“病気を治して、どうする?” “生きる理由ある?” “死ぬ理由もあるんじゃない?”──いままで考えたこともないような話を初めて聞いたときは、本当にびっくりしました。でも、その理由を聞けば聞くほど、深く納得してしまうのです。川嶋朗先生は真実を問う、まさに医学界の異端児です。

人生が終わったかのような心理的体験

撮影/森田晃博

 「世の中に“絶対”はほとんどありません。でも、死ぬことは“絶対”です」

 こう話すのは、『人生最期の日に笑顔でいるために今日できること』(イースト・プレス刊)の著者で医学博士の川嶋朗先生。現在、一般財団法人 東洋医学研究所付属クリニック(東京都渋谷区)で、統合医療を中心に診療を行っている。

 統合医療とは西洋医学、東洋医学、ホメオパシー、氣功や催眠療法などを用いて、患者それぞれに合った治療法を見つける医療だ。本書では、数多くの患者を看取ってきた中で先生が培ってきた死生観が描かれている。今日からの人生をどう生きるか、改めて考えるきっかけとなる一冊だ。

「私はもともと、腎臓病、膠原病、高血圧が専門。長年、人工透析患者を診てきました。透析が必要なことを告げると、告げられた方は人生が終わったかのような心理的体験をすることから、精神科医のエリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』にて提唱した“死の受容”のプロセスにそっくりなことに気がつきました。

 死の受容とは、自分が死ぬなんて嘘だという“否認・孤立”、なぜ自分が死ななければいけないのかという“怒り”、何かにすがりどうにか死なずにすませたいという“取引”、何もできなくなる“抑うつ”、自分が死ぬことを受け入れる“受容”へと変化するプロセス。

 統合医療の世界に足を踏み入れると、余命を告げられた患者さん、主にがんやALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っている方を診ることが増え、死についてますます考えるようになりました」

“なぜ死にたくないのですか?”

 余命を告げられた方の多くは、「先生、死にたくありません」と口にするという。

「“なぜ死にたくないのですか?”と聞くと、“まだやり残したことがあるから”などと未練や後悔を口にします。“せめてあと10年ぐらいは生きたい”という方もいて、私が、“では、10年後に死んでもいいのですね?”と聞くと、黙り込んでしまいます。

 死にたくない理由を明確に答えられる人は、ほとんどいません。でもそれは当たり前。だって自分には死んだ経験がないのですから。だから誰もが死ぬということはとにかく不安で、怖くて悲しいものと考え、病気などをして自分の死を意識したときにはじめて、後悔をするのです。

 行きたかった場所にまだ行けてない、あの人に会ってない、やり残していることがある、など。そして多くの人が、家族をもっと大切にしておけばよかった、と後悔します。でも人間はいつか絶対に死ぬ、のです。だから後悔や絶望してもしょうがない。死にたくないとあがき続けるよりも後悔をひとつでも減らし、死を受け入れ、穏やかな気持ちで最期を迎えてみませんか」

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生きる意味だけではなく、死ぬ意味もあると思っています」

 川嶋先生のもとに、あるとき胃がんが再発した80代男性がやって来たときの話。

「彼は、入院はできないし、絶対に死にたくないと言いました。全盲の息子と認知症の妻がいるのに、そんな私がなぜがんに……と嘆きました。

 統合医療の診察でいつもするように、彼の家族についていろいろと聞くと、全盲の息子さんは盲学校でマッサージ師の資格を取ったにもかかわらず、働かずに引きこもり、視覚障害者用のパソコンで1日じゅうインターネットをしているというのです。

 私は少し厳しいことを言いました。“あなたは最も残酷な親かもしれません。親の義務とは、子どもを独り立ちさせること。でも、もしいまあなたが死んでしまったら、息子さんは1人で生きていくことができないかもしれない。マッサージ師の資格があるのに、ニートを許しているのはあなたで、息子さんは自分の甘えに気づいていない。

 気づくとすればあなたが死んだとき。だから死につながる病気になったのだと考えられませんか”と。生きる意味についてはよく問われますが、私は死ぬ意味もあると思っています。そして、それを病が教えてくれるのではないか、とも」

「準備をしておくと、潔く死ねますよ」

 一方で、手術するくらいなら死を選びます、と治療を拒んで亡くなった40代の乳がん患者をいまも忘れることができないという。

「手術をしていれば、彼女はいまでも生きていたかもしれません。最期に本人が残した手記には“自分の人生は最高だった、先生ありがとうございました”と綴られていました。彼女のお母さんからも手紙をいただき、“娘の意思を尊重してくれてありがとうございました”とあった。

 また別の家族の話ですが、“何かあったときには延命治療はせずに死なせてくれ”と日ごろから母親に言われてきた娘さんが、それに従って延命治療をせずに、母親は亡くなりました。すると、娘さんは親戚じゅうから非難されてしまったのです。もし母親がその意思を文書化していれば、トラブルは避けられたでしょう。

 このように、死への価値観は人それぞれ。ですから、1度でも自分の死について考えてみるべきなのです。死ぬのがいやならその理由や、なぜ生きたいのかを考えてみましょう。また家族や近しい人に伝えておくべきことは、きちんと伝えておくとか文書に残しておきましょう。準備をしておくといまやるべきことが明確になるし、潔く死ねますよ。

 ちなみに私はすでに自分のお葬式の演出まで考えています。それに死んだら、すでに向こうの世界にいる母親にも会えるし、死ぬのが楽しみだったりもしてね。ってこういうことを考えていると、長生きしちゃったりするんですよ(笑)」

取材・文/若山あや

<profile>
かわしま・あきら 1957年、東京都生まれ。東京有明医療大学教授、一般財団法人 東洋医学研究所付属クリニック自然医療部門担当医師。医学博士。北海道大学医学部卒業後、東京女子医科大学大学院医学研究科修了、ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院などを経て、現職に。専門は、腎臓病、膠原病、高血圧など