今年は、1月30日から2月3日までだった両陛下の神奈川県葉山町でのご静養について、「天皇・皇后両陛下の年末年始は、宮中行事などでほとんどお休みがないので、毎年1月下旬から2月初旬の葉山御用邸での静養が、大事な充電期間となっています」と説明するのは宮内庁関係者。
「出発当日の朝、陛下に微熱が出て、予定されていた宮中祭祀の『孝明天皇例祭の儀』は取りやめ、代拝となりました。
前の週末に接種した肺炎球菌ワクチンの影響の可能性もあったようですが、予定どおり葉山へ。翌日には報道陣の取材に応じ、地元の人たちとも交流されました」(宮内庁担当記者)
御用邸裏の相模湾と富士山が見渡せる「小磯の鼻」という海岸の散策を終えた天皇陛下に、記者が“昨日の発熱は大丈夫なのですか?”と聞くと、“おとといの熱だったかな”と勘違い。
皇后美智子さまが、すかさず“昨日でしょ”と訂正されるというほのぼのとしたやりとりに、記者団からもドッと笑いが起こった。
陛下はその後“葉山に来るときは、もう大丈夫でした”と答え、居合わせた地元民とも触れ合われた。
葉山や軽井沢でのご静養のときも公務と同様、活発にお出かけする陛下と美智子さま。
今回は、陛下の微熱もありゆっくりと過ごされるのかと思われたが……。
地元住民とのふれあい
「2月1日の朝10時ごろに、おふたりは御用邸から車で15分ほどの、子安という山に囲まれた高台で散歩をされたそうです」
と話してくれたのは、地元の住民。
ここは両陛下が葉山ご滞在のたびに足を運ばれる横須賀市内の散歩コースで、
「両陛下は、居合わせた人たちと交流もされました。
美智子さまは3〜4歳くらいの男の子に“おいくつですか? 幼稚園に通っているのですか?”と聞いたり、20代の男性に“お天気がよくてよかったですね、お気をつけて”と声をかけられていました」(同・住民)
その後、地元の野菜などが並ぶ売店に立ち寄られた両陛下は、“お時間です”との声がかかるまで、しばらく店の男女と立ち話。
美智子さまは、店の入り口のバケツに活けてあった桜を指さして“もう咲いているんですね、きれいですね”と笑顔を見せられた。
「美智子さまは店からの贈り物なのか、お花の小鉢を受け取って喜ばれていましたよ」(居合わせた女性)
昼前には御用邸に戻られた両陛下だったが、冷え込んだ午後6時半ごろに、この日2度目の外出をされた─。
昭和天皇とも交流がある研究者との会食
両陛下は夕食会に招待され、車で御用邸からほど近いご友人宅に向かわれたのだ。
この家に住むのは理系の研究者で、父親がかつて昭和天皇と交流があり、その縁で陛下や美智子さまとも交流が続いているという。
「10年ほど前から、両陛下が葉山で静養するときは、このお宅を訪問されることがあるそうです。
美智子さまもたいへん楽しそうにされていたとのことで、夕食会は約3時間にわたり、お開きになったのは午後10時近かったようです」(別の宮内庁関係者)
翌2日も、午前中からお出ましになる陛下をお支えになった美智子さま。10時に御用邸を出発すると、横須賀や鎌倉方面へ。
午後1時半ごろに戻ると、3時半に御用邸の裏口から20人ほどの警備やお付きの人に囲まれながら、砂浜を散策された。
潮風は強いが春の陽光も感じられる海岸を、軽い足取りで歩いた両陛下は、釣りをしていた若者に“釣れましたか?”と気さくにお声がけ。
そのまま葉山公園に入り、居合わせた人々と会話を楽しみ、表の正門に回り、30分ほどのお散歩だった─。
「静養とはいえ活発に外出されるのは、日ごろから膨大な仕事量をこなす両陛下ならではの休み方なのでしょうね」
そう語るのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。
「葉山は、もともと美智子さまのご実家・正田家の別荘があり、戦争中に疎開していた鵠沼からも遠くなく、幼いころからの思い出が詰まった場所です。
そんな場所で少しでもお過ごしになれば、気分が休まるのではないでしょうか」(渡邉さん)