12月14日、21年間連れ添った知子夫人との離婚を発表した香川照之。同日の歌舞伎座公演後に行われた会見では、疲労困憊の様子だった。
市川猿之助(現・猿翁)と浜木綿子との間に生まれた香川だが、すぐに父は家庭を捨て離婚。45年間も父子断絶が続いたが、'11年に猿之助が脳梗塞を患ったことがきっかけで電撃和解し、香川と息子の政明くんは歌舞伎界入りを果たした。
「芸能界でどんなに活躍していても、香川は歌舞伎界では新参者なので、自分が『猿之助』の名跡を継ぐのは不可能なのはわかっている。そこで、子どもがいない亀治郎が4代目猿之助になり、政明くんに“5代目”を継がせるのが野望なのです」(全国紙記者)
だが、そのことは知子夫人には重荷以外の何ものでもなかったようだ。
「'12年の襲名当初は、毎日欠かさず劇場を訪れていました。でも、團子を襲名した政明くんが'13年に国立劇場に出演したころから劇場に行かなくなったんです。
その公演中にお囃子のお偉方がブログで、名指しこそしないものの、團子だとわかる内容で“駄馬”と称したのです。その際、香川さんは遠慮して、息子を守る行動に出なかった。それが、知子さんが劇場に行かなくなった原因だと思います。
梨園のプレッシャーで、彼女はみるみるうちにやせてしまった。“俳優の妻になったけど、梨園の妻にはなりたくない”って涙ながらにこぼしていましたね」(香川家に近しい人)
知子夫人同様、香川の歌舞伎入りに苦い思いをしていたのが、母の浜木綿子だ。特に孫の團子に関して『週刊女性』が'13年夏に聞いた際は、
「本人が(歌舞伎を)いやだと言えば、やめればいいんじゃないですか。その子の人生ですから、その子の決断を尊重してほしいと思います」
と、何が何でも猿之助を継がせようという香川の姿勢に疑問を投げかけていた。
離婚が発表された今、改めて浜に真相を聞こうと直撃取材した。
─香川さんの離婚の件は聞いてらっしゃいましたか?
「いいえ、知りませんでした。私も年齢を重ねておりますから、もしかしたら気を遣ってくれたのかな、と。ありがたかったですけどね。驚いてしまいますから」
─政明くんともお話はされてないのですか?
「ええ、全然。でも今も頑張っていますから、勉強も歌舞伎も、このまま頑張ってくれたらいいな、と思います」
と話すと、待たせていた車の中へ入っていった。一部スポーツ紙は、團子の親権は香川が持つと報じている。だが、楽観視はできないという。
「親権を持っても、彼はまだ12歳。やはり母親の愛情が必要でしょう。母のサポートがなく、祖母も歌舞伎に後ろ向きなら、最悪、役者をやめてしまうこともあるのではないでしょうか」(松竹関係者)
『猿之助』という名跡に振り回されバラバラになった家族。新たな“恩讐”を生みだしただけなのかもしれない。