1981年に『てれてZin Zin』でデビュー、いきなり日本レコード大賞新人賞を獲得した竹本孝之さん。自分がアイドルになるなんて思ってもいなかったそう。
「友人がオーディションを受けるので、推薦人になったんです。応募用に買ったフィルムと履歴書が余ったので、一緒に出したら、僕だけ合格してしまって」
その後、トントン拍子に勝ち進んでしまい、なんとグランプリを獲得! しかし当時高1の竹本さんには、一級建築士の資格を取り、地元・長崎で大工の棟梁になるという夢があった。
「担当者にデビューは辞退したいと伝えたら、“断るのは自由。しかし君のイスに座りたかった3万人の夢を背負っていることを忘れるな”と言われて。それで芸能界は男子一生の仕事になるのか、考えたんです。グランプリをとりたくてとれなかった人たちの顔を思い出したりしてるうちに、もうこれは運命なんだと思い、両親を説得しました」
上京して、2か月後にデビューを控えたある日、所属事務所の先輩である女性アイドルに遭遇した。
「まだデビュー前ですから、“大物アイドルがいる!”って感じですよ。思わず“サインください”って言ってしまった。そしたら色紙にサインをしてくれながら“これで最後にしなさいよ”と。自分はもうこっち側に来たんだ、絶対やっちゃいけないことをしてしまったと顔から火が出るくらい恥ずかしくて……。そこからですよ、“同じ板の上に立つ人には負けたくない”と思ったのは」
デビュー曲を初披露した公開番組のステージで、同じ舞台に立つ郷ひろみさんを見て「絶対負けない!」と誓い、以後3年間を修業と位置づけ指示された仕事は何でも黙々とこなした。
僕は本当に地味だった
「ドラマ『陽あたり良好!』のスタッフ陣はもともと映画を撮っていた人たちで、指導が本格的。とても厳しかったですけど、この現場で本当に鍛えられましたね」
しかし、派手なことが苦手な性分なので、ドラマの打ち上げで、ディスコでバカ騒ぎするのは嫌だった。
「ほかのアイドルの方たちに比べると、僕は本当に地味だったと思いますよ。出待ちするファンに対しても“冬は6時、夏は8時まで、それ以降は帰れ。もし待ってたら次から出禁だ”と言っていたぐらい」
人気を実感した記憶はあまりないが、1度だけ、大変な目に遭った経験が!
「新幹線のホームで300人くらいの女性ファンが待っていて、誰かが“キャーッ!”と叫んだらそこからもみくちゃになって、Tシャツはつかまれ、引っ張られてボロボロ。マネージャーはすでに電車に乗ってて“バカヤロー、助けに来てくれ!”ですよ。食堂車に荷物を載せるところからなんとか飛び乗ったら、おばちゃんが上から覗き込んできて“兄ちゃん大丈夫? 大変そうやね”って(笑)」
今も男子一生の仕事として音楽活動を続け、20年前からは、観賞のための花や植物専門の花卉(かき)農家としても活躍している。
「アイドル時代は僕の基盤。あの時代があったから、今までやってこれましたね」