弟の死に兄の渡哲也(右)も言葉を失った

《この喪失感は何とも言葉になりません》

 兄の渡哲也が直筆ファックスで綴った思いは、ファンにとっても同じだった──。3月14日、渡瀬恒彦さんが帰らぬ人となった。72歳だった。

「胆のうがんがわかり、一昨年から闘病を続けていました。もう1度カメラの前に立ちたいという思いが強く、諦めずに病気に立ち向かっていたんですが、力尽きてしまいましたね」(スポーツ紙記者)

 4月からは、今年で12年目を迎える主演ドラマ『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)の新シリーズが始まるが、出演は叶わなかった。

「1日も早いご回復をお待ちしておりましたが、収録にはご参加いただけませんでした。なお、代役を立てるなどのキャストの変更はありません」(テレビ朝日広報部)

 13日には撮影の打ち合わせをしていたが、翌日に容体が急変したという。

「『9係』での渡瀬さんの役は敏腕刑事で、娘役の中越典子さんと恋仲になる部下を演じるV6・井ノ原快彦さんとの軽妙なやりとりが人気でした」(テレビ誌ライター)

『おみやさん』シリーズ(テレ朝系)や『十津川警部』シリーズ(TBS系)など、渡瀬さんには警察官の当たり役が多い。しかし、デビュー当時はまったく逆のイメージだった。

「お兄さんの渡哲也さんが日活の青春スターとして活躍していましたが、渡瀬さんは芸能界に興味がなかったんです。でも、東映社長の岡田茂氏に口説かれ、サラリーマンをやめて俳優になりました。当時の東映は任侠映画路線でしたから、渡瀬さんもヤクザやチンピラの役で活躍、『仁義なき戦い』での若い武闘派ヤクザの演技は鮮烈でしたね」(映画ライター)

大原麗子さんとは猛プッシュの末、結婚。しかし結婚生活は5年で幕を閉じた

 大学では空手部に所属し、2段の腕前だった渡瀬さんは、本当に腕っぷしが強かった。

「“芸能界最強”と言われていましたね。“主役に抜擢された彼に嫉妬して、因縁をつけてきた俳優たちをボコボコにした”とか“米兵3人を1人で相手して撃退した”などの数々の伝説を残しています」(前出・映画ライター)

元妻との共演ではそばにつきっきりで

 私生活では'73年に大原麗子さんと結婚するが、'78年に離婚。翌年に現在の妻と再婚し、1男1女に恵まれた。

'83年の『南極物語』では、“共演”した犬たちを引き取って育てました。一緒に苦楽をともにした仲間ですから、“もう厳しい環境には戻せない”と思ったそうです」(映画配給会社関係者)

 渡瀬さんの動物好きは有名で、自宅近くの公園ではよく愛犬を散歩させていた。

「映画の犬だったのかはわかりませんが、アラスカ犬を散歩させているときがありました。その犬たちが亡くなった後は茶色のラブラドール。きっちりと躾をしていたようで、それは犬を見てもわかりました」(近所の住人)

 '91年には思わぬ災難に見舞われることに。

「経営していた伊豆のペンションに落雷があり、大火事になって屋根などが焼けました。ログハウス型のおしゃれな建物で、12億円もしたそうです」(前出・スポーツ紙記者)

 '95年に起きた阪神・淡路大震災では、石原軍団とともに現地に赴き、炊き出しを行った。渡瀬さんは島根県生まれだが、幼少時に淡路島に移り住んでいて、第2の故郷でもあったのだ。

 '92年から始まった『十津川警部』シリーズでプロデューサーを務めた森下和清さん(現オスカープロモーション・エグゼクティブプロデューサー)に渡瀬さんとの思い出を聞いてみた。

「'13年の9月に放送された50作目で、お兄さんの渡哲也さんにゲスト出演してもらったんですよ。渡さんは'11年のTBSドラマ『帰郷』で兄弟共演して、制作発表会見で“共演はこれが最後です”と言っていたからダメだと断られたんです。でも恒さんが説得してくれました。撮影中に見ていると、お兄さんの前だと、恒さんはまさに弟。かわいいというか、弟ちゃんという感じ。それがほほえましかったね

 もうひとつ、森下さんが渡瀬さんに頼んで実現させた共演がある。

「'04年の12月に放送された33作目に、元奥さんの大原麗子さんに出てもらいました。恒さんに、出てもらいたいと伝えると“オレはいいんだけど、奥さんに聞いてみるわ”って。奥さんは、“もうそんな小さいことは忘れているからいいわよ”と言ってくれたそうです。麗子さんは相変わらずわがままだったから、恒さんは自分の出番がなくてもマネージャーのようにずっと彼女についていましたね」

仕事を忘れホッとひと息つける場所

『おみやさん』で、行きつけの店という設定で撮影が行われた京都の料理店『辰樹』には、プライベートでも通っていたという。

「最初は'04年でした。6年前、東日本大震災があった日に共演している櫻井淳子さんと来てくださったのが最後だったかな。なんでも美味しいと言って食べてくださって、よく、のどぐろの焼いたのを召し上がっていました。ビールと焼酎を飲んでいましたが、深酒することはなかったですね。健康には気をつけていらっしゃったようなんですがね……」(女将の岡本依子さん)

 自宅のほど近くにも、10年以上通っていた店がある。ラーメン店の『めでた屋』だ。

「毎週欠かさず来てました。実はうちの名物は『チャーシューメン』なんですが、渡瀬さんは毎回決まって650円のシンプルな『支那そば』。あっさりしているから毎週食べても飽きなかったみたいです」(店主の渡邊正樹さん)

 いつも運転手やマネージャーと、午前11時30分の開店とともに来店して、10分ほどでサッと食べて帰っていったという。

「ほかのお客さんにバレないようにするためだったんでしょうかね。たまに奥さんと2人のお子さんといらっしゃるときもあって、娘さんが成人して名古屋に行かれた後も帰京の際にはよく来ていただきました。本当に残念ですね……」(前出・渡邊さん)

 多忙な渡瀬さんにとってこのお店が、仕事を忘れホッとひと息つける場所だったのかもしれない。優しい素顔を隠した渡瀬さんは“強い男”のままで旅立っていった。