男女格差と男女平等について考える
フィフィが発した“日本は女尊男卑”との旨のツイートが議論を呼んでいる。賛否両論、さまざまな意見を受け、ツイートでは伝えきれなかったその真意を語ってくれた。

「娘はお父さんキモい、洗濯一緒にしないで…息子がお母さんに優しくすると、マザコン扱い。日本のここだけはほんとおかしいと思う。まず娘がお父さんを汚 いもの扱い、これ夫婦間が影響してると思うし、母親想いの息子をマザコン扱いって、女の嫉妬が影響してる気がするし、やっぱ女尊男卑よね、日本は」(3月20日Twitterより)

日本では、女性が男性に対して酷評することが許されている

 これは永遠のテーマだと思う。そして、私はそもそも男女平等は無理だとする立場なのね。

 思春期の娘がお父さんを避けたり、息子がいつまでもお母さんと仲良かったり、そんな現象を特別視して批判するつもりはないのね。だって、これは日本に限ったことではないから。問題は、それに対して父親がキモいからとか、マザコン息子とか批判しても許される風潮があるってこと。女が男をどれだけ酷評してもおとがめのない社会になってきてると感じるの。

 もちろん、単に罵倒しているのではなく、その背景には愛情の裏返しや照れ隠しもあると思う。日本には、家族間の愛情関係をあまりオープンにしないという国民性もあるしね。

 だけど、たとえそうだとしても、テレビの街頭インタビューなどでもよく耳にするように、奥さんが夫の悪口を言っている場面を視聴者も楽しんでいるところはあると思うのね。でも逆に男性が女性を悪く言おうもんなら、冗談じゃ済まされない、大問題になるんじゃないの?

 そもそも日本の男性は弱いというより、寛大なのか、勝手に言わせておけというところがあるよね。女性は所詮そんなことでストレス発散をする生き物だから、それくらい言わせておけっていう認識かもしれないけど。

男女格差の問題は、社会システムを見て考えるべき

 女尊男卑か男尊女卑といった問題を考えるときには、印象論では語ってはいけないと思うのね。うちはこうだ、あそこはこうだと、個々のケースで語るべきではない。見るべき点は、マスコミを含めた風潮、共有する意識、そして社会システムといった観点です。

 では、日本はどうなのかと言えば、先ほどの街頭インタビューなどでの、“なんとなく男性のことはけなしてもいいよね”といった意識からもわかるように、どちらかと言えば女尊男卑に寄った意識や風潮があるんじゃないかと。

 一方、社会システムにおいても、女性にきちんと配慮がなされているんです。経済活動、社会活動、政治活動において、女性だからといってはできないことはないわけ。むしろ、児童虐待をした親の問われる罪や、痴漢の冤罪などの点では、女性が優遇されていると言っていいくらいです。

 世界経済フォーラムが発表した“男女平等ランキング”で、日本の順位がG7のなかで最下位だったことを受け、日本は男尊女卑だと主張をする方もいらっしゃいます。このランキングを見てみると、管理職や政治家が少ないっていうことが順位に作用しているみたいだけど、女性が高いポジションにいくことを社会のシステムが妨げているわけでは決してないんです。

 ただ一点だけあえて指摘するなら、女性が社会進出をしたいと思ったとき、家庭内の役割分担において、育児・介護・家事といった役割がどうしても女性側に押し付けられてしまうところは日本にはあると思うのね。生物学的な役割分担が根強く残っているというところ。

 とくに嫁姑間で、お姑さんがそういった家事労働をお嫁さんに押し付けるよう仕向けている側面がないとは言い切れません。

 だけど、やはり性差は消せないものです。冒頭で永遠のテーマだと言ったのは、男女格差を考えるとき、男女のあいだにはどうしても平等にはなり得ない、この性差の問題が根底にあるからなんです。よく勘違いしている人がいますが、男女格差の対義語は男女平等ではないと思うんです。

 男女関係において最も重要なのは、性差ゆえ、男女平等にならないことを受け入れ、その上で効率の良い役割分担を考え、お互いを尊重し、支え合っていくことではないでしょうか。

《構成・文/岸沙織》