この10年で死者の数は約30万人も増加。多死社会の日本で、「葬式ができない」「お墓が足りない」と言われるが本当なのだろうか?。人が亡くなれば、火葬場に運ばれ、やがてお墓に。そんな当たり前だったことが崩れようとしているのか? 死んでも死にきれない“終末クライシス”の意外な現状が明らかに──

都市部では、新設の火葬場を建設するのは、住民の反対などがあって難しいのが現状だが…。

「火葬場の予約ができない」

「火葬場の予約が取れなくてお葬式までに1週間も待たなければならなかった」

 そんな話を聞いたことはないだろうか。ネットでは「10日待ちもあった」と話題に。

 だが、葬送問題に詳しい第一生命経済研究所の小谷みどりさんは、こう否定する。

「混雑のあまり、火葬できない現状はないですね。確かに亡くなる人の多い冬場に1~2日はあるかもしれないけど、実際には葬儀屋さんの都合ということが多いんです。1社の葬儀屋さんが、1日のうちに葬儀と告別式を、いくつも引き受けることはできないので“火葬場が空いてません”という理由で、お客さんに日程をズラしてもらうんです

 ほぼ100%、火葬にされる日本では、大切な人が亡くなっても火葬できないと大問題。葬送ジャーナリストの碑文谷創さんも「火葬場の容量はまだあります」と語る。

「日本のように、多死社会が始まっていると“火葬は間に合うのだろうか?”という危惧はすぐ言われます。でもパニックになる状況にはない。行政も、民営の火葬場もすでに多死社会を見越して経営しているからです」

 2040年には166万人に達するという死亡者にも火葬場は対応できるというから冬場の混雑から派生した「火葬難民」の噂も、どうやら杞憂に終わりそうだ。

「ただしこれからは、火葬場を使う人たちは、時間帯をズラすなどして工夫していく必要があります。“待ち”が出るのは、葬儀の時間帯が集中してしまうから」(碑文谷さん)

 現実問題として、今は葬儀も安さ競争になっている。しかも、家族葬のような小さな葬儀が増えているから、費用は安くなり、数は増えて手間はかかる。

「だから安さを求めすぎると葬儀社に勤める従業員の人件費の過度な圧迫にもつながりかねない。でも同時にお葬式とは本来“人の死を受け止める作業”なのに、昨今では、遺体の処理となってしまっているのが心配ですね

死者が増えているのに、納骨件数は増えていない?

「お墓が足りない」ことも、最近のネット上では話題となっている。

「これもまた“ガセネタ”ですよね」と、前出の小谷さんは断言する。

23区内でも売れてないんですよね。東京都だけの傾向ですけど、都立霊園の倍率だけは毎年高いんですよ。それは無縁墓になった人のお墓を更地にして売りに出していて数自体が少ないから。10とか20区画ぐらいのところに200人とか来るので、20倍30倍の倍率になる。青山とか赤坂あたりのお寺のお墓でも、数十万~100万円前後のお墓ですけど、あまり売れないんですよね

 2015年の日本の死亡者数は129万人で過去最多。これだけ人が死んでいても、実際にはお墓が売れていないという。

「お墓が足りないと騒がれ始めたのは、バブル時代の土地高騰のころ。地方ではもう墓は余ってるし、死者が増えても不足することはないでしょう」(碑文谷さん)

 墓不足の心配がひとり歩きしているのだ。

値段が高いので、みんな買い控えているのか、もうお墓はいらないと思ってるのか、ですよね。厚生労働省の調査報告によれば、死者の増加に比べて、お墓に納骨される件数が、ぜんぜん増えてないんですよ」(小谷さん)

 ではみんな、どうしているのだろうか?

放置したり、捨てたり、散骨したり、合葬してる人が多いのでしょう」と小谷さん。

死んでも、悲しむ人や墓参りする人がいない

 また碑文谷さんによると、

「例えば夫婦世帯で暮らしていても、どちらか先に死んでしまっても、手元に置いている方は多い。お墓を持っていても、面倒だったり、お金がかかるから、このままでいいやという人たちもいます

 実は葬儀業界、墓石業界では“葬儀も墓問題も、この先二極化する”と言われている。

 (財)日本消費者協会「第11回『葬儀についてのアンケート調査』」(2017年)によれば、葬儀費用の全国平均は196万円。一方で、墓石代の全国平均は163・7万円と言われている。死者が増えたとき、葬儀にも墓にもこれだけのお金をかけられる、ゆとりのある人たちがどれだけ増えるのだろうか。

「もう考え方自体を変えないとダメなんです。お葬式も墓も、残された人のためにあるわけです。でも、残される人のいない人たちが、どんどん増えるわけですから」(碑文谷さん)

 火葬ができないからでも、お墓が足りないからでもなく、むしろ本当の意味での、葬式を出せない、墓が持てないという「葬式難民」「墓難民」が増えていくのかもしれない。

多死社会では、亡くなったあと、豪華な花や祭壇を飾った告別式を望めるのは、ごく限られた人になっていく

高齢者の方で、1週間もしゃべってないし、電話もかかってこないという方もいらっしゃる。当然その人たちが死んでも、墓参りしなきゃとか死んで悲しむ人はいない。

 そうなると、亡くなっても葬式はやらなくて、火葬だけですませてしまうとか、残ったお骨も捨てるとか、そういう人たちが増えるのは必然ですよね」(小谷さん)

 昨年亡くなった方で、90歳以上が38%。子どもももう高齢だから、子どもにだって頼れない時代が来ている。

「私たちは、死者は忘れられる存在だということを意識しないといけない。お墓があったって誰もお参りには行かない。そういう考え方を受け入れていかないと」(小谷さん)

 2006年に大ヒットした曲『千の風になって』には、「私のお墓の前で泣かないでください」というフレーズがある。けれど10年後、多死時代にして人口減に向かっている日本では、この歌詞さえ幻になりつつあるのだ。

よく生きて、よい死へ──今あるつながりを大切に

 とはいえ現実的な、官民の連携による朗報もある。横須賀市や大和市では、身寄りがなく生活にゆとりのない高齢者の死後の葬儀や納骨方法などの計画を生前に作成する支援を始めている。また、市民活動にも希望の動きが。

「NPO法人葬送を考える市民の会では、女性のしなやかな視線から死をタブー視せず各人が心のこもった葬送を実現できるようにサポートしています」(碑文谷さん)

 人生のエンディングは、誰もが誰かに、身の始末は託さざるをえない。「樹木葬」や「合祀」といった、最近、話題にのぼるお墓の形を選ぶのはどうだろうか。

「樹木葬が広がってるかというと、実はそんなに広がってないし、そんなには売れてない。普通のお墓を欲しいって思う人のほうが、圧倒的に多いんですよね。合葬に抵抗を持つ人が多いんです」(小谷さん)

 人は死んでさえなお、知らない人と一緒にいるのを嫌がるものなのか。

「ただ最近は、合葬のお墓でも、老人ホームがお墓を持っていて、終の棲家が同じという人同士とか、生協のコープの人たちで入れるお墓は人気がある。横のつながりで死者を葬る試みは広がってます。

 今までは家族が葬送してきたけど、その価値観が破綻している。自立できなくなったときには、老人ホームとか友達同士でお墓に入るのも増えてくると思う。もうタテではなくて、ヨコのつながりで弔うしかない」(小谷さん)

 死んでからのことに思い煩うよりも、生きて友達や人とつながることに時間やエネルギーを費やすべき。小谷さんは明るく言い切った。