《幸いタイミングよく立ち会うこともでき、第一声を聞いた時、その姿を見た時は、やはり涙が出るものなのですね》(原文ママ)
昨年12月22日に、ファンクラブサイトで第1子の誕生を報告した福山雅治。
彼の芸能活動の礎にもなったのが、20年以上にわたってパーソナリティーを務めたニッポン放送の『福山雅治のオールナイトニッポン サタデースペシャル・魂のラジオ』。'15年3月に惜しまれながら終了したが、最後まで男女問わず多くのファンを生んだのは、福山の包み隠さないトーク力だった。
「ラジオだからか、かなりきわどい下ネタを話すことも多いのですが、そのおかげで女性だけでなく、男性リスナーがついたんです。安定感もあり、新聞で“ラジオ界の国宝”と評されたこともありました」(スポーツ紙記者)
もちろん、福山の実力がメインだが、それ以外に彼を支えるスタッフの力も大きい。
「現場の空気も和気あいあい。福山さんが、アルバイトの子ひとりひとりに対して“どう? 元気?”と、必ずひと言声をかけるんです。スタッフも一丸となっておもしろいことを追求しているように感じました」(ラジオ局関係者)
みんなの仲がよかったからこそ生まれていた名番組。そんなチームに悲しい知らせが届いたのは、2年前のこと。
「'14年12月1日に、番組ディレクターのKさんがくも膜下出血で倒れ、そのまま入院したんです」(前出・ラジオ局関係者)
Kさんは、ナインティナインやAKB48、宮藤官九郎などのオールナイトニッポンを担当していた敏腕ディレクター。福山やナイナイからはしょっちゅうイジられる愛されキャラで、番組に登場することもあった。'07年から“魂ラジ”クルー入りし、福山も信頼を寄せていた。
「'11年の東日本大震災のときに、チャリティーの一環として、“24時間ラジオをやれないだろうか”と、福山さんが直談判したのもKさんだったんです」(芸能プロ関係者)
実際に行われたラジオ・チャリティー・ミュージックソン スペシャル『I'm with U キミと、24時間ラジオ』では、Kさんは1度も交代せずに24時間役割を務め上げた。そんな人だからこそ、知らせを受けた福山も驚いたという。
「福山さんはスケジュールを調整して病院へ駆けつけました。スタッフ一同が書いた寄せ書きを持って行って、Kさんのお母さんに渡したそうです。お母さんにも、“Kさんはみんなに愛されている素晴らしい人です”とお話ししていましたね」(前出・ラジオ局関係者)
福山が声をかけると、意識はないながらも血圧の数値が上がったとラジオで明かしている。
「残念ながら10日後に帰らぬ人となりましたが、Kさんのお棺の中には、このとき福山さんが持って行った寄せ書きを入れて荼毘に付されたそうです」(前出・ラジオ局関係者)
Kさんのことは後日、ラジオでも追悼した。福岡出身の彼に対して、福山が贈ったラストソングは、主人公が福岡出身の映画『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』の主題歌『東京にもあったんだ』だった─。