日本からは羽生とも仲のいい同期2人も出場し、田中刑事が3位に。9位の日野に対し、羽生は「もっとこいやって思っています(笑い)」

「非常にあたたかい空気の中で滑ることができました。(田中刑事の3位に)心からうれしいです。ただ日野選手、もっと来いや! と思います」

 11月26日、北海道で行われたNHK杯のフリーの演技を終えて、このように話した羽生結弦。ともに戦った同期の2人に“絶対王者”として、ちょっぴり口撃的(!?)なエールを送ったのだった─。

 今回も大台の300点超えをマークし、2位のネイサン・チェンに30点以上の差をつけての圧勝だった。

前回のカナダ大会のSPでは白い衣装を着ていましたが、今回は全身が淡い紫色で統一。まさかの衣装変更に、リンクに入って上着を脱いだときは観客から“わぁー”っと、どよめきが起こりました。

 本人は“イメージチェンジのため”と話していましたが、前回のカナダ大会でパトリック・チャンに追いつけなかったのが、よほど悔しかったのでしょう」(スポーツ紙記者)

 今シーズンのゆづクンといえば、4月に『左足リスフラン関節じん帯損傷』を患い、約2か月も練習ができない時期があった。所属先の城田憲子ANA監督はシーズン前に受けた雑誌のインタビューで、

《今季は休んでよいという気持ちで構えています。彼にこれ以上苦しんでほしくはありません》(『フィギュアスケート日本代表2016メモリアル』より)

 と体調不安を口にしている。だが、今回のNHK杯直前には彼女は記者団に対して、

「調子はよくなっている」

 と、カナダ大会よりも確実に状態が上向いていることに自信をのぞかせていた。

「フリーは遠くのお客さんまで視線を移しながら演じられた」と余裕も

「今年から城田さんがチームの監督になったことは、羽生クンだけでなく彼のご家族にとっても精神的に大きな支えになっているんです。

 まだ彼が有名になる前は、連盟からのサポートは満足でなかった。それをウラで支えていたのが城田さんだった。そんな彼女が帯同しているからこそ、羽生クンは焦ることなくケガを克服できたのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)

 信頼のおける監督の支えと日本というホームでの大声援。だが、ゆづクンが圧勝できたのは、それ以上の刺激があったからだという。

NHK杯では、珍しく羽生選手の同期である田中刑事選手と日野龍樹選手がそろったんです。彼らとは小学生クラスであるノービス大会から切磋琢磨してきた。

 田中選手は“今の自分がいるのも成長できているのも、やっぱり同期がいたから”とインタビューで答えているくらいですからね。

 羽生選手と日野選手は、それぞれノービスやジュニアで2回優勝に輝いています。田中選手は悔しい思いをしたと思いますが、同期がいたからこそつらい練習にも耐えられたはず。お互いを“ゆづ”“デカ”“フェイ”と呼び合ってますよ」(スケート連盟関係者)

 ちなみに、田中の“デカ”は、名前が刑事だから。日野の“フェイ”は、父親がロシア人というハーフで、ミドルネームのフョードルからきているそうだ。

 試合前の記者会見でも、同期のライバルと戦える喜びをゆづクンは爆発させている。

「NHK杯という由緒ある舞台で一緒に戦えるのは非常にうれしい。もちろんライバルだけど、敵とかライバルとかというよりも、同じ舞台で同期と一緒にスケートができることがうれしい」

SPでは新しい衣装に替えてイメージチェンジをはかった羽生

 '04年にはノービスBで羽生が優勝するも、'05年の同クラスでは、日野が優勝し、2位は羽生、3位が田中だった。'06年ノービスAでは、日野が優勝し、2位は田中、3位は羽生……。というように、1位〜3位を入れ替わりながら、互いを高めあってきた同期なのだ。

ダブルアクセルを跳ぶ時期や、トリプルアクセルを習得するのも、1人が新しいジャンプを披露すると、負けじとすぐに次の選手が練習を始め、最後にお尻に火がついた選手が必死で覚えるという感じ。3人だけは、アクセルジャンプの習得がほかの世代よりも早かったんです」(前出・スケート連盟関係者)

 試合後のインタビューでは同期と戦ったことについて、「純粋に楽しかった!」と満面の笑みで答えていたゆづクン。3人の“同期の絆”があれば、どんなつらいことでも乗り越えられる力になるはず。だから、彼は“絶対王者”でい続けられるのだ─。