昨年12月14日午後7時ごろ、愛知県一宮市のマンションの一室で、この部屋に住む無職・立松巧次さん(48)と小学5年生の巧丞くん(10)が遺体で発見された。捜査関係者によれば「居間で2人が並んで倒れていた」という。
同日に匿名の女性から「連絡がとれないので、見に行ってください」と通報があり、訪れた警察官が発見した。
状況から、親子心中とみられるが、室内に残されていた遺書から、「巧丞くんも死を覚悟していたようだ」と全国紙記者は指摘する。
『週刊女性』が取材をする中で、3通の遺書が残されていたことがわかった。そこには、巧次さん、巧丞くん親子の、死ぬ覚悟と悔しさがつづられていたという。その詳細は後述するとして、まずは死に至るまでの親子の足跡を追う。
父子が死亡現場のマンションに引っ越してきたのは、'13年10月のことだった。巧次さんは無職で、精神的・身体的な病を抱えて働けず、生活保護を受給していた。居住マンションも、困窮者支援団体が提供したものだった。
同じマンションに住む50代の男性が、父子の様子を明かす。
「お父さんは丁寧に話す方でしたよ。親子の仲はよさそうでしたね。一緒に自転車のパンクを修理したり、出かけたりしていましたよ」
70代の男性は、
「昨年の春ぐらいまで、お姉ちゃんもいたんだけど、最近は見なくなったな。付き合いもないから全然わからんけど」
と不思議そうに語った。
病気がちの父親と小学生の男子児童。体調不良で養育が難しいと感じた父親が、一宮児童相談センター(以下、児相)に最初に長男を預けたのは、'14年11月のことだった。
児相の担当者が振り返る。
「そのときから昨年の9月まで計8回、巧丞くんを保護しています。8回も保護するというのは、ほとんどないんですよ。施設へ預けることを考えては、という話もしましたが、お父さんが拒絶したんです」
保護した回数だけを見ると、親子関係が悪いと思いがちだが、実はそうでもないことが取材から浮かび上がった。前出・児相担当者が続ける。
「8回のうち7回は、単純に親子ゲンカが原因です。嘘をつく、勉強をしないことをお父さんが厳しく叱る。巧丞くんも“働けないくせに”と言い返す。そこで今度はお父さんが、“出ていけ!”と怒鳴り、巧丞くんが飛び出すんです。
最初の依頼も、精神的な負担から、イライラして接してしまうからということで相談があったためです」
と状況を説明する。しかしながら「身体的、精神的な虐待、ネグレクトのような育児放棄もありませんでした。家から追い出すのはどこの家にでもあることで、あくまで親子ゲンカの仲裁に入り、親子関係の手助けをしていた」と、児相が強制保護しなければならない多くの子どもらが置かれているような逆境に、巧丞くんがいたわけではないという。児相関係者は、こんな巧丞くんの言葉を明かす。
「勉強が好きな子で、“勉強を教えてくれる父ちゃんが好き”だと話していました」
ところが、である。
昨年夏あたりから、巧丞くんの親権争いが起こった。巧次さんが巧丞くんを最後に児相に預けたのは、昨年9月6日のこと。
「親権問題でもめているという相談を受けました。ゴタゴタしているし、気持ち的にも余裕がないので落ち着くまで預かってほしいと。そのとき話を聞いていた巧丞くんが“家裁の決定に従います”と言ったのが印象に残っていますね」(前出・児相担当者)
9月末には巧丞くんは父親のもとへ帰ることになる。この日が2人を見た最後だと児相担当者は言う。
「巧丞くんが父親のところに帰る意思を示したんです。お父さんが迎えに来て“ちゃんと学校行こうな”って話していました。2人ともなんだかうれしそうでしたけど、こんなことになるとは……」
2人が遺体で発見される5日前、巧丞くんが通う小学校では、校長面談が行われた。
「お父さんと巧丞くん2人と面談をし、転校するかもしれないという相談を受けました」
おかしな様子はなかったと校長は言う。だが、不穏な影がそこにはあったのだ。
巧丞くんが、教室の自分の机の中に、メモを残しているのを担任が目撃。同日中に校長へ報告したという。
校長は、もう手元にないため明確に答えることができませんが、と断り、
「気持ちとしては一緒に卒業したかった、ということが書かれていましたね。転校の話をしていたので、気持ちは一緒にいるという意味だと思いました」
そのメモを見たという人物は、そこに書かれていたある言葉にSOSを感じたという。
「“卒業式まではいられないけど、魂としてはいる”と書かれていました。“魂”という言葉に込められた異変。見逃しが悔やまれます」
面談後の週明け12日の月曜日は欠席の連絡があり、その翌日は無断欠席。14日に遺体が発見された。前述のように自宅には、3通の遺書が残されていた。全国紙記者が明かす。
「2通は巧次さんと巧丞くんの思いをパソコンで打ったもので、もう1通は巧丞くんの自筆のもの。父親は、親権を争ったことへの不満をつづり、巧丞くんには生きろと伝えたが、巧丞くんの強い意思から、一緒に連れて行く、という旨も記されていました。パソコンで打った巧丞くんの遺書は、父と離れることが嫌だという思いがあふれる内容でした」
巧丞くんの自筆の遺書には、親権争いに巻き込まれないように父方の祖父母と養子縁組した姉への思いが、つづられていたという。
「お姉ちゃんが希望の星、お姉ちゃんに僕の人生をあげるということと、学校に対しても、転校してきた僕を世話してくれてありがとう、ということが書かれていました」
わずか10歳で終えた命。テストでこんな結果が出たと児相担当者が明かす。
「巧丞くんの知能テストは、まれにみる高い数値だったんです。自分で自分の人生を切り開いていける力がある子でした。それだけに残念です」
巧丞くんの姉は12歳。弟の死を、姉への思いを受け止めるには幼すぎる。