「この子はしっかりしているなと思ったのは、4歳で将棋教室に連れて行ったとき。最初は“幼稚園赤組さんの藤井聡太です”と自己紹介したんですが、2度目に行ったときには“年中さんの藤井聡太です”と言い方を変えていたんです。“おばあちゃん、こう言わないと相手がわかんないよね。赤組さんだけじゃ、初めて会う人は年中とはわからないもん”と客観的な視点で言ってきたときには、この子は天才じゃないかと思いましたね(笑)」
昔を懐かしむように話してくれたのは、現在メディアから大きな注目を集めている、将棋の藤井聡太四段の祖母・清水育子さん。
「62年ぶりに最年少記録を更新した14歳2か月でのプロデビューだけでも快挙なのに、以来、公式戦では負けなしの16連勝ですからね。メディアは放っておきませんよ」(スポーツ紙記者)
“中高年男性の娯楽”というイメージが強く、週刊女性読者にはやや縁遠い印象の将棋。しかし連日、テレビや新聞で報じられている彼の存在は、気になっている人も多いはず。
「5月4日に大阪市の関西将棋会館で開催された第48期新人王戦3回戦で、横山大樹アマを破りました。あと2局を勝ち上がり、決勝も制すれば史上最年少の新人王です。次戦は12日の王将戦予選で西川和宏六段と対戦します」(前出・スポーツ紙記者)
とにかく記録ずくめの存在なのだ。そこで週刊女性は、彼の実家のある愛知県瀬戸市を訪ねてみたところ─。
「この世界は、年間で4人しかプロになれない厳しいところです。たとえて言うなら、東大に入るよりもはるかに難しい。その中でも今まで中学生でプロになった方々は数人だけいますが、いずれも名人になっています」(藤井四段が5歳から小学4年生まで通っていた、ふみもと子供将棋教室の文本力雄先生)
かつての師匠も太鼓判を押す。実際、誰もが知るトップ中のトップ・羽生善治三冠にも、非公式の企画用対局ながら勝利。羽生三冠がプロデビューしたのが15歳というから、それより早い藤井四段の非凡ぶりがうかがえる。
「今でも思い出すのは初めておばあさまが連れてきたとき。おでこが広くて、額が丸くてポコッと出ていて、形がよかったんですよ。この子は頭がいいんだろうなと思いました」(文本先生)
初対面時の記憶が鮮明に残るほどのインパクトだった様子。実際、いとも簡単にとんでもないことをやってのけてしまった。
「最初は20級から始まるのですが、最初の1年間で16ランク上がって4級になったんですよ。これは、もちろん新記録。幼稚園児で4級は今後も出ないでしょうね。うちは階級が多いぶん、上がっていくのは大変なので、ほかの教室でしたら初段ぐらいだったのではないかと思います。この時点で、間違いなくプロになれるなと思いました」(文本先生)
ということで、彼の将棋の才能を見いだした張本人・祖母の育子さんの話に戻ると、
「最初は、聡太が幼稚園のときに『スタディ将棋』を買ってやらせてみたんです。そしたら、ほかの子たちと明らかにものが違ったから、ふつうの将棋に切り替えて子ども将棋教室に通わせたの。好きなことにのめりこむタイプみたいで、電車のプラレールなんかは家の中を部屋から部屋でつないでものすごく長い線路を作っていました。私に線路の切り替え係をさせるものだから、大変でしたよ(笑)」
祖母と孫の何気ないふれあいからも、彼の非凡な“集中力”が感じられる。ここまでの才人であれば、ちょっとは天狗になってもよさそうだけど、これも育子さんの教えによるところが大きいそう。
「いま連勝中ですが、聡太は決して誰に勝ったからといって喜ぶことはない。それよりも“もっと強くなりたい!”と思っているだけなんです。だから、昔からの目標であった羽生三冠に勝っても喜んでいなかった。小さなころから聡太には“勝っておごるな、負けて腐るな”とは教えていたからね」
そんな一面を聞くと、ポーカーフェイスで文科系の印象が強いけど、中身は意外や意外、そうでもないみたい。
「実は運動も得意で、特にかけっこは速かったです。小学1年生くらいからは家の前にあるクロガネモチの木に登ることが好きで、よくそこで遊んでいましたね。家庭訪問の日には先生の姿を上から見下ろそうと、木の高いところまで登って、うれしそうにしていました」(育子さん)
ヤンチャぶりは、前出の文本先生からもこんな証言が。
「長時間ずっと稽古していると暴れたくなったのでしょう。終わりの挨拶とともに、プロレスを始めていました」
プロレスの闘争心も“本職”に生かされているといったら、ちょっと大げさ?
「しかし、彼の負けん気はものすごいです。将棋でも負けたときは毎回、泣いていました。歴代の生徒の中ではいちばん泣いた生徒です。涙もぬぐわず、声をあげて感情を表に出していました。“よく泣く子は強くなる”ということですね」(文本先生)
天才は一朝一夕で天才になったわけではなく、誰よりも汗と涙を流していたのだ。
「“10年に1人の逸材”だとずっと言ってきたけれど、一昨年、無意識に“100年に1人の逸材”であると言ってしまいました。過大評価しすぎかなと思いましたが、今では大げさな言葉ではないと思っています」(文本先生)
伝説の目撃者になるのは、今からでも遅くない。さわやかな旋風を巻き起こし続ける藤井四段に、これからも注目!!