「生まれ育った宮家を離れるということに対しての少しばかりの寂しさですとか、出雲での生活に対する多少の不安といったものはあります」
’14年の5月、出雲大社の権宮司・千家国麿さんとの婚約内定記者会見で、皇室を離れることについて、そう話されたのは高円宮家の次女・典子さま。
皇室典範では、女性皇族は一般の男性と結婚すると、皇籍を離脱することが決められている。
典子さんのように、結婚して一般の“奥さん”になった元女性皇族は現在6名いるが、嫁ぎ先に溶け込み、幸せな家庭生活を送っているのだろうか。
そして、実家である皇室との関わりは─。
結婚をしても皇室に残る「女性宮家」の検討が先送りされるなか、6人の生活ぶりが、“結婚適齢期”に入っている独身の女性皇族たちの“参考”になるかもしれない。
里帰りは自由にできる
「地元でまったく見かけない」「よく東京に帰っている」「東京にマンションを購入したらしい」など……。新婚早々に“不穏”な報道があったのは、冒頭の千家典子さん。
夫妻の友人が“真相”をこう打ち明ける。
「おふたりは、昨年末から年始ごろに完成した新築の一軒家で仲よく暮らしていますよ。国麿さんは毎月、全国の出雲大社の分院などへ飛び回っているので、典子さんがひとりで家を任されているようです。逆に東京に帰るときは、国麿さんがひとりで家にいるということもあります」
出雲大社のすぐそばには、たしかに2階建ての瀟洒な新築の一軒家があり、新婚の“甘い香り”が漂ってくるような……。高円宮家を知る関係者もこう話す。
「たしかに典子さんは、よく東京に帰っているそうですね。実は当初から里帰りは自由にできることになっているようです。国麿さんが不在のときは、なるべく実家に顔を出し、ご多忙な母・久子さまを支えているのではないでしょうか」
典子さんのそんな結婚生活について、
「嫁ぎ先に尽くしながら、いざというときはご実家を助けるというのは、降嫁したかつての女性皇族方にも共通するスタイルだと思います」
と話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。
天皇・皇后両陛下の長女・紀宮清子さま
天皇・皇后両陛下の長女・紀宮清子さまにも共通する部分はあるようだ。兄・秋篠宮さまの学習院時代の同級生で東京都職員の黒田慶樹さんと'05年に結婚した清子さん。東京・目白の“億ション”に暮らし始めて10年近くたつころも、
「最近、清子さんをあまり見かけなくなりました。引っ越したのでは?」
と話す近所の主婦がいる一方で、近くのスーパーではこんな様子も目撃されている。
「最近は日曜に、清子さんとご主人とご主人のお母さんの3人で仲よく買い物をしているところを見かけます。清子さんとお姑さんのふたりのときもありますよ。ご夫婦で面倒をみているのかもしれませんね」
慶樹さんの実家である東京・原宿のマンションから母・壽美子さんはすでに引っ越しているので、夫妻が面倒をみているのだろう。
「清子さんは自らの運転でよく実家である皇居に赴き、両陛下のご機嫌もうかがっているので、両家の母親の面倒をみているということですね」(皇室ジャーナリスト)
清子さんは、専業主婦的な仕事だけではなく、'12年には、三重県・伊勢神宮の臨時祭主にも就任している。
「'13年の伊勢神宮の式年遷宮にあたり長年、祭主だった天皇陛下の姉・池田厚子さんが高齢で負担が重いということで、清子さんが臨時を務めました」(宮内庁担当記者)
天皇陛下の姉・厚子さま
皇室の祖先神・天照大御神が祀られている神宮の祭主を、'88年から務めてきた順宮厚子さまは 上皇陛下の姉。'52年10月に、旧岡山藩主の池田家の16代当主・池田隆政さん(享年85)と結婚した。
昭和天皇の娘である内親王が、地方に嫁ぐということは異例のことで、当時は話題に。
「'80年ごろ母・香淳皇后の喜寿のお祝い番組の取材で、池田さんが経営する『池田動物園』で売店に自ら立ち、働いていた厚子さんを取材したことがあります。
もともと、伊勢神宮の祭主は皇族や旧皇族が務めるならわしで、厚子さんが長く務めてきたのは、内親王としての伝統と使命感によるものだと思います」(前出・渡邉さん)
しかし、'12年に隆政さんが亡くなると、動物園の経営が悪化。地元でボランティアのサポート団体が立ち上げられた。『池田動物園をおうえんする会事務局』の話。
「厚子さん自身は、あまり経営面について口出しすることはないそうですが、“動物園を残してほしい”とおっしゃっているとお聞きしたので、同じ気持ちで頑張りたいと思います。
だいぶ前から赤字経営は続いているようで毎年、赤字になっているのを補填するために、厚子さんが私財を投げ打っている状態です。
公営化にして、国や県や市から補助してもらい、いい状態で動物を飼育する環境を維持していくことが理想です」
結婚から60年以上─。亡き夫の事業経営に尽力しつつ、元内親王としての仕事も長く務めてきた厚子さんの姿は、皇室を離れる皇族方の“鑑”となるかもしれない。
天皇陛下の妹・貴子さま
つつましやかな性格の厚子さんに比べ、妹の清宮貴子さまは“おスタちゃん”の愛称で親しまれ、派手な言動で注目されたこともあった。
「私が選んだ人を見ていただきたい」
と'60年3月に、当時、銀行員だった旧薩摩藩主の一族・島津久永さんと結婚。
その後も、百貨店のブティックやホテルの重役として活躍するなど元皇族の枠にとらわれない生き方もしてきた。宮内庁関係者がそっと打ち明ける。
「貴子さんは活発な部分がクローズアップされますが、ご実家との関係も密に保たれています。軽井沢に別荘をお持ちですが、最近は両陛下が夏に軽井沢にお出ましの際は、別荘に招待して歓談の時間をもっています。兄君にあたる陛下を慰労されているのだと思います」
三笠宮さまと百合子さまの長女・甯子(やすこ)さま
昨年100歳で薨去された三笠宮さまと百合子さまの間にも、ふたりの内親王がいて、すでに皇室を離れている。
この4月26日に73歳となる長女の甯子(やすこ)さまは'66年12月に、現・日本赤十字社社長の近衞忠煇さんと結婚してから半世紀以上が過ぎた。
夫の仕事の関係で各種ボランティア活動を行っているようだが、皇室に関連した仕事もしている。
「甯子さんは現在、学習院女子中・高等科の同窓会である『常盤会』の会長を務めています。
いつも隙のないヘアスタイルとファッションで、バスツアーにも同行。チャリティーバザーでは上品な“宮中言葉”で自ら客引きまでして、活発に活動されていますよ」(学習院関係者)
自らの出身校で、皇室との縁も深い学習院のために尽くしたいという気持ちがあるからに違いない。
三笠宮さまと百合子さまの次女・容子さま
妹の容子さまは、'83年10月に茶道の裏千家の家元・16代目千宗室さんと結婚。2男1女をもうけた。
独身時代は留学先で、奔放な生活も送っていたようだが、結婚後は環境が激変。
京都住まいに「雪が降るたびに、遠いところに来てしまった」。姑のことを「最初の2、3年はとても怖かった」などと雑誌のインタビューで語っていたこともあり、嫁ぎ先に溶け込むのにかなり苦労したようだ。
「裏千家ともなれば、多くの行事が分刻みであります。容子さまは幼いころから女官や侍女に、時間に正確に動くことをしつけられてきました。家元の過密スケジュールも時間に正確で、家元夫人として尊敬を集める存在となりました。
昨年、父上の三笠宮さまがお亡くなりになったときも、甯子さまとともにご姉妹がご実家に駆けつけ、葬儀の準備やお手伝いをされたのも記憶に新しいところです」(前出・渡邉さん)─。
秋篠宮家の眞子さまをはじめ、現在、成人している独身の女性皇族は、今回の「元プリンセス」たちのようになるための教育を受けられてきたはず。
このまま同じように、皇室から羽ばたかれるのか。
それとも、結婚しても「女性宮家」として皇室に残り、皇族としての活動を中心にされていくことになるのか……。