都内から電車や車を利用して最短90分。北部には里山、南部には九十九里の海岸がある自然豊かな千葉県匝瑳(そうさ)市。ここにいま移住者コミュニテイーが広がりつつある。暮らしの自給力を高めたい──そんな思いを抱えて移住した女性と、家族を追った。
移住相談が舞い込む不思議なバー
東京・池袋の片隅に、移住への「秘密の入り口」がある。駅から猥雑な繁華街を通り抜け、徒歩約10分。住宅街との際にあるバー『たまにはTSUKIでも眺めましょ』。
扉を開けると、狭い空間は熱気ムンムン、真剣な会話が展開されている。
「会社の仕事はウソが多すぎて心が折れそうです」、「移住のための家を探すにはどうしたらいいのでしょうか?」、「みなさんどうやって会社を辞めるふんぎりをつけたんですか?」などなど──。
幾多の質問に、カウンターのなかからマスターの高坂勝さんがやさしく答える。
「じゃあ、1度僕らが田んぼをやっている千葉の匝瑳市で米作りしてみる? 移住した人とも話せるよ」
高坂さんは約16年前に会社を辞め、匝瑳で休耕田を開墾して米づくりを始めた。当初は週に2日、いまは週3日間を匝瑳で過ごし、残り4日間はバーを開ける。デュアルライフ、半農半飲み屋生活だ。
匝瑳では都市生活者の移住や農的生活を支援するNPO『SOSA Project』を展開。休耕田をまとめて借りて希望者に転貸。米づくりを教え空き家情報を移住希望者に知らせている。その生き方を綴った『減速して自由に生きる~ダウンシフターズ』(ちくま文庫)は都市生活に疑問を持つ人に読み継がれ、バーには多くの相談者がやって来る。
愛知県に生まれ、東京でOL生活をしていた松原万里子さん(49歳、まりりん)もそのひとりだった。
レンタル田んぼで自給の幸せを共有
「30代で耳が聞こえなくなり保育士ができなくなって東京で事務をしていたの。最初は楽しかった。おしゃれも大好きで7年間、荻窪に住んだの。でもだんだんつまらなくなって自分の将来にも不安が募った。そんなとき友達に高坂さんの店に連れて行かれて、田んぼやらない? と誘われて。もともと田舎暮らしはしてみたかったから、この家を借りることにしたの。仲間たち中心でリフォームしたよ。300万円。移住して今年で5年目かな」
キッチンは大好きなピンク一色。リビングには自慢の薪ストーブ。雨漏り用の洗面器もたくさんあるまりりんの家には、いつも誰かがやって来る。主宰するワークショップの参加者や田んぼ仲間。大勢でいるときの彼女の笑顔を見れば、誰も聴覚障害者とはわからない。相手の口の動きを見て言葉を聞きとり、社交的でめっちゃ明るい。
「でもひとりぼっちになって寂しいときもあるよ。そういうときは思いっきり泣くの。泣くとすっきりする。まっいいかって思えるから」
はじけるような笑顔だ。
8LDKの古民家は家賃1万5000円。今年は3畝借りた田んぼから約100キロの米がとれる予定。畑も始めて野菜も少しとれる。月の生活費は約15万円。障害者年金とワークショップの開催(宿泊食事つき)、カウンセリングなどで収入を得て、東京時代より優雅に暮らしている。
「化粧はしなくなったけど化粧水は自分でつくるの。ビワの葉、ヨモギ、ドクダミ、ユズの種なんかを拾ってきて」、「こっちに来てからめっちゃ元気になった。風邪なんかひかないし、お医者さんに通うのは歯医者だけ。食べ物は自分でつくるし、農家さんもくれる。本当に美味しいよ~」
まりりんは、『SOSA Project』の代表も務める。今年はレンタル田んぼに34組の申し込みがあり、5月からはそろって田起こしの作業が始まった。
移住者だけでなく、多くの都市在住者が“自給体験”を求めてこの地に通うのだ。
フェイスブックに、まりりんはこう書いた。
《何がうれしいって、自分が心から楽しい♪って思っていることを、たくさんの人と一緒にできること。(中略)今年もお米づくりに夢中になります》
お金より、生きる技術を息子に残す
その田んぼで、今年3度目の米づくり作業を始めたのは、昨年千葉県市川市から移住してきた近藤愛さん(32歳)、剛志さん(44歳)、大和くん(7歳)一家だ。
愛さんはこう語る。
「地域のお母さんたちにいろいろ助けてもらっています。子どものこともすごく可愛がってくれるんです。息子が入った小学校では校長先生が冗談まじりに“大和くんの入学で廃校の危機を逃れられた”と喜んでくれました。移住がうまくいってるのは、8割は子どもの力ですね」
そもそも近藤さんが移住を考えたのは東日本大震災のとき。スーパーから食料も飲み水もなくなり、当時1歳の大和くんのための離乳食も手に入らない。お金はあっても、意味がない。いままで何を信じていたんだ─。
そう思っていたときに高坂さんと出会い、匝瑳で田んぼを借りて米づくりを始めてみた。その作業を通して「この子に残してあげられるのはお金ではなく生きる技術、食べ物を生み出す知恵だ」と実感。最初の刈り入れが終わるころに移住を決意。古民家も見つかって、大和くんの入学に合わせて’16年3月、住んでいたマンションを売り払って引っ越した。
それまで剛志さんは都内の大型テーマパークで演奏するフリーのミュージシャン、愛さんは同所の照明係。その生活は移住とともに一変した。地域に早く溶け込みたい。地域の一員として生活がしたい。それが2人の願いだ。剛志さんは言う。
「僕は今年から消防団に入りました。月に1、2回集まってホースの点検や防火訓練をしています。地域のお父さんとも横のつながりが欲しかったので、ここでの出会いはうれしいです」
愛さんは集落で行われる『お子安講』に参加する。
「年に2回、女性たちが集まって安産祈願をする。いままでは、おばあちゃんばかりだったから私が入ってとても歓迎してくれました」
そういう姿が、地域の人にも伝わるようになった。
だが、問題は仕事だ。剛志さんが言う。
「都内での生活費は30万~40万円。こちらでの生活は20万ですむんですが、そのお金をどう稼ぐか。今年からピアノ教室も始めます。生徒も入ってくれて、現在、絶賛大募集中です。将来は音楽で生計を立てたいと思いますが、いまはそれだけでは安定しない。やはり生業が必要なんです」
移住してからの1年間、2人は自分たちに合った仕事を探し続けた。移住仲間も情報をくれた。知り合いの社長が助けてくれたこともある。都会でも同じだが、理想の仕事にはなかなか出会えるものではない。
そんなとき、移住仲間が『市民エネルギーちば』を起業し、畑でソーラー発電を始めると聞き誘われた。
「ここで働かない選択はないと思いました。食べ物とエネルギーを自給できる。ぼくらの理想の原点です」
その現場では35000平方メートル(3・5町歩)の休耕畑一面に、約3メートルの高さでソーラーパネルが張られている。下の畑では小麦が無農薬栽培され、いずれ野菜もつくられる。
近藤夫妻はここで働くことに決めた。自分たちの理想の生活へ。一歩一歩の歩みが続く。
文/ノンフィクション作家 神山典士