吹奏楽部の練習が終わり、乗車予定のバスの出発時間は午後6時20分だった。それを逃すと、1時間以上待たなければならなくなる。
同校の出入り口からバス停までの歩道は薄暗く、人通りが少ない。バス停の近くにはバス会社の支所と寿司店があるのみ。住宅街からは遊歩道の樹木が目隠しになり、バス停を見通すことはできない。生徒からは不安の声があがっていたという。
3月10日、石川県立能登高校1年の池下未沙さんは、いつものバスに乗り遅れてしまい、母親に連絡をした。午後6時30分ごろだった。
「バス停に迎えに来てほしい」
それが母親と未沙さんの最後の会話になった……。
午後6時50分ごろ、母親はバス停に到着したが、娘の姿がない。人影のないバス停には、携帯電話、体操着、鞄などが散乱していた。
いつまでたっても見つからない、帰宅しない未沙さんを心配し、家族は午後8時20分ごろに110番通報した。
その1時間半後の午後9時50分ごろ、能登町の空き家で未沙さんは遺体で発見された。1階居間に大量の出血跡があり、未沙さんはそこにあお向けに倒れていた。
口や手は粘着テープで縛られた状態でメッタ刺しにされた。肩の1か所以外、切り口はすべて首に集中していたという。死因は頸動脈損傷による失血死。抵抗する際にできる防御創は確認できなかった。
抵抗のあとのないことが、16歳の少女が突然直面した、想像を絶する恐怖を物語る。
2人の間の接点は──
犯罪心理学に詳しい、新潟青陵大学の碓井真史教授は、
「悲鳴をあげればいい、逃げればいいと話す人は多いですが、犯罪被害者に話を聞くと、まるで蛇に睨(にら)まれたカエルのように何もできないという人は非常に多いんです。
意外かもしれませんが、悲鳴をあげたことがない人が、突然悲鳴をあげることなんてできないんですよ。彼女はきっと、怖くていうことを聞くしかなかったのでは」
と状況を分析する。
それもそのはず、警察の発表によれば、死亡推定時刻は午後7時ごろ。母親に迎えを頼む連絡をしたわずか30分後なのだ。未沙さんは、自分が何に巻き込まれているのかわからず、身を硬くするしかできなかったのかもしれない。
未沙さんの殺害場所は、事件への関与が疑われる長野県の大学に通う男子学生(21)の持ち物から浮上した。
未沙さんの死亡推定時刻の約40分後。午後7時40分ごろ、石川県穴水町の自動車専用道路で、歩行中の男子学生が軽自動車にはねられ重体になった。近くには、彼の車が止められていた。
助手席には血のついた包丁。車の名義から男子学生が滞在していた空き家を捜索したところ、遺体が発見された。空き家の鍵は、車の鍵と同じ鍵束につけられていたという。
空き家から男子学生がはねられた現場までは約20キロ。車で30分ほどはかかる。
この男子学生の犯行とすれば、18時30分過ぎに未沙さんを拉致し、バス停から約6キロの距離にある空き家に連れ込み、19時ごろに殺害。その直後には家を出発し事故現場に向かったと推測される。
あまりにもあわただしい犯行。今のところ、2人の間の接点は見つかっていない。「無差別犯行の可能性」との報道も。
男子学生が搬送先の病院で翌11日午前11時30分に死亡したため、真相は藪の中だが、男子学生の心の支えになっていた祖父の存在が彼に希望を与え、その死が男子学生を自暴自棄にさせた形跡が浮かび上がった。
祖父の死をきっかけに──
犯行現場の空き家も、祖父との思い出の家だった。
近隣に住む70代の女性が明かす。
「あそこの家には以前、亡くなった男子学生のじいさんが住んでいてね。2年前くらいに病気で倒れて、空き家だったんだよ。そのじいさんも昨年10月に亡くなったの」
子どものころ父親に連れられて祖父の家に来て一緒に畑仕事をやっていた姿を、近所の住民は記憶している。小学校、中学校、そして高校は県内屈指の進学校に入学し陸上部に所属して活動していたころにも、その姿は近所の人に目撃されていた。
市内に住む50代の男性は、
「同級生のお母さんから聞きましたけど、どうもいじめられていたみたいなんですよ。人間関係のトラブルが進学校でもあるんですね」
勉強のギアを上げなければならない時期に、学校に行けない。受験生にとっては計り知れない痛手だ。当然、成績も下がる一方。その結果、男子学生は浪人生活を2年間送ることになってしまった。
救いとなったのは、祖父の家だった。
子どものころのように畑仕事を手伝ううちに、農学部への進学を考えるようになったという。
信州大学での前期の成績は平均点を越えていたが、祖父が亡くなった昨年10月以降には学業に身が入らなくなり、成績も下降したという。
いじめに不登校、浪人生活の末に大学生になったが、心の支えだった祖父の死。立て続けに味わった衝撃が、犯行に向かわせたのだろうか。
思うような人生を歩めないことへの不満
非常に不可解な事件だ、ととらえる前出・碓井教授は、
「首から上を集中的に攻撃していることから、強い殺意がある。短時間で殺害し、自殺した。犯行前から、殺すこと、そして死ぬことを決めていたのではないでしょうか」
と推理する。そして、
「異常犯罪を起こす人には、おじいちゃん子、おばあちゃん子が見受けられます。男子学生も祖父を慕っていた。祖父は、彼の唯一の理解者だったのかもしれませんね。その祖父が亡くなったことで、不安定になり、犯行の引き金になった可能性は考えられますよね」
さらに自暴自棄になっていたのではと碓井教授は話す。
「通り魔事件の犯人は、犯行後に自殺、捕まっても死刑を望む場合が多いんです。結局自分はどうなってもいいと思っているからこそ、捕まることが怖くない。今回も自分の思うような人生を歩めないことへの不満が根本にはあったのかもしれませんね」
13日に通夜、14日には告別式が営まれ、参列者の涙に見送られた未沙さん。遺族の悲しみは深く、未沙さんの祖父は『週刊女性』の問いかけに対し、
「気が抜けてしまって、今は何も言葉にすることができません。申し訳ない」
と、とぎれとぎれに言葉をつないでくれた。
外出先から戻ってきた男子学生の母親は、何を尋ねても無言を貫いた。
警察は男子学生の実家、松本市内の下宿を家宅捜索した。パソコンやスマホも残されているが、どこまで真相に迫れるのか。遺族の無念を晴らすためにも、全容解明がせめてもの供養になる。