七代目桂才賀は、かつて日本テレビ系の長寿番組『笑点』にも出演していた人気者。その一方で、全国各地の少年院、刑務所の慰問活動を行う落語家として知られる。
「全国に少年院は52か所、刑務所などの刑事施設は87か所。これまでに1117回行っています。あ、でもアタシらは慰問ではなく、芸で激励するから“芸激”って呼んでるんです」
1983年に単独でこの活動を始めたが、次第に仲間が増え、現在“芸激隊”は総勢87名に。
「カミさんの実家が沖縄なんで、毎年夏は2人の子どもを連れて沖縄に里帰りしてた。ところが子どもが大きくなって夫婦だけだと何もすることがなくてね。老人ホームでも慰問に行こうかなと思い立ったんだ」
当時はまだ二つ目で、寄席に出る機会は少なかった。芸は客との呼吸、会場の空気などを感じながら、笑いに必要な“間”を身につけることが肝心。県庁に連絡し慰問希望の旨を伝えると、
「“予算のほうが……”なんて言うわけ。こっちはギャラなんて思ってない。そう言ったら、あっさりとスケジュールを出してきた。それも次の日から5日間毎日、午前・午後の2回、多けりゃ3回、沖縄各所への慰問が組み込まれてね」
ついでに少年院も慰問してくれないかと頼まれた。
「滑稽(こっけい)噺をやったんだけど、まったくウケない。こちらをにらみつけるばかりで、クスリともしないんだ」
それからは地方公演のついでに少年院を慰問。少年たちを惹きつけたのは「自分の話」だった。才賀は高校卒業後、桂文治師匠に入門を申し込む。すると、「ならば自衛隊に3年入ってこい」と言われ、実際に海上自衛隊に入り3年の任期を務め再度、師匠の門を叩いた。「あんた誰?」ととぼけられたが、晴れて入門。
「自衛隊での話をすると、やつらはキラキラと目を輝かせるんだ。師匠とのやりとりなんか大爆笑だった」
刑務所で爆笑が起きるひと言
少年院の慰問を続けるうちに、今度は刑務所も訪れるようになった。実は、刑務所で受刑者に確実にウケる「つかみ」がある。舞台が始まる前、教育課長から紹介を受ける。すると彼は一礼して教育課長に近寄り「マイクを貸していただけますか」と言う。マイクを受け取り、「すいませんね。願箋(がんせん)も出さずに」とひと言。これだけで、ドッカーンと笑いが起こる。
願箋とは受刑者が申し出をするときに提出する用紙。刑務所内では何をするにもこれが必要で、受刑者の誰もが面倒に思っている手続きなのだ。
「刑務所を知らないはずの落語家がそんな用語を口にすればおかしいわけです。これでもうこっちのもの。いちばんの醍醐味は、ニラミをきかせた連中がそのうち涙を流しながら大笑いするところを見ることです」
刑務所で客席が盛り上がる落語の鉄板ネタは、新作の『カラオケ刑務所』。
「これは受刑者たちが犯した罪を言ってからカラオケを歌うという噺。アタシにぴったりのネタでしょ(笑)」
宝は、少年たちや受刑者から送ってもらった感想文だ。段ボール70箱分にもなる。
「素直な言葉が綴(つづ)られています。あれを読んだら『芸激』はやめられませんね」
<プロフィール>
七代目 桂才賀◎1985年に真打に昇進。'80年から'88年まで、『笑点』の大喜利メンバーを務める。以降、刑務所や少年院への慰問活動を本格化し、現在まで1117回にのぼる。'08年、25年にわたる慰問活動を綴った『刑務所通いはやめられねぇ』(亜紀書房)を出版