「しもしも~♪」と、最近毎日のようにテレビで見る平野ノラ。彼女のネタは、すべてバブル絡み。実は今、若者の間でバブル文化が再燃中なのだ。
当時、流行ったセカンドバッグがクラッチバッグと名を変えて復活したり、“パリピ”と呼ばれる若者が長~いリムジンを借りてシャンパンパーティーをしたり……。ファッションも生活スタイルもバブル臭プンプン。
バブル時代、お立ち台の女王として知られたタレントの荒木師匠は、こう語る。
「シンプルライフとかミニマリストとか、もういい加減あきちゃったんじゃないですか? 人間は、いつの時代もキラキラしたものに魅かれる生きもの。不景気が続いたから、“派手にしちゃいけない”って風潮があったけど、ガマンの限界なのでは?」
若者たちに真のバブルを教えるべく、あのころにタイムスリップしちゃおう!
【遊び編】会社とオトコの金で遊ぶのがキホン!
とにかくスゴかったのが、ディスコにかける本気度。
「会社帰り、直でディスコに行きたいから、朝から流行りのヘアスタイル“トサカ頭”にして、地味な事務服の下にキラッキラのボディコン着てました(笑)。たまにブラウスの下からラメが透けて光っちゃったりして。オッサン上司に“アフター5はギロッポンかい?”とか、本気で言われてたのが、いま思うと恐ろしい」(S・I/パート/49歳)
ディスコブームは東京だけじゃなかった!
「福島の郡山にも『マハラジャ』があったんです。私は会津に住んでいて、超ミニスカート姿で通ってたな。終電が早いから始発で帰って、ミニスカで出勤してました」(K・O/主婦/50歳)
遊びにかける体力がハンパないバブル世代。世間は、遊びに対して寛容だった──。
「“今日はテニスに行くので定時で帰りま~す”と、上司にラケット片手にブリッコすれば、さっさと帰してくれる時代でした。今は過労死するくらい働かせられるのに……ホント、すみません!」(I・A/主婦/54歳)
遊びにはお金が必要。当時の出どころというと……。
「もちろん、オトコ~。ディスコも食事も飲み会も、遊びで財布を出したことなし! 彼氏や上司だけでなく、そこらへんで飲んでる見知らぬ男たちもおごってくれました」(S・S/会社員/48歳)
ワリカンなんてありえない。もちろん帰り道だって、
「会社の飲み会は、上司がタクシー券を出してくれました。その額、1回2万円。そのムダ遣いが原因かわからないけど、会社は数年前に倒産」(G・T/主婦/52歳)
ゴルフはグアム、テニスはハワイ
「ゴルフは海外でやるのが普通でしたね。だって、海外でプレーしたほうが安かったんだも~ん」(U・E/主婦/53歳)
当時のゴルフ会員券は驚くほど高額で、プレーはオジさまに連れていってもらうときだけ。女友達と行くときは、もっぱら海外だったという。
「グアムのゴルフ場で、女子仲間とたらたらプレーしていたら、後ろのオジさまグループに“早くしろー!”って怒られちゃいました。でも、そのオジさまと仲よくなって、高級レストランでゴチに」(T・T/会社員/52歳)
男と見たら、とりあえずゴチになるのがバブル女。
「会社のスキーサークルに所属していた私。でも“たまにテニスしたいな”ってつぶやいたら、みんなでテニスしにハワイへ行くことに。すると、会社が補助金で、おそろいのウエアを買ってくれました」(R・F/主婦/53歳)
会社からもお金をまきあげるバブル世代。
「“社員旅行は大磯で魚釣りでもしましょうか?”って社長に相談したら、なんとサイパンでトローリングをすることに。小さな会社だったので社員全員で船に乗り込み、シイラとかいう巨大な魚をひっぱりあげました」(W・E/主婦/52歳)
会社ぐるみで遊びに全力投球、ぶっとび~!
【オトコ編】アッシーとかメッシーは意識もしない!
“アッシー”は車で送り迎えをしてくれる男、“メッシー”は、ご飯をごちそうしてくれる男……。
バブル時代は、キレイな女性に尽くすのが男の楽しみだったという。
「小ギレイにしている女性なら、たいていお抱えのアッシー&メッシーがいましたね」(U・T/パート/49歳)
給与は右肩上がりで、明るい未来を描けたあの時代。男性たちは、キレイな女性を口説くためならいくらでも労力とお金をかけていた。
「私はアッシーとかメッシーとか意識していたわけではなく、どこかに行きたくなったら、“男を呼ぼうかな?”って感覚でした。今じゃ、車で夫や子どもの送り迎えをしてるのは私ですけどね!(怒)」(I・I/主婦/54歳)
彼氏と、アッシーやメッシーは別もの。彼氏にはもっとハイレベルなミッションが与えられていた!?
「当時の彼氏は湘南に住んでいて、朝早く起きて自慢のスポーツカーをピカピカに磨いて、都内の私の家まで迎えに来てくれました。再び湘南に戻ってドライブを満喫。夜は都内に戻って食事。私を家まで送って、湘南に帰っていく彼。燃費の悪いスポーツカーで湘南まで2往復とは……。本当にごくろうさまです」(Y・M/パート/52歳)
出張みやげが“ディオール”“シャネル”
記念日ともなると、彼氏への負荷がより一層高まる。
「高級レストランで食事をして、花束とブランド品のプレゼントをもらって、赤プリ(赤坂プリンス)でお泊まり。これが私の誕生日のスタンダード。彼氏は当時、大学生でした。今、私の息子が大学生ですが、彼女にそんなことしたら激怒しますけどね」(R・Y/主婦/54歳)
当時の女性たちの結婚観はというと……。
「W浅野(浅野温子、浅野ゆう子)出演のドラマで、“悪かったわね、30で”というセリフが大流行。だから恋愛に貪欲でした。おごってくれない男は、結婚相手として失格」
“お金をガンガン出さない相手は、自分を女として見ていない”と思っていたのだ。
「デートは“財布を持たない”のが当時の私の常識でした。自販機で缶ジュースを買うのも、彼が小銭を出してくれましたから」(W・A/主婦/53歳)
付き合っていない女性にもブランド品をプレゼントするほど、バブルの男たちは羽振りがよかったという。
「海外出張に行った男性が、同じ部署の女性全員にディオールのネイルとシャネルの口紅を買ってきていましたね。今じゃ、出張に行っても、まんじゅうすら買ってこないのに(笑)」(T・Y/会社員/54歳)
ちなみに当時、もらったブランド品はリサイクルショップに売り飛ばされ、家計の足しにしてるとか……。金は天下の回りものですね~。
【就活・バイト編】時給1万円のバイトがザラ!
「大学生のとき宴会会場でバイトをしていて、たった2時間勤務で1万円以上もらってました! ホテルのパーティールームで、お酒を配るだけですよ。今じゃ、時給900円のパートなのにね、チッ」(S・R/パート/52歳)
とにかくパーティーが多かった時代。
「私はスカウトをしていました。大学でカワイイ女の子に声かけて、ホテルに紹介していたんです。楽チンで高額バイトでした~(笑)」(O・N/主婦/52歳)
バブル世代の学生時代は、“花の女子大生”と呼ばれ、男だけでなく、世間からもチヤホヤされていた。
「コンパニオンのバイトは2時間拘束で2万円。コンパニオンといっても、例えば家電量販店で新商品の横に立っているだけ。月数回の勤務で10万円以上、稼いでたな~」(U・I/契約社員/53歳)
女子大生人気のウラには、危険なバイトもあった。
「コンパニオンに応募したら、なんと愛人バンクでした。試しに1人の年配男性に会うと、カフェでちょっと話をしただけでバイト代のほかに10万円渡されそうになって……。すぐに断ったけど、今だったらやりたいわね~。無理か」(N・N/パート/50歳)
バブル世代は、元祖パリピ。パーティーを企画運営していた人も多かった。
「パーティー券を売りまくって、月に20万円以上は稼いでましたね。今は一生懸命に働いて、月給8万円よ!」(T・E/パート/49歳)
内定続々のゆる~い就活
バブル世代の親たちも、もちろん景気がいいわけで、バイト代のほかにたっぷりとお小遣いをもらっていた。とにかくリッチだった女子大生。そんな彼女が初めて直面する壁が就職活動……ではなく、これまた甘い汁を吸っていた。
「どんなダメッ子でも、内定5~6個はもらっていましたね。面接に行けば受かっちゃう感じ。先日、大学4年の娘にこの話をしたら、しばらく無視されました」(Y・O/主婦/54歳)
現代の厳しい就活を頑張る若者が聞いたら激怒するのは当然。さらに、水戸黄門の印籠のように試験をパスできたのが、教授推薦。
「教授から推薦状をもらえば、ほとんど内定が決まったようなものでした。大学生の子どもに“教授推薦をもらえば?”と言ったら、“そんなもん今の時代ないよ!”とキレられました……」(U・I/主婦/52歳)
面接に行かなくても、内定をもらえたなんて話も……。
「面接に向かう途中、足をくじいて“ほかの内定もあるし、もういいや”って面接に行かなかったんです。なのに後日、その企業の関連会社から、オファーが! 私の履歴書が関連会社に流れて、面接もしないで内定が出たんです。今では考えられない個人データ流出ですが、条件がいい会社だったので就職しました」(Y・E/主婦/50歳)
苦労知らずのバブル世代。だからこそ、こんな時代になっても底抜けに明るい!
「不景気の出口が見えない今でも“また盛り返すぞ!”っていう気持ちは常に持っています。私たちが日本の未来を明るく照らさなきゃって!」(W・A/自営業/53歳)
日本の輝かしい未来は、バブル世代が握っているのかもしれない!?