『美智子さまから 眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』を執筆したばかりの渡邉さんが、自宅で橋本さんのかつての連載を“発見”。今回、書籍化が決まったという。
陛下が「譲位」の意向を示された昨年、くしくも上梓された2冊の本の著者が、皇室問題やエピソードを語り尽くした。
渡邉「橋本さんとのお付き合いは長いですね。'70年代の後半だったと思いますけど、日本テレビ時代の私が、共同通信の記者としてロサンゼルスにいた橋本さんに取材を申し込んだことがきっかけです。
時差を読み違えて就寝中に電話してしまい、“なんて時間に電話してくれるんだ!”と橋本さんに怒られたのが最初でした」
橋本「そんなこともありましたね。渡邉さんとはそれから長い付き合いですよ」
─『知られざる天皇明仁』の出版のきっかけは?
渡邉「もともとは、昭和天皇の侍従長を長年務めた入江相政さんが橋本さんの連載(月刊誌『ざっくばらん』での「知られざる皇太子」)を保存していたようです。
それが日テレの私の上司に渡っていたみたいです。のちに私が、昭和天皇崩御報道の総責任者を任されると資料として預かったのを、最近たまたま見つけました」
橋本「昨年8月には、陛下の『譲位』のお気持ち発表がありましたが、こんなタイミングで出てくるとは思いませんでした」
天皇陛下とケンカばかりしていた過去
─陛下との約75年の付き合いを振り返ると?
橋本「学習院で同級生だった陛下との関係を振り返ると、ケンカばかりしていた気がしますね」
渡邉「陛下が'53年にエリザベス女王の戴冠式に出席されるときに起きたトラブルで、陛下のほうから和解を申し出たときに橋本さんが突っぱねたのは、同級生同士ならではのとても興味深いものでした」
橋本「先日、宮内庁の河相周夫侍従長に今回の本を贈り10日後に“天皇陛下にお渡ししました”と電話が来ました。陛下に読ませていいか判断するために、まず河相さんが読んだのかもしれません」
─橋本さんの著書のもとになった連載は'70年代後半だが、当時から「譲位」のことについて触れている。
橋本「公務というのは時代によって変化するものです。例えば陛下が即位したときよりも外国との国交が増え外国から日本へのアプローチが多くなり、新任大使の信任状奉呈も膨大な数です。
しかし、陛下は決して“公務を削減しろ”とはおっしゃっていない。美智子さま(82)に結婚を申し込むときから“すべてにおいて公務が優先する”と、口を酸っぱくしておられました。
つまり、公務などの行動あってこその象徴天皇であるという意識が強く、それが年齢や肉体的衰えで難しくなったので、若い世代に譲りたいということなのです。公務が嫌になったとか、しんどいからということではありません」
渡邉「陛下の生前退位は、両陛下の“終活”の集大成とも言えると思います。
両陛下が事前に一線を退いていれば、昭和の大喪のときほど葬儀も大規模にはならないと思いますし、国費の負担も減ると思います。お入りになるお墓の縮小化も、すでにお決めになっています。
陛下のおことばでは、ご家族への負担も考慮していましたが、長期療養が続く皇太子妃雅子さま(53)にかかる負担も考慮されたのではないでしょうか」
─陛下の退位については、一代限りの特別措置法と、皇室典範を改正し恒久的なものにするべきとの意見も出た。
渡邉「陛下の生前退位に限っては、今回は皇室典範改正には踏み込む必要はないと私は思います。陛下から“SOS”が出されたということで、速やかにそれに対処するべきです。まずは、陛下に限り譲位していただく特別措置法でいいと思います」
橋本「私は特措法で処理する問題ではないと思います。陛下が身を引かれた後、男性皇族は4人で、1人は未成年です。先細りの皇室に繁栄していただくために、不備のある皇室典範を改正すべきです。
9条を含め憲法改正を目指す政府の意向は、平和を愛し、現在の憲法を護持する天皇のご意思と真っ向から対立しています。政府は陛下を、宙ぶらりんの存在にしようと図っているようにみえます。
天皇は日本という国家の根幹ですから、その天皇の意向を聞かないことは、国のありようを真剣に考えていないということだと思います」
■ふたりのプリンセス
─渡邉さんの新刊には、紀宮さま(現・黒田清子さん・47)をお育てになった美智子さまの精神が、秋篠宮妃紀子さま(50)とふたりのプリンセスに受け継がれていることが描かれている。
橋本「渡邉さんの本はとても優しい筆致で、温かく描かれているなと感じました。美智子さまが一生懸命に次代やその次の内親王たちを教育されていた。それが大きな宝となって継承されていく。
ただ、ひとつだけ書いていないことがあると思いました。大事な内親王たちが活躍できるような環境がないのかという問題です。今のままだと、一般人と結婚した場合は皇籍を離脱して民間人になります。女性宮家の創設もささやかれていますが、将来、天皇になる秋篠宮家の悠仁さま(10)を守ることができるのでしょうか。
皇族減少の対策を考えなくてはなりませんが、今の安倍内閣はその議題を恐れて、有識者会議でも議論は公務削減に重きが置かれています」
渡邉「個人的に女性宮家に関しては、天皇家を盛り上げるべく前途有望な一般の男性が婿入りするのがいいと思いますが、現実には難しそうで政府も検討しないようですね」
橋本「そのあたりは、やはり国民の声が必要になります」
渡邉「美智子さまが黒田清子さんを、本格的な公務を行う初めての内親王にお育てになりました。立派な卒論を書いて大学を卒業し、鳥の専門家となって13年も山階鳥類研究所に勤め、辞典でカワセミについて執筆もされています。
清子さんの結婚相手・黒田慶樹さん(51)は公務員でサラリーマン家庭に育ったのは、内親王として初めてで、今後のいい先例になるかもしれません」
橋本「そういう意味では、皇室典範に欠けているところは、養子制度の採用だと思っています。秋篠宮家の眞子さま(25)と佳子さまの結婚に関して、一般の男子だと難しい部分もあると思いますが、旧皇族・華族から積極的に選んで会わせてあげる。養子という形で公務ができる形でもいいと思います」
渡邉「美智子さまが日清製粉を創業した正田家の出身であるように、実業界にもいいお婿さん候補がいると私はみています」
■愛子さまへのご提案
─そんな次世代の皇室を担うプリンスやプリンセスへの期待は?
渡邉「登校に不安を抱える皇太子家の愛子さま(15)は、留学されたらいいかもしれません。眞子さまも、留学で立派に成長されました。
これから、語学をどんどん勉強なさって、国際社会で活躍できるようにしていただきたいです。留学をされたら、そこでいいご縁ができるかもしれませんしね。
先日『週刊女性』('16年11月1日号)がスクープした眞子さまの“熱愛”も結構な話だと思います。私の教え子の大学生に見せたら、密着度からみると留学先の知り合いではという見方をしていました。
清子さんも今は皇籍離脱されていますが、伊勢神宮の臨時祭主をなさったこともありました。結婚されてもそのような形で皇室関係のお手伝いをされたらいいですよね」
橋本「歴代の内親王よりも眞子さまや佳子さまはより活躍を求められていると思います。
今後はみなさまで分担が必要ですが、三笠宮さまも薨去されて、公務が集中します。内親王方の重要性が高まってきますが、ずっと結婚するなとは言えないですよね。
渡邉さんの著書にもありましたが、東京五輪の年には眞子さまは29歳、佳子さまが26歳。そのときに内親王としていらっしゃるかどうか。悠仁さまが結婚されるまで待つとしたら、おふたりとも中年になってしまいます。
今は皇族の人数がぎりぎりです。だから陛下のお気持ち発表は譲位だけではなく、そのような内親王や女性宮家のことも考えてほしいという意味もあったと思います」
─橋本さんの著書の中には、陛下の一般家庭への憧れも描写されている。
橋本「幼いときからご両親やご兄弟と離ればなれに育った陛下に、家庭や家族への憧れはあったと思います」
渡邉「その意味では、今回の著書で、橋本さんが学習院高等科時代に発禁処分となった小説『チャタレイ夫人の恋人』を陛下に貸した後の顛末は印象的でした。
さらに、陛下に一般家庭の正月を体験してもらいたくて当時、鎌倉にあった橋本さんの自宅に招待したことなど、“生身”の陛下の姿が伝わってきますね。
私は自分の担当していた番組でその場面を再現したかったのですが、鎌倉のお宅は取り壊しになったんですよね」
─次の天皇・皇后になる現在の皇太子ご夫妻について期待することは?
橋本「皇太子さま(56)が天皇になったときの公務は、おひとりで頑張り、雅子さまは皇太子さまのためにいい家庭を作り、回復に専念されたほうがいいかもしれません。
一方で以前『週刊女性』('14年7月29日号)で愛子さまが天皇になるべきという女性天皇について述べたことがありますが、その考えはまだ持っています。
女性という理由で皇位継承からはずれていますが、愛子さまが天皇になるのは不自然ではないと思います。悠仁さまご誕生でとりあえずはなくなりましたが、いずれ男子ではなく長子優先の議論が始まるかもしれません」
渡邉「美智子さまは陛下とおふたりで、日本での障害者スポーツの普及にゼロから携わり、青年海外協力隊にも第1回から激励し続けてこられました。戦争犠牲者の慰霊も次の世代に引き継がれています。
ご体調で難しいかもしれませんが、雅子さまが皇后になったら、美智子さまのそういうご努力を“お手本”にしていただきたいです」(完)
<対談者のプロフィール>
渡邉みどり(わたなべ・みどり)◎1934年、東京都生まれ。文化学園大学客員教授で、ジャーナリスト。日本テレビ在職中、昭和天皇崩御報道チーフプロデューサーに。
橋本明(はしもと・あきら)◎1933年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。学習院初等科から天皇陛下と同級で、現在まで親交がある。元共同通信記者で、社会部次長、ジュネーブ支局長などを歴任。