「『翼の折れたエンジェル』を発表した当時の声は、人生を重ねていないぶん、ハスキーだけどキュートね。舌っ足らずで。メイクさんに“このほっぺたが、イヤ”って言っていたのを思い出す(笑)。頬がパンパンだと、舌っ足らずな歌い方になるみたい。今回、ティッシュを口に含んで実験してみたらそうなったの。いまは、もうちょっとお肉が欲しいっていう感じになってきちゃったけど(笑)」
'85年に日清カップヌードルのCMソングに起用された『翼の折れたエンジェル』で一世を風靡したのは、中村あゆみが19歳のとき。この曲で一躍スターダムに駆け上がった彼女も、今年で50歳に。
節目の年を迎え、奇跡的に残っていた当時のオリジナルサウンドに、いまの声を乗せた『翼の折れたエンジェル(新録Version)』や、シークレットトラックとして12月6日に発表されたばかりの初のアコースティックバージョン『翼の折れたエンジェル -BALLADE-』。
ほかにも、多くの人々から愛され続けている名曲『ちょっとやそっとじゃCan't Get Love』『ともだち』などを新たに歌い直した記念のアルバム『A BEST〜Rolling 50』を12月7日にリリースする。
「娘が高校生になって、やっと子育てが落ち着いてきたこともある。もう1度、青春を歩いていこう、始めようっていうところに精神状態があるの。そのスタートを切る50歳に出すなら、やっぱり自分を支えてきてくれた作品たちに敬意を表するとともに、これからもよろしくねっていう、過去と未来をつなぐ作品にしたかったし、そうなったと思う」
未来の位置づけとなる新曲『オリーブの花』は、自ら作詞・作曲を手がけたもの。
“ゲス不倫”という言葉が新語・流行語大賞のトップテンに選ばれるほど、今年、世をにぎわせた多くの不倫報道を目にしながら、“応援歌の女王”と呼ばれている中村が、傷つく女性たちに向け「寂しい、不幸を背負った女性になっちゃいけない。賢い人になりなさい」というメッセージを込めて制作した。
「新曲に関しては、最初、自分で書かずにお任せしようと思っていたんです。でも、レコーディングが進んでいく中で、プロデューサーから“中村あゆみの言葉を待ってくださっている人がいるんだから、未来を感じてもらうためにも自分で書かなくちゃだめだよ”って言われて。それじゃなくても、昔の音源で歌うことで死ぬ思いだったのに(笑)。だって、キーは変えられないし、当時以上にクオリティーの高いものを作り上げないといけない。ものすごく神経質に、ひと事ひと事レコーディングしたから」
その苦労のご褒美か、今後の彼女の音楽性がはっきりと見えてきたという。
「目指すところを見つけちゃった! 女性では、まだ誰も踏み入れていない聖地みたいな場所を。欲張りで、好奇心旺盛だから、これまでいろいろなことをやってきたけど、紆余曲折の末にたどり着いたの(笑)」
とびきりの笑顔で語る中村の話を聞いていると、こちらにも彼女の熱が伝染して、ワクワクしてくる。この、“聴く人を奮い立たせるパワー”は30年前から変わらない。デビュー当時と変わらない、スレンダーで抜群のプロポーションを誇る彼女に、どこからその力が生まれてくるのかを聞くと、
「それは、ヘコむ時期があるから。15〜16歳ごろの反抗期のときは、本当につらかったからね。20代で結婚して幸せになるはずが、そうじゃなくなっちゃった。あのときは、人には言えないくらい大変だった。再婚して、今度はシングルマザーになって。いっけんカッコよく見えるかもしれないけど、ぜんぜん違う。髪の毛振り乱しながら子育てして、家のドアを出た瞬間に中村あゆみに変身してきた。
でも、どうせなら悲しいとか、つらいとか、悔しいとか、そういうものをエネルギーにして昇華させていくほうがいいじゃない。歪んだ方向に行くより」
幼少期に、両親が離婚した。大阪で父親と生活を始めるが、再婚相手の女性に反抗して家出し、福岡の実母のもとへ。歌手を目指し、ひとり上京すると、定時制高校に通いながら、年齢をごまかし毛皮や貴金属を売りながら生計を立てていたという。
ついに念願が叶い、歌手としてデビューした中村。トップスターの道を歩みながらも、出産を機に音楽からしばらく離れる。そして、シングルマザーとなった彼女は、再び、ロックシンガーとしてこの世界に戻ってきた。
「よく復帰できたなと思う。本当に『翼の折れたエンジェル』でヒットできた私で、よかった。ありがとうって感じ。だって、(復帰してから)また、キリンのCMソングに選んでもらえることなんて、なかなかないと思うから。こうやって復帰ができたんだから、あとは次のヒット曲を出すだけだよね。
ただ、この時代にヒット曲を出すのは大変だと思ってる。復帰してすぐのころは、子どもを食べさせるために、自分を見失って世間に媚びていた時期もあったよ。ただ、その時期に、中途半端なプライドを捨てられたから、もっと大きなプライドを手にできたとも思っている。だから、これからは、いい歌を歌っていきたい」
娘との関係「育てていくアイデアはある」
最近では、18歳の娘さんから、最新の音楽情報を教えてもらうことが多いそう。
「洋楽がすごく好きで、家では常に流れている。DJもするから、世界中の音楽を知っているのよね。“最近のお気に入りはこれ”って聴かせてくれるの。私が作った曲をいちばん最初に聴くのは、彼女。“マミーの8ビートっていうか、ロックとかって、よくわからないけど、これは大好き”とかって。
うちは、例えば、彼女が、あるアーティストのアルバムが欲しいって言ったら、プレゼンさせるの。それで、私が納得したら、買ってあげる。生きていくって、すべて営業だから(笑)。
世の中の多くのお母さんとは方針が違うかもしれないけど、強く育てていくアイデアはあるよ。でも、いちばん、ママが苦手かも。母親としては“優等生では、ございません”と言っておきます(笑)」
“歌っているママが大好き”と、いちばん近くで応援してくれているのが、娘さんだ。母として、アーティストとして、先輩女性として、40代以上に最高の50代を送りたいと語る中村。はたして、アーティストの彼女が発見したという場所は、どんなものなのだろうか。
「12月10日に26年ぶりに立つ、CLUB CITTA'に答えが出てくると思う。今回のアルバムの制作途中までは、曲なんて書かないって思っていたのに、それが、いまじゃ、いやいや書くぞ! って(笑)。
ここのラインで、ここのターゲットにこういう歌を歌おうっていうのは頭の中にある。あとは歌詞やメロディーを作るのに悩んだりするだけ。でも、それは、私たちの苦しい楽しい作業だから。絶対にカッコいい感じになると思うから、ちゃんと形になったら、また取材してください!」
新たな翼を得たロックシンガーは、50代という空を羽ばたきはじめた─。