東京電力福島第一原子力発電所の事故から6年。原発避難者へのいじめが全国で発覚、問題となっているが、その一方で避難者への“社会的いじめ”が起きていることをご存じだろうか。自主避難者に対するほとんど唯一の支援、借り上げ住宅の無償提供が3月末で打ち切られるのだ。対象者は2万6601人。そのうち1割は、4月以降の住まいが現在も決まっていない。

「新潟では、東京電力の安全対策をアピールするCMが放送されている。これだけ苦しい思いをしたのに、日本は何も変わらなかったというのがいちばん悔しい

 そう話す石田美穂さん(30代)は事故後、福島県いわき市から新潟県へ避難してきた。福島第一原発からわずか32キロの土地で、放射能の危険性も知らず、1歳と3歳の幼い子どもを外で遊ばせてしまっていたと被災当時を振り返る。3月17日、「何やっているの、早く逃げて!」と県外の知人から連絡を受け、18日深夜に避難を決めた。この6年、無我夢中だった。

 石田さんはいわゆる「自主避難者」である。政府は事故後、年間20ミリシーベルトの被ばく線量を基準に避難指示を出す区域、出さない区域に線引きした。後者は自主避難者と呼ばれ、強制避難ではないのだから自己責任、という視線にさらされてきた。だが、前者の区域も避難指示の解除が相次ぎ、帰還が推し進められているのが現状だ。

 これ以上の被ばくを避けたい。廃炉作業中に何かあったら怖い。子どもの生活環境を変えたくない……。そうしたさまざまな理由から、石田さんは家賃を負担して新潟に住み続けることを希望しているが、賃貸住宅の管理会社から「審査が通るかどうかわからない」と言われてしまう。

「母子で避難しているので、審査の際、夫の収入を含めようとしたら“それはダメ”と。パートの収入では“足りない”と。審査が通らなかった場合、本当に4月から行き場がありません」

 福島県から家賃補助を受けられる見込みはあるが、管理会社は「家賃補助の決定通知書がないとダメ」。一方、福島県は「賃貸契約書がないと家賃補助の決定通知書は出せない」。石田さんは途方に暮れている。

 昨年、甲状腺にしこりが見つかった。

「子どもたちは、私と同じ行動をとっていたから、今後、子どもにも出るかもしれない。その恐怖は、言葉にできない。この後悔は一生消えないんだな、って」

 石田さんは、忘れられることが悔しいと話す。

オリンピックのふわふわした空気に包まれていく。こんなに苦しいのに、わかってくれる人はいない。

 もうすぐ群馬県で原子力損害賠償を求める集団裁判の判決が出ます。裁判なら、原発事故が風化していく世の中の空気が変わるかもしれない。新潟の裁判の原告になっていますがお金だけの問題じゃない。国と東電に謝罪してほしいんです」

住宅支援の打ち切りに対し政府交渉を行う自主避難者とその支援者

裁判を武器にした原発避難者の闘い

 事故をめぐって、国や東京電力の責任を問う動きは全国で広がり、多数の裁判が起きている。3月17日に群馬県の原発訴訟で判決が出され、21日には全国最大規模の『生業裁判』が結審される。避難者に対する風向きは変わるだろうか?

「風評じゃない。実害ですよ。農家が死に物狂いで努力して作物への移行が低くなっただけで、放射能汚染が消えたのではない」

 二本松市に住む服部浩幸さん(47)は『生業を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟の原告団事務局長を務める。生業裁判は、原発事故を起こした東京電力と国に対し、事故で汚染された地域の原状回復と被害の救済を求める訴訟だ。原告は4000人超。裁判を通じて責任の所在を明らかにし、原告にとどまらない被害者救済と全国の原発をなくすことを目指しているという。

 被災当時、物流が止まる中で、スーパーを営む服部さんは必死だった。

「商売が最優先で子どものことや放射能汚染のことを考える暇はなかった。地域の人たちに食べ物を供給しなくては、とそれだけで」

 前出の石田さん同様、子どもたちへの責任を今、痛烈に感じている。

「震災から6年目で甲状腺に嚢胞(のうほう)が、上の娘にも、下の息子にも見つかった。健康への憂いは消えない。せめて、病気や症状が出てしまったときに、しっかり対処する制度が欲しい。子どもが優先されるのはわかるけど大人にも検査体制の整備は必要。今は健康リスクが矮小化されています」

 事故後、数年はガマンした趣味のサイクリングを久しぶりに再開した。苦しくなりゼーゼーと息をつき、ふと横にあるフレコンバッグの山が目に入った。除染で出た放射能汚染土や汚泥が詰まっている。

「あれ、ここ、サイクリングしていいのかなって、ふと思ったんです」

 放射能は今も身近にある。そもそも原発の廃炉も見通せない状況だ。

「先日、少し大きな地震があったとき、真っ先に原発は大丈夫か!? と思った。この不安は、福島にいる人なら誰でも感じていると思う。被害を受けていない人なんてひとりもいない」

 事故後も福島を離れなかった服部さんだが、自主避難者の住宅支援打ち切り問題も気にかけている。

自主避難した人たちが助かってほしい。でも“逃げたやつ”とか“復興の妨げ”という地元の声があるのは残念。自主避難は“不要な避難”と言われてしまうけれど、そうではなく被ばく回避行動のひとつですよ。ならば、われわれ滞在者も一緒に助けてと言いたい。分断を乗り越えて、被ばく回避策を避難者・滞在者の両方につくれ、と国や東電に訴えたい。同じ被害を受けたもの同士ですから」

二本松市で山積みにされたフレコンバッグ。経年劣化による破損も気がかり

福島県のある原告の言葉が忘れられない

 事故から数年を経て、再び地元で暮らす避難者もいる。尾川亜子さん(30代=仮名)は3年にわたる関東への自主避難から’14年4月、いわき市の自宅に戻った。

「避難から戻る人、これから赤ちゃんを産む人のためにも、できるだけいい環境にしたい」(尾川さん)

 被ばくの低減を目指す母親たちの会に所属。2人目の子どもを望んでいる。

「娘との日常が楽しいし、2人目も欲しい。そんな思いを大切に暮らしているけれど、ふとしたときに廃炉作業中の原発、放射能汚染、防災対策がずさんであることが頭をよぎるんです」

 尾川さんは津波被害にも遭っている。わが子がいずれ通うことになる中学が津波に襲われた場所にあることから、変更できるのか役場に聞いたところ、

「“通っているお子さんがいますから”と取り合ってもらえなかった」

 “通っているお子さん”のことも心配しているのに──。いちばん言ってほしくない言葉だった。

「幸い、その中学に亡くなった生徒はいないけど、命の危険を感じたという話も聞いている。次の地震が1時間後か、明日か、わからない。津波も原発事故も、被害を受けてからでは遅いんです」

 尾川さんは、「現状をよりよくしたい」と願う。

「ほかの原発が爆発したとき、被害を受けた私たちの“今”がマニュアル化されて、これ以上の改善は望めないという教科書にされるのが嫌だから」

 まもなく結審を迎える生業裁判の弁護団事務局長・馬奈木厳太郎弁護士は、福島県のある原告の言葉が忘れられないという。

「次の事故はあってほしくないけど、もしあるなら、福島がいいのかもしれない。みな、どれほど大変かを知っているから少しはうまく対処できる、と──。そんなことを、福島の人に絶対に言わせてはいけない」

 そう語気を強める。

「原発事故は他人事ではない。原告にも、事故前から危ないと言っていた人がいたのに、被害が出なくては原発の危険性を認識できなかったと悔恨の思いがある。それは私も同じです」

 事故に法的責任があるのは国と東電。だが、「汚染された地域を次世代に引き継がせざるをえなくなったことは、大人の誰もが責任がある」と馬奈木弁護士。

「裁判は被害者が被害者で終わらないための人間の闘い・教訓化です。権力側は被害者を分断させたがる。今度は賠償の国民負担という話で、被害者と国民の間に分断を持ち込もうとしている。そうさせないためにも、日本全体の問題として考えなくてはならない

 地震が多発し、54基もの原発を抱える日本で、事故が2度と起きない保証はどこにもない。当事者として裁判を注視したい。

<取材・文/吉田千亜>
フリーライター、編集者。東日本大震災後、福島第一原発事故による放射能汚染と向き合う母親たちや、原発避難者への取材を精力的に続けている。近著に『ルポ 母子避難』(岩波書店)