大きな石造りの倉庫。10数台分の駐車場に入れ替わり立ち替わり車がやって来る。車の持ち主が引換券をスタッフに渡すと、水のペットボトルやジュース類の段ボール数箱を積んだ台車が車へと運ばれる。ざっと暗算すると市価で5000円以上の価値はある。
主役は圧倒的に水。地元の母親たちは子どものために「安全な水」を求めてやって来る。その数、月に2000人以上。福島県郡山市で活動する特定NPO法人『FUKUSHIMAいのちの水』(以下、いのちの水)は毎週火曜日と土曜日、「任意の寄付」(概ね500円)をする住民にこうした物資を無償配布している(予約制)。これまで760万本以上の水ペットボトルを配布してきた。
きっかけは2011年3月11日の東日本大震災と、その後の原発爆発事故だ。
いのちの水代表の坪井永人さん(72)は震災直後の3月14日、東京の『災害支援援助隊アガペーCGN』福島県支部として支援活動を開始した。衣類、食品、水などを宮城県と福島県の各地で配布。だが5月に入ると、福島県と他県との災害の質の違いを認識する。
「もちろん“放射線被ばく”です。当時、テレビでは科学者が“ただちに健康に影響はない”とのフレーズを繰り返し、県も水道の安全性を公表していました。お母さんたちはそれを信じられなくても、反証する知識もない。ただただ不安だったんです」(坪井さん)
そこで坪井さんは放射能災害に焦点を絞ろうと、いのちの水を設立。そして、生活に欠かせない水、つまりミネラルウォーターの配布活動を開始したのだ。
いのちの水の倉庫には大量のペットボトルのケースが積まれている。いずれも企業からの寄付。ペットボトルには賞味期限や消費期限がある。企業にすれば、消費期限が来て処理費を払って産廃にするより、期限切れ前(概ね半年前まで)に寄付することで、その処理費も浮き、企業のCSR(社会的責任)もまっとうできる。WIN-WINの関係が成立しているのだ。
水を受け取りに来る母親たちは2つの感謝の念を抱いている。安全な水が手に入ること。余計な出費が抑えられることだ。
子どものために安全な水を求め、月2万円以上の出費に
7歳と12歳の子どもをもつ高橋玲子さん(30代=仮名)は原発事故直後、科学者たちの言葉が信じられず、自分から積極的に情報を収集し、ここは危ないと県外避難を考えた。だが、かなわなかった。
「“二重生活は嫌だ”と反対する夫ともめたんです。私は子ども中心で考えたのに結局、押し切られました」
ここに住まねばならない。では、私に何ができるの? 高橋さんは、やれることは何でもやった。子どもを外で遊ばせるときは線量計で放射線を測定した。当時は毎時1マイクロシーベルトと、通常値の約20倍はザラ。結局、家の中で遊ばせることが多かった。
水は買った。月2万円以上の出費となった。いのちの水を知ったのは4、5年前。すぐに連絡をして以来、毎月通っている。
配布にはABCの3コースがある。Aは妊婦と18歳までの児童に水を。Bはその保護者と、仮設借り上げ世帯、ひとり親や孤児世帯などの社会的弱者にジュースなどの飲料。Cは保護者世帯に冷凍食品など。
取材当日のAコースは水4ケース(2リットルが24本)。2人の幼児がいる高橋さんは、Aコースを2つ受けた。
いのちの水には自由記入帳が置かれているが、そこから、母親たちの率直な思いを紹介したい。
《白河市から初めて来ました。震災後ずぅーっと水を買い続け、食品にも気を配り、買うこともだんだんままならず、思い切っていのちの水さんに電話で詳細を聞き、県南の者でも利用できると知り感動してしまいました。心からお礼申し上げます》(7歳、4歳の母)
《原発事故でこんなに水に悩まされるとは思ってもいませんでした。これからの子どもたちを思うと胸が痛みます》(5歳、3歳の母で妊婦)
国の基準は、水道水のセシウム濃度を1kgあたり10ベクレルと定めている。そして、郡山市の公表データでは市の上水道はすべてセシウム非検出(1kg1ベクレル未満)だ。
それでも母親たちは不安を払拭できない。坪井さんは、その不安に寄り添うことが大切だと強調する。
「お母さんたちが“不安”と思う。もうそれだけで被害です。お母さんたちの不安は本能的なもの。それを軽視するのが科学者や政府。私は寄り添い続けます」
放射線の話は福島でこそタブー
福島の母親たちが苦悩するのは水だけではない。
いのちの水を利用する、8歳と6歳の子どもの母の山根麻美さん(30代=仮名)は、家庭内で苦しい立場に置かれている。
「ここに住む以上、母として最善を尽くします。長い休みには子どもを県外保養させ、食べ物は、放射線測定する生協の宅配で賄います。でも、地元の夫の実家が露地野菜を送ってくる……。夫の親は“爆発からもう5年もたった。安全だ”と言いますが、私は“まだ5年しかたってない”と言いたい。でも、夫との間で放射線に関する話はしません。話せばもめますから」
前出の高橋さんは、「学校のPTAでも放射線は話題にもなりません。今、校庭や公園で放射線測定する人がいたら奇異の目で見られる。私は不安だから、学校行事があるときに校庭をこっそり測定していました」と、当たり前の不安を声に出せない空気を危ぶむ。
坪井さんは「福島のお母さんたちは、それを話題にすることにすら疲れ切ってしまった」と説明する。
「ウチでは当初、水を配布できるのは500人から800人だけ。もらえない人がたくさんいました。その人たちは店で水を買って、自宅では“いのちの水というところでタダでもらえた。ラッキー”と家族にウソを言っていました。自分の意思で購入したとわかると、特に舅や姑との火種になるからです。今、お母さんたちが放射能問題を口に出せば、家庭では離婚になるし、地域からはじかれます。お母さんたちは、子どもの健康への心配すら口にできず、疲れてしまったのです」
マスコミも福島の母親たちの声を拾わなくなっている。歴史的な不条理に取り残されようとしている母親たち。だからこそ、坪井さんは決めたのだ。
「せめて、私たちは寄り添おう、この人たちを見捨てなかったという歴史を作ろうと決めたんです。いつの日か、子どもたちが“私たちの父母は決して見捨てなかった”と言ってくれるだけの歴史を作る。それが私たちの仕事です」
いつでも寄り添いたいから、「私は1年中サンタであり続ける」
坪井さんは、物資配布の日は1日中、冬でも夏でも、サンタクロースの格好で臨んでいる。無償の愛を注ぎ続ける象徴であるからだ。
坪井さんは’14年12月、「私はサンタになる」と決めた。当時の気持ちをホームページに書いている。
《わだば(私は)、サンタクロースになる。歴史は、時として理不尽な津波のように私達の人生を襲ってくる。しかし、その理不尽な時間のなかに子どもたちを取り残すことは、私はけっしてしない》
1年中、見捨てない。実際、いのちの水では、さまざまな活動を展開している。
毎月第3木曜日には母親たちがざっくばらんに悩みなどを話し合う「母親サロン座談会」を開催。そして生活に欠かせない衣食住のサポート。まず「衣」は、毎月のように、全国から送られた古着などを500円で30リットルの袋に詰め放題のフリーマーケットを開催(売り上げはシリア難民支援などに活用)。「食」は今後、企業からの寄付を増やすことを目指し、「住」で目指すのは保養施設の設置だ。坪井さんが言う。
「水の配布も保養制度も、いちNPOがやるには限りがある。これは社会システムとして、国や自治体が構築すべき課題。この1000年に1度の未曾有の経験をここで生かし、誰もが安心して生きられる社会制度の構築に今動くべきです。私の活動はそのためです」
前出の高橋さんは涙ながらにこう語った。
「今まで普通と思っていたことが、なんて貴重だったんでしょう。子どもが自転車の練習をする、すべり台をすべる、ドングリを拾う。福島では、それにいちいち不安がつきまといます。でも、私はやるべきことをやるだけ。すべては、原発に頼らない社会を構築することにあると思っています」
高橋さんも山根さんも含め、いのちの水の活動を積極的に手伝う母親も現れている。子どもたちは自分たちで守る。最後の砦はそこしかない。
※3月中旬からシリア難民支援のための輸送代を募集予定。
詳細はhttps://readyfor.jp/
〈取材・文/樫田秀樹〉
ジャーナリスト。’89年より執筆活動を開始。国内外の社会問題についての取材を精力的に続けている。『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)が第58回日本ジャーナリスト会議賞を受賞