「私は梅宮アンナさんの育児姿勢を否定はしない」
“中学生の娘と別居”“母乳をあげない”“娘に料理を作らない”といった梅宮アンナさんの育児姿勢に、批判的な方の気持ちもわかります。
だけどその批判の根底には、日本の風潮として根強くある男尊女卑、女性の役割の押しつけの意識があるんじゃないかと、まず感じました。
梅宮さんの育児姿勢は、いわゆる“いい母親像”には当てはまらないかもしれない。だけど、そもそもその“いい母親像”自体、男尊女卑の考え方に基づいたものですよね。その“いい母親像”に当てはまらなかったからといって、一概にいい母親ではないとは言い切れないんじゃないでしょうか。
ここでは今回番組内で取り上げられていた梅宮さんの育児論のなかから、最初に挙げた3点について少し考えてみたいと思います。
まず、中学生の娘と別居しているということですが、私は子どもが必ずしも親と住む必要はないと思います。
梅宮さんがどうなのかはわかりませんが、少なくとも世間のシングルマザーたちは、誰もが養育費をもらえる環境ではありません。子どもを育てるために、責任を果たすために、いっぱいいっぱい働かなければならない。常に子どもと向き合っていることができないわけです。
そうした状況においては、必ずしも子どもと一緒に住むという選択だけが、子どもに向き合う道ではないと思うんですよね。
「母乳をあげないこと」についての批判に疑問
続いて、母乳をあげないという点です。これについては、私も直面した問題です。私の場合、母乳がなかなか出なかったので。
だけど近年では、紙おむつも粉ミルクも、昔と違ってかなりクオリティが高いです。それゆえ母乳だけでなく、粉ミルクで育てるという選択肢も十分にあり得るわけです。育児を取り巻く環境が良くなってきているわけですから、そこには甘えていいと思うんですよね。
彼女の場合、自分のスタイルを維持するために母乳をあげないということのようですが、彼女にとって商売道具なわけですよね。自分の仕事に合わせたうえでの選択、決断なので、これも責められるものではないと思います。
最後に、娘に料理を作らないということ。日本人は学校にお弁当を持って行きますが、私の場合、お母さんはお弁当の作り方がわからなかったので、部活のときなど小学生の頃から自分でお弁当を作るようになりました。だけど、そのことでお母さんを嫌いになるなんてことはありませんでした。
お母さんがお弁当を作らなかったからといって、それが子どもの成長の過程でマイナス要素にはならないんじゃないかと思います。たしかにお弁当というのは記憶に残るものです。
だけど、いい思い出というのはもっと他にもありますから。お弁当は作ってくれなくても、精一杯色々とやってくれたということで、子どもにとっては十分なんですよね。
「母親は、子どもにとっていい母親であるべき」
世の中のお母さんたちを追い詰めているのは、いいお母さんになろう、ならなくちゃいけないという世間の目。お母さんたちは、“いい母親像”の押しつけによって追い詰められているんです。だけど、シングルマザーをはじめ、それぞれ環境が異なりますから、すべてのお母さんがその型に合わせられるわけではないです。
梅宮さんの育児論には、たしかに極端なところもあるとは思います。だけど、“いい母親像”に追い詰められそうになったら、ときには手抜きをすることも大事。いまのご時世、逃げ道はいくらでもありますから。
たとえば、ご近所さんと繋がらなくても、ネットワークで繋がることができます。過度に干渉されることなく、私生活は保護しながら、ネットワークを通してピンポイントで子育ての悩みを共有することができるわけです。無理に近所でママ友を作らなくても、育児を相談することのできるママ友は作れるんです。
紙おむつや粉ミルク、さまざまな制度、そしてインターネットなど、その都度多種多様な手助けを借りながら、自分に合った育児をしていけばいいんじゃないかな。
何よりお母さんというのは、それぞれの子どもにとってのいいお母さんであるべき。世間と比べる必要もなければ、世間一般が理想とする“いい母親像”に合わせる必要もないんです。
《構成・文 / 岸沙織》