見せかけの「長時間労働」対策では、何の意味もありません

 政府が積極的に推進している「働き方改革」。電通社員の過労自殺事件が大きな社会問題になったこともあり、長時間労働の是正に向けた機運が一層高まっています。そこで企業側も長時間労働の是正のために、長時間労働の温床とも指摘されている「36(サブロク)協定」の見直しをはじめとする残業規制を強めています。

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 36協定とは、労働基準法で定められた法定労働時間を超えて、または法定休日に労働させる場合、あらかじめ労使で書面による協定を締結し、所轄労働基準監督署に届け出ることが必要であることを取り決めたものです。この協定が労働基準法第36条に規定されていることから、通称「36(サブロク)協定」といいます。

 36協定では、法定労働時間を超えて働くことができる一定の上限時間が設けられていますが、「特別な事情」が予想される場合に、労使双方の合意があればさらに上限時間を超えて働かせることができる仕組みとなっています。これが抜け道となって、長時間労働の温床になっているとも指摘されています。さらに、協定で締結された時間すらも守られていない実態が多くの職場で散見されます。

「残業大幅削減」策で仕事が終わらない人が続出

 こうした状況を是正するために、企業の中には「20時になったらオフィスを消灯する」「PCにアラートが出て使えなくなる」「ノー残業デーを徹底させる」など、長時間労働を削減するための施策を積極的に行うところも出てきました。

 そこで懸念されるのが、こうしたパフォーマンスは実に十分ながら、働き方の本質が全く変わっていない職場で発生する「持ち帰り残業問題」です。これまでと同じ業務内容、メンバー、マネジメント体制であるにもかかわらず、残業時間だけを規制したことで、当然ながら業務時間内に仕事が終わらない社員は出てきます。そうした社員が、やむにやまれず「持ち帰り残業でカバーしている」という声は、私のもとにも聞こえてきます。

 医療機器メーカーのマーケティング部で働く佑美さん(仮名)は、「仕事帰りにカフェに立ち寄って仕事をするのが、日課のようになっている」と言います。佑美さんの会社では、最近特に残業が厳しく制限されるようになり、20時を過ぎると早く退社するように促されます。

 しかし、それまでに仕事が終わらないことが珍しくありません。上司から表立って「持ち帰ってやれ」と言われることはないものの、暗黙の了解として持ち帰るのが“当たり前”な雰囲気があると言います。

 そこで、社員1人1人に支給されているノートパソコンを使って、カフェで作業するようになったのです。「自宅で作業をするよりは、にぎやかな場所で仕事をする方が、気が紛れる」と佑美さんは言います。よく通っているカフェでは、自分以外にも明らかに仕事をしている人がいるそうです。

コッソリ資料をメール添付し、何とか納期に間に合う

 人材コンサルティング会社の管理部で働く幸恵さん(仮名)の場合、“禁じ手”を使ってまで持ち帰り残業をしています。幸恵さんの会社では、外部から社内ネットワークにログインすることができず、またUSB等へデータをコピーすることも禁じられています。

 そこで幸恵さんは、締め切りに遅れそうな仕事がある場合は、途中まで作成した資料を帰りがけに自分宛のプライベートなメールアドレスに添付して送り、自宅でその続きをやることがあると言います。それをまた翌日、会社の自分宛のアドレスに送信して、何とか締め切りに間に合わせているそうです。

 佑美さんも幸恵さんも、持ち帰って仕事をした分を労働時間として申告しておらず、「そうしないと仕事が回らないから仕方がない」と、半ば諦めた様子。しかし、これを当たり前だと考えてはいけません。

 2011年6月、大手英会話学校の講師だった女性が、長時間の持ち帰り残業が原因になって過労自殺するという痛ましい事件がありました。2016年12月20日に大阪地裁で調停が成立し、調停事項には「持ち帰り残業の有無や実態を含め労働時間の管理を適切に行う」と再発防止に努めることが盛り込まれました。

「長時間労働」というと、職場でどれだけ長く働いているかという、在社時間に目が行きがちです。職場であれば、使用者の指揮命令下にあることが明らかなため、労働時間と認められやすいでしょう。

 しかし、自分の判断で仕事を持ち帰り、自宅で残業をしているような場合、時間的・場所的な拘束を受けておらず、使用者の指揮監督が及んでいないため、原則として、労働時間にはなりません。それが、持ち帰り残業の“死角”となり得るのです。

 ただし、持ち帰り残業が上司の明確な指示に基づく場合は、労働時間に含まれます。そして、仮に上司が明確な指示や命令をしていなかったとしても、業務量が膨大で、客観的に判断して持ち帰り残業が必然と思われるような場合や、上司がその事実を把握しながら黙認しているような場合は、労働時間と判断される可能性が高まります。つまり、上司の指示の有無によらず、部下が持ち帰り残業をしている状況は、会社にとってリスクになりかねません。

「部下は残業NG」で、管理職の長時間労働が問題に

 こうした状況を受けて問題となっているのが、管理職の長時間労働です。労働基準法上に定められた「管理監督者」は、労働時間・休日・休憩時間について労働基準法上の規定が適用されません。その結果、管理職が残業規制で仕事の終わらない部下の仕事を引き受け、長時間労働となっている実態も増えていると見られています。

 現実に、2016年4月には関西電力高浜原発において、運転延長をめぐる対応に追われた40代の担当課長が自殺する事件が起きました。このケースの場合、1カ月の時間外労働が最大で200時間近くに及んでいたことから、2016年10月に労災認定されました。加えて、相当の持ち帰り残業をしていたと見られますが、正確な時間を確認するまでには至りませんでした。

 この問題を受けて、敦賀労働基準監督署は関電社長を出頭させ、全管理職の労働時間を適切に把握するように求める指導票を交付しました。過去2年にさかのぼって、全管理職の労働時間や持ち帰り残業の実態を調べさせ、報告を求めさせるというのは、異例の対応と言えるでしょう。

 今、多くの企業が「働き方改革」を行い、長時間労働の是正に取り組もうとしています。しかし、本質的な仕事のやり方を変えずに在社時間だけを強制的に減らしたところで、仕事が終わらなかった社員は場所を変えて作業を行う状況になりかねません。本当の意味での働き方改革が浸透し、労働生産性を高めていくことは、重要な経営課題であり、意識改革を含めた抜本的な見直しが迫られています。


<著者プロフィール>佐佐木由美子(ささき・ゆみこ)◎社会保険労務士。グレース・パートナーズ株式会社 代表取締役。米国企業日本法人を退職後、社会保険労務士事務所等に勤務。2005年3月、同社労士事務所を開設し、現在に至る。女性の雇用問題に力を注ぎ、「働く女性のためのグレース・プロジェクト」でサロンを主宰。著書に「採用と雇用するときの労務管理と社会保険の手続きがまるごとわかる本」をはじめ、新聞・雑誌等多方面で活躍。