「週末に寝だめすればいい」と思い込んでいたら危険です

 新年度が始まるにあたって、気持ちも新たに仕事や日々の生活をスタートする人も多いこの時期。しかし、「心機一転、フレッシュな気分で頑張ろう」と気合を入れても、睡眠が足りていなければ脳も体もベストコンディションからは遠く、思うような結果を得られない日々が続くことも。

「日本人は睡眠偏差値が極めて低い」というデータもあるほど、実は私たちの「睡眠環境」は劣悪にあります。睡眠時間が足りないとどんなことが起きるのか――。『スタンフォード式 最高の睡眠』の著者で、スタンフォード大学医学部教授・同大学睡眠生体リズム研究所の所長を務める西野精治氏は、睡眠不足の危険性に警鐘を鳴らします。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 私は「睡眠研究の総本山」と呼ばれるスタンフォード大学にて、30年以上睡眠を研究してきましたが、その間、つねに実感していることがあります。

それは、「睡眠とは味方にできれば最強の友であり、敵に回せば最悪な恐ろしい相手」だということ。研究すればするほど、痛感させられます。

 よく「睡眠が足りていない」ことを、「睡眠不足」と言いますが、われわれ睡眠研究者は別の表現を使います。それは「睡眠負債」。すなわち、「眠りが足りていない」のは「借金」をしていることと同じで、返せないままでいると借金同様、利子がどんどん膨らみ、脳と体が「自己破産」してしまい、思うように働かなくなるのです。

世界一「睡眠偏差値」が低い国・日本

 では、私たち日本人はどれくらい「眠りの借金」を抱えているか、ご存じですか?

 実は日本には、睡眠負債を抱える「睡眠不足症候群」の人が、外国に比べて多いというデータがあります。

フランスの平均睡眠時間は8.7時間
アメリカの平均睡眠時間は7.5時間
日本の平均睡眠時間は6.5時間

 また、日本には睡眠時間が6時間未満の人が約40%もいるという報告もあります。6時間未満というのは、アメリカでは短時間睡眠とされる数値です。

 さらに、日本は「眠りたい時間」と「実際の睡眠時間の差」も諸外国に比べて大きいという特徴があります。東京、ニューヨーク、上海、ストックホルムの5都市で調査したところ、東京が断トツで「実際の睡眠時間」が「理想的な睡眠時間」を大きく下回っていることがわかりました。

 つまり、日本人の多くが「寝たいのに眠れていない」状況にあるといえるのです。

「眠りの借金」が厄介なのは、借りていなくてもどんどん溜まっていくところにあります。

 おカネの借金であれば、「いくら借りたのか」「いつまでに返さないといけないのか」「返せないとどうなるのか」が目に見えてわかる分、「何とかしなければ」と多少なりとも焦り、それが行動を起こさせる動機にもなるでしょう。

 しかし、「睡眠負債」の場合、借りている意識はなく、さらにダメージも徐々にあなたに迫ってくるため、実感をなかなか得るのが困難です。だからといって、放っておくと危険です。

週末の寝だめは効果アリ?

 適切な睡眠時間は人それぞれなのですが、私は経験上「6時間」は最低でも確保していただきたいと思っています。

 とはいえ、平日の睡眠時間を増やすのは至難の業でしょう。そこで、「週末に寝だめしてカバーしよう」という声をよく聞くのですが、土日少し多めに寝たくらいで「睡眠負債」はどれくらい返せるのでしょうか?

 これに関して興味深い実験があります。それは、「どれだけ眠れば寝不足は解消できるのか」を検証するために、健康な10人を14時間、毎日ベッドに入れ続けた調査です。

 実験前の彼らの平均睡眠時間は7.5時間でした。1日目は全員13時間、2日目も13時間近く眠っていたのですが、その後は徐々に睡眠時間が減っていき、3週間後には平均8.2時間に固定されました。

 この8.2時間が、被験者10人の「生理的に必要な睡眠時間」になるわけですが、この実験の目的は「理想的な睡眠時間」を知ることではありません。

 8.2時間が理想的な睡眠時間だとすれば、平均睡眠時間が7.5時間だった彼らは長い間、「毎日40分の睡眠負債」を抱えていたということになります。

 それが、正常な8.2時間に回復するまで3週間もかかった――つまり、40分の睡眠負債を返済するためには、「毎日14時間ベッドに入り続ける」ということを3週間連続で続けなければいけないわけです。

 これはあまりに非現実的。なので、週末の寝だめで日頃の睡眠負債をカバーするのは難しいといえるのです。

「短時間睡眠法」がもてはやされることがありますが、私はまったくおすすめしません。なぜなら、いわゆる「ショートスリーパー」はなろうとしてなれるものではなく、私の研究でも「短時間睡眠は遺伝である」ことがわかっているからです。

 サンディエゴ大学の調査が、睡眠時間と死亡率を調査したところ、死亡率が最も低かったのは、平均睡眠時間である7時間眠っている人たちでした。

 彼らを基準にすると、それより短時間睡眠の人は「6年後の死亡率が1.3倍高い」という結果になっています。薬物を使ってショウジョウバエの遺伝子に突然変異を起こしたところ、短時間睡眠のショウジョウバエは短命だったというデータもあるほどです。これらの結果から、「短時間睡眠の人は短命」といえそうだと、私は考えています。

「飲酒運転は危険」という認識はかなり浸透していると思いますが、実は睡眠負債を抱えたまま運転するのも同様に危険で、法の整備もなく、無自覚な人も多いことを踏まえると、飲酒運転より危険といえるかもしれません。

 睡眠負債があるとどうなるのか――これを調べたアメリカの実験があります。夜勤のない医師と夜勤明けの医師にそれぞれ、「タブレットの画面に丸印が約90回ランダムに出現する画像を5分間見て、図形が出るたびにボタンを押す」というテストをしてもらいました。

 すると、夜勤のない医師たちは正確に反応したのに対し、夜勤明けの医師たちは3~4回、数秒間図形に反応しないときがあったのです。脳波を見ると、なんと反応しない間、彼らの脳は居眠りしていました。恐ろしいのは、彼らが勤務中だったということ。

 夜勤明けの医師たちが陥ったこの状態をマイクロスリープ(瞬間的居眠り)といいます。「マイクロスリープは睡眠不足から脳を守る防御反応」ともいわれているのですが、要は防御反応が出るくらい睡眠負債は脳に悪いのです。仮に時速60キロメートルで運転していてマイクロスリープが4秒起きれば、70メートル近く車が暴走する計算になります。

よく眠れないと「デブホルモン」が出現する!?

 マイクロスリープが発生する以外にも、「睡眠負債」はさまざまな弊害をもたらします。

・インスリンの分泌が悪くなって血糖値が高くなり、「糖尿病」を招く
・交感神経の緊張状態が続いて、「高血圧」になる
・精神が不安定になり、「うつ病」「不安障害」「アルコール障害」「薬物依存」の発症率が高くなる
・「認知症」の発症リスクも上がる

 さらに、こういった病気以外にも、実は「肥満になりやすい」こともわかっています。

 眠りが足りないと、食べ過ぎを抑制する「レプチン」というホルモンが出にくくなります。反対に食欲を増進させる「グレリン」というホルモンがよく分泌されるという事態に。「やせホルモン」は出ず、「デブホルモン」は分泌されるわけですから、過食に走りやすくなってしまうことがおわかりいただけると思います。

 実際、夜更けまで起きていてたくさん食べてしまった経験があなたにもあるのではないでしょうか? 先のサンディエゴ大学の調査では、「短時間睡眠の女性は、肥満度を表すBMI値が高い」という報告もあり、最もBMI値が低かったのは平均睡眠時間の7時間眠っている人たちだったという結果が出ています。

スタンフォードの研究でわかった「最強の覚醒」

 おそらく、「自分の睡眠に満足している」という方はごくわずかではないでしょうか。「睡眠がまったく不足していなかったとき」のこと、あなたは思い出せますか?

 多くの方が「眠りの借金」とともに生きているわけですが、ではそんな「借金」が解消されるとどんなことが起きるのでしょうか?

 睡眠負債を返せば、パフォーマンスが劇的に向上することを示した、スタンフォードの実験があります。それは、スタンフォードの男子バスケットボール選手10人に40日、毎晩10時間ベッドに入ってもらい、それが日中のパフォーマンスにどう影響を及ぼすかを調べた調査です。

 大学生とはいえ、彼らはもともとセミプロレベルの高い実力を有する選手たちです。80メートルの反復走を16.2秒で走り、フリースローの成功率は10本中8本、3点シュートなら15本10本成功という優秀な選手たちばかりなので、飛躍的な向上は難しいと当初予想されていました。

 しかし、2週間、3週間、4週間と経過するうちに80メートルのタイムは0.7秒縮まり、フリースローは0.9本、3点シュートは1.4本も多く入るようになったのです。

 さらに、先の医師たちと同じタブレットに出現する図形に反応するテストをしてもらったところ、なんとリアクションタイムもよくなっていることがわかりました。

 日々の激しいトレーニングによって上達した可能性もありましたが、40日に及ぶ実験が終了し、選手たちの睡眠時間が元に戻ったとたん、彼らの記録は実験開始前に戻ってしまいました。

 これらの結果から、睡眠負債を返済できれば、脳と体ともに、とてつもないパフォーマンスを発揮できることがおわかりいただけるでしょう。


<著者プロフィール>西野精治(にしの・せいじ)◎スタンフォード大学医学部精神科教授。1955年大阪府出身。1987年、当時在籍していた大阪医科大学大学院からスタンフォード大学医学部精神科睡眠研究所に留学。2005年にスタンフォード大学睡眠生体リズム研究所(SCNラボ)所長に就任。睡眠・覚醒のメカニズムを、分子・遺伝子レベルから個体レベルまでの幅広い視野で研究している。