東京電力の福島第一原発事故から6年、現在も原子力緊急事態宣言は発動されたまま。放射能汚染は今、どうなっているのか?
事故の収束作業が続く福島で’11年秋に開設した『いわき放射能市民測定室たらちね』の鈴木薫事務局長は「被ばくを少しでも少なく、というのがここを訪れる人たちの思い。放射線を測って数値を知れば、やみくもに怖がるのではなく対策が立てられます」と語る。
「炉心から出た放射性物質の量は、全部かき集めても両手にのります」
そう話すのは事故以来、現場で放射性物質の測定を続ける東京大学大学院の小豆川(しょうずがわ)勝見助教。炉心にある大量の放射性物質を思えば、外へ出た量はごく一部。だが、それが広範囲に甚大な汚染をもたらしている。
事故3年目に小豆川助教がスーパーの食品を測り中央値をとると、1kgあたり0・16ベクレル。現在はさらに低く、食品の汚染度は「下がっている」。ただ事故発生から1年を振り返ると、「事故直後の福島県内の葉物野菜は、数千ベクレルのものもありました」(小豆川助教)
’11年3月17日に国の暫定規制値が設定され検査が始まるまで、汚染度の高い食品が流通したことを考慮すべきと言う。’12年4月には規制値より厳しい新基準値─一般食品100ベクレルが施行され、検査体制も順調に機能。現在は「流通している食品に基準値を超えるものはまれ」だ。
食の安全は回復したと安心していいのか。実は、そうとも言いきれない。
0・003ベクレルまで検出する小豆川助教にかかれば、放射性物質は今もほぼ検出されるという。ならば「被ばくは気にしない」、いや「少しでも減らしたい」など考え方はさまざまだ。
出荷用と自家用では農作物のセシウムの値が異なる
基準値にも議論がある。身体に放射線があたる被ばくには、体外から放射線を受ける『外部被ばく』、食事などで体内に入った放射性物質からの『内部被ばく』がある。後者の影響は具体的にされていないことも多いが、外部被ばくで問題なくても内部被ばくでは問題な放射線もあると、琉球大学の矢ヶ崎克馬名誉教授。
「被ばくは、身体の細胞の組織を切り離す電離という現象を起こすが、これが内部被ばくでは集中的に起きる。だから欧州放射線リスク委員会のように、1kgあたり大人は8ベクレル、子どもは4ベクレルという基準もある。だが日本の基準値は、集中的な電離の健康への影響を考えていない。内部被ばくを過小評価する国際放射線防護委員会の基準がベースだからです」
矢ヶ崎教授はそう批判する。現に3・11以降、国立難病情報センターのデータでも患者数が加速的に増えており、弱い人に影響が出ているという。一律に基準を決めて“それ以下は大丈夫”とすると、命を切り捨ててしまうことになる。
検査への不安もある。米の全袋検査をする福島県の例もあるが、主として一部を抜きとるサンプル検査のため、たまたま基準値以下だった可能性を否定できない。ただ、全量検査は技術的に無理との指摘も多い。
それでも総じて、食の安全はだいぶ回復している。一方で、放射能汚染の実態が見えにくくなったと、小豆川助教は注意も促す。
「いわき市が昨夏までに測った出荷用の農作物は、96・6%が検出下限値以下で基準値超えは0・1%。だが流通させない自家用では、基準値超えが9・4%。要は生産された農産物にセシウムが含まれていないのではなく、事前段階から細かく測定チェックする出荷用が自家用と選別されるため、流通する農作物にセシウムが少ない。出荷用のみに着目するとセシウムの値が下がっているように見えてしまい、認識を誤る」
市民の健康より、原発の復興を優先したい安倍政権
それに乗る動きもある。現行の基準値は風評被害を助長すると、原子力規制委員会の田中俊一委員長は見直しを訴える。被災地の県知事らは県産食品の輸入解禁を海外に要望。経済協力開発機構の原子力機関も国際基準の新設に意欲的だ。
それを受け、福島・茨城・栃木・群馬・千葉各県で生産加工された食品の輸入を規制する台湾が、解禁の動きを見せた。その台湾は3・11以降、原発を否定する声が再燃。首都・台北駅前の8車線道路を5万人で15時間占拠する非暴力の意思表示などを経て、原発を長年推し進めた国民党から、脱原発を公約にする民進党へ、2度目の政権交代があったばかりだ。
「内部被ばくの不安は大きい。解禁に同意することで原発災害の過小評価を追認したとされても困る。だが産地別の輸入規制が風評被害を招くなら不本意だ。日本の人々が食のリスクとどう向き合っているかを知りたい」と、市民団体『主婦連盟環境保護基金会』『緑色公民行動連盟』は昨年末に来日。生産者や消費者、流通関係者らを訪ねた。
前出・たらちねでは計測データも見つつ質問を重ね、「測定結果の意味を理解するには測定方法なども知る必要があるとわかった」(主婦連盟のライ・シャウフン代表)。福島で、県内産の食品は日本国内で消費できるという声を聞いた緑色連盟のツイ・スーシン事務局長は、「安倍政権が輸入解禁を迫る真の狙いは、世界への福島の安全宣言ではないか。眼中にあるのは原発の復興で、市民の健康ではない」と指摘する。
分断をもたらす風評被害の呪縛
風評被害に関する消費者の意識調査(消費者庁)では、福島県産品の購入をためらう人は16%前後。東京都中央卸売市場の市場統計を見ると、福島県の名産である桃の築地市場での取扱実績は、’11年は平均価格がほぼ半減するも合計数量は増え、合計金額の下落は約800万円にとどまった。以降の平均価格はほぼ上昇傾向で’15年は’10年実績を超えた。合計数量は’12年に下がるが’13年は前年比で約13万kg増、以降はほぼ同規模だ。野菜全体では’11年に平均価格が微減、合計数量と合計金額も下落し’12年はいずれもさらに下がった。’13年以降、平均価格は上昇傾向で’10年実績超えを保つが、復興関連イベントの影響はありそうだ。合計数量の回復はなかばで合計金額は上下して低迷中。
他県はどうか。台湾が輸入を規制する茨城・栃木・群馬・千葉4県の野菜全体を見ると、いずれも平均価格が’11年に下落したが’12年か’13年には上昇へ転じ’16年はほぼ’10年の実績以上。合計金額も、微減の群馬を除き同様に上昇か横ばいだ。
この実態を、風評被害と呼ぶかは悩ましい。福島大学の小山良太教授は、農作物に関する風評問題を「実際は安全なのに、安全でないという噂を信じて消費者が不買行動をすることで、被災地の生産者に不利益をもたらすこと」としつつ、原子力災害で安易に「風評」問題というと「放射能汚染を“生産者”対“消費者”の問題に矮小化する」と著書で指摘する(※『福島に農林漁業をとり戻す』[みすず書房]より)。専修大学の阿部史郎助教は、風評被害には補償があり、経済的被害を相殺して解決となるが、風評が風化しないと「風評被害は発生し続け、補償額が増加するという支払い側の問題が発生する」と喝破(※『農産物・水産物の流通から見る風評被害』より)。
汚染度が低下しても、基準を緩和してはならない
風評被害の対策は重要だが、焦点が被災地にあると見えながら、実は補償を支払う国や企業だとしたら? 国策の被害に公費を投じることは当然としても、焦点をずらして責任を問わないままでは事故の再発を防げない。放射能被害と風評被害を混同し、放射能汚染の被害者を生産者と消費者で対立させ、問題を見えにくくする「風評」被害の呪縛は解く必要がある。
原発災害が毀損したのは、人々の生業に支えられてきた地域の豊かさだという小山教授の指摘もある。補償や賠償の枠組みを、より実態に合わせて再編することも一案ではないか。
半減期30年のセシウム137は毒性が8分の1になるのが90年後。「人の一生にはおさまらない」(矢ヶ崎教授)放射能汚染と向き合うにはどうすればいいか。
「放射能の話題を避けることをやめ、食材を選び、内部被ばくを避ける。基準設定で重要な点は、事故前の食品の汚染状態である0・1ベクレル以下にすることだ」と矢ヶ崎教授。小豆川助教は、「少なくとも現在の検査体制を維持すること。検出されるセシウムが見かけ上で少なくなったからと緩和してはいけない」と話す。農産物はもとより「汚染度が低い傾向の海産物でも高い汚染度のはずれ値がごくまれにある」からだ。厚生労働省は基準値を「見直す予定はない」というが、改悪されないか注視したい。
被災5県の食品の輸入を規制する台湾は、ひとまず解禁を棚上げした。今年1月、すべての原発の運転を’25年までに止めると謳う改正電気事業法が成立。20年来の願いの実現に向けた大きな一歩にも前出・崔さんは「楽観も悲観もしていない。今後も問題を見極めて頑張る」と淡々と語る。台湾は、4年連続で過去最高の輸出額を更新する日本の農林水産物や食品の、第3位の輸出先でもある。
平坦な道はないが、歩むことでのみ、明日へ通じる。
〈取材・文/山秋真〉
ノンフィクションライター。神奈川県出身。石川県珠洲市、山口県上関町と原発立地問題に揺れる町と人々の姿を取材。著書に『原発をつくらせない人びと─祝島から未来へ』(岩波新書)など