(29=仮名)だ。作業療法士として整形外科のあるクリニックへ就職。大学卒業後に専門学校へ通い直して資格を取り、昨年から働き始めた。スポーツをやっていたとき、ケガで苦労した経験から選んだ職業。だが、みちるさんは今、職場環境に頭を抱えている。原因は院長だ。

 思い返せば、面接の時点で兆候はあった。院長から「結婚は? 子どもは?」と執拗に聞かれたみちるさん。「すぐにつくる気はないけれど、ゆくゆくは……」とぼかして答えたら、のちに直属の上司となる部長から電話が。少なくとも3年は働いてほしいから、「3年は子どもをつくらない」と口約束をさせられた。

「育休を経て今は時短勤務をしている先輩もいますが、働きづらそうで。ナースはみんな、子どもができたら辞めています」

 病院勤務は忙しい。8時前に出勤、患者のリハビリをする傍らカルテを書いたり、医療器具を片づけたり。患者対応の合間に掃除をして、1日に5〜6回は洗濯機を回す。終業時間で仕事が終わることはまずない。残業を終えると帰宅は21時過ぎ。みなし残業として給与に含まれているので、実質的に残業代は出ない。

「技術の習得ができる点は気に入っています。でも、仕事量に対して人手がまるで足りない。だから有給も取りづらいんです。“なんで休むの”と聞かれるし

 体調を崩しても休ませてくれない。自己管理ができていないと責められるため、みちるさんは熱があっても働かざるを得なかった。

 それでも1年目の昨年は、社会人ってこんなものなのかなと思っていた。そして迎えた2年目の今年、ちょっとおかしいんじゃないかと思うようになった。

「夫の祖父が亡くなって、葬儀と通夜に出席するため休みを2日もらいたかったんです。“おじいちゃんだし、(休むのは)1日にならないの?”とかなりシブられました。それも、何度も。承諾してからも“どうにかならない?”と繰り返し言われましたね」

 社会人2年目の今年、結婚。仕事と家庭の両立はプレッシャーが大きい。

「夫のほうが帰って来るのが遅いので、食事の支度は必然的に私がやることに。仕事も始めたばかりだからいっぱい、いっぱいで。夫としょっちゅうぶつかっていましたね。家事、こんなにできない! って

 いま気がかりなのは子どものことだ。来年は30歳。できれば早いうちに欲しい。

「来年で3年目。3年は働いてほしいと口約束した期間が過ぎたら、ほかの病院に移るつもりでいます」