またひとり、銀幕のスターがこの世を去った。女性やお酒、釣り、そしてお金の使い方も豪快で知られていたが、素顔は意外なほどお茶目だったという─。

闘病生活を支えた30歳下の“妻”

1月21日、脳リンパ腫のため、入院先の大学病院で亡くなった松方弘樹さん(享年74)

 1月21日、脳リンパ腫のため、入院先の大学病院で亡くなった松方弘樹さん(享年74)。その闘病生活を支えていたのが、30歳年下で内縁の妻だった元女優の山本万里子さんだ。

 約1年に及ぶ入院生活を見守ってきた50年来の友人である梅宮辰夫は、24日に行われた囲み取材で、彼女の看病ぶりをこう話した。

「本当にかいがいしくやっていて、偉いなこの人はって、つくづく思いました。女房はこうあってほしいと思いましたけどね」

 山本さんとの交際が発覚したのは、'98年のこと。当時、松方さんの妻だった仁科亜季子が、ふたりが7年前から愛人関係にあることを暴露し、離婚を決意する。

「突然、仁科さんが一方的に離婚を週刊誌に発表してしまったため、連日、マスコミは松方さんと山本さんを追いかけた。京都にある豪邸に行くと仁科さんはひとりで家を出ちゃっていて、松方さんと克基仁美の2人の子どもが残っていた。彼は別れたくないと話していたけど、結局は離婚して子どもは仁科さんが引き取ることに。山本さんには“略奪愛だ!”と厳しい批判の声があがりましたね」(芸能レポーター・石川敏男氏)

 山本は女優業を引退し、表舞台から姿を消すことに。世間の厳しい目にさらされながらも、ふたりはひっそりと愛を育んでいた。

「最後に松方さんを見たのは昨年11月ごろでした。奥さんが押す車イスに座って、病院内を散歩するように移動していました。ただ、松方さんはやせてしまっていて、気づく人はほとんどいなかったですね。彼女がときどき話しかけて、それに“うんうん”とうなずいているようでした。とても仲がよさそうでしたね」(同じ病院に通う人)

 松方さんといえば、お金の使い方やお酒の飲み方などの豪快なエピソードで知られる。中でも世間をにぎわせたのが、女性関係の派手さだろう。

 彼が初めて不倫を報じられたのが、'76年のこと。当時、元モデルだった最初の妻との結婚中に、大河ドラマで共演した仁科との恋が報じられた。

「あのころの仁科さんは、飛ぶ鳥を落とす勢いで出てきた女優さんだった。それを松方さんがあっという間にかっさらってしまった感じ(笑)。ただ、彼女の父親である岩井半四郎さんが、交際に激怒した。でも、仁科さんの意思は固く、結局、奥さんと離婚して一緒になるんです」(前出・石川氏)

 ひとり目の妻との離婚では、約3億円の慰謝料を支払ったと報じられた。そして、'79年に晴れて仁科と再婚することになるのだが……。

「何があっても、養育費を毎月30万円送ってくれました」

「'87年に歌手の千葉マリアとの間に隠し子がいることが発覚し、騒動になるんです。女性関係は大目に見てきた仁科さんも、さすがに子どもまでは許せなかった。それで、松方さんは彼女に言われ避妊のためのパイプカットをさせられるんです。でも、もしものことがあったらと、精子を凍結保存しているなんてご本人が話していましたね」(スポーツ紙記者)

 その千葉は現在、千葉県館山市で依存症からの回復を目的とした施設を運営している。当時の隠し子騒動について彼女に話を聞いた。

当時の千葉マリア

「息子のことが公になったとき、松方さんは“根掘り葉掘り女房に聞かれた”って言われていましたね。でも、彼は女性にモテまくってて、どの人が本命なんだか、恋人は誰なんだか、本人もよくわかってなかったんじゃないかな。だから子どもができても彼と結婚したいとは思わなかった。奥さんと闘おうという気持ちもなかったです。彼は何があっても、息子が大人になるまで養育費を毎月30万円送ってくれました。子ども2人を抱えてシングルマザーで育てていたので、本当に助かりました。感謝あるのみですね

 その息子、十枝真沙史は現在32歳。2歳からは父親に会っていないという。

「僕にはそんなに父の記憶がないので、テレビの人という感じでした。亡くなったあとの報道の大きさを見て、偉大な父親だったんだなあって思いますね。僕が生まれたのは父のおかげなので、ありがとうと言いたいですね」

 千葉も最後に松方に会ったのは30年ほど前。子どものことで相談に行ったという。

「ホテルニューオータニで会ったのですが、エレベーターの中で“部屋に行こうよ”みたいな感じで肩をトントンってしたんですよ。私は“何言ってんの”って手を払いましたけどね。

 そうしたら、1月22日の昼間に、誰もいないはずなのに肩をたたかれた感じがしたんです。で、翌日に息子がネットニュースを見て“オヤジが死んだ”って教えてくれたんです。自由になったから見回りに来たのかなって思いますね。でも、女の人が山ほどいたから前日に亡くなっていたのに、いろんなところを回ってきて時間がかかっちゃったのかな(笑)」

 千葉も話すように、とにかく、女性に愛された松方さん。そんなモテ男の最期を看取ったのが、25年間連れ添った山本さんだった。

行きつけのレストランのオーナーは…

 松方さんは、京都の豪邸は仁科との離婚の際に手放し、亡くなるまで都内で暮らしていた。自宅近くにある行きつけのレストランのオーナーが、ふたりの様子をこう話す。

「松方さんと奥さんは3年くらい前から入院する前まで、月に2、3回のペースで来てくださいました。マグロの話などをよくしてくださいましたが、よく食べるのは魚よりお肉でした。うちではそれほどお酒を飲まず、飲んでも日本酒を3合ほど。おふたりで楽しそうに飲んでらっしゃいました。

 キリッとされた奥さまで、どちらかというとカカア天下って感じ。そんな彼女を“かわいいなあ”って感じで、松方さんが“ハイハイ”って話を聞いているのが印象的でしたね

 ひとりで看病し続けたのは彼女の“妻”としての意地だったのかもしれない──。