「毎日毎日、仕事してテレビ見る時間もないんだよ、洗濯だってしなきゃいけない、食器だって手洗いしないといけない。いい加減にしてよ。お前は結局マザコン野郎なんだよ」
「うるせぇ、本当にムカつくんだよ、この野郎」
泥酔した妻が、空になったワインのボトルを夫に投げつけながら、そうなじる。エンジニアの山田良太さん(仮名・40代)が味わった、家庭内DVのリアルな修羅場だ。
夫婦ゲンカは犬も食わない。そう言われていたのは遠い昔のおとぎ話。近年、夫婦ゲンカがDVと呼ばれるようになり、社会問題化した。
警察庁の発表によると、昨年1年間に全国の警察が受け付けたDVの相談件数は6万9908件。そのうち事件として検挙された件数は8387件。いずれも過去最多となった。
女性の被害者が全体の約8割を占めるが、男性からの相談が増加しているのも最近の傾向だ。昨年は初めて男性の相談件数が1万件を超えた。
デートDVなどの防止啓発活動に取り組むNPO法人エンパワメントかながわの阿部真紀理事長はDVの類型を、
「身体的暴力、行動の制限、精神的暴力、経済的暴力、性的暴力の5つに分類されます」と説明したうえで、DVが深刻化する様子を次のように話す。
「なぜ、約束を守れない、お前が悪い、と最初は機嫌が悪かっただけのものが、徐々にエスカレートして、暴言や暴力へ発展します」
そして、被害者が女性でも男性でもDVとしての構造は同じだと説明を加え、深刻化する理由について、
「暴力や暴言の後、加害者は被害者に“もうしない”“ごめんね”“本当は愛しているのよ”と謝る。そこで被害者は、約束を破り相手を悲しませた自分が悪いんだと思い込まされるんです。この繰り返しによって、徐々に被害者の自尊心を奪い、被害者をコントロールしていくんです。被害者からの相談では、“自分が悪いんです”と話す人は少なくありません」(阿部理事長)という。
「出産の翌年、甲状腺機能亢進症を発症したんです。そのせいか、思うように家事ができずアルコールを飲む機会が増えました。あるとき飲みすぎだと思い、ウイスキーのボトルを隠したんです。そうしたら妻が怒りだして……。私に文句を言い、なじるんです。家事ができないのも、お前の出来が悪いからだ、と。そんな日常の繰り返しでした」
エンジニアの山田さんは、大学時代に知り合った妻と、'03年に結婚。'06年には今年で11歳になる長女が誕生したが、その前後から始まっていた妻の異変は、アルコール摂取によって増幅した。
精神的なDVが始まると同時に、妻が壊れ始めた。
外出先で飲んで警察に保護される、家の中で暴れて包丁を持ち出す、子どもを連れて勝手に実家に帰り3か月以上も帰ってこない、医師にアルコール依存症の外来を紹介されても酒量は一向に減らなかった。そして'13年3月、
「会社に保育園から、妻が迎えに来ないという連絡があったんです。家に帰ると妻はリビングに倒れていて、大量に薬を飲んだ跡がありました。《お前の行動言動が私を追い込んだ! 自分のバカさかげんを反省しろ! 一生後悔しろ!!》という殴り書きの遺書が残されていて……」
山田さんが救急車を呼び一命をとりとめた。当初、妻は“お前が悪いんだ”と語っていたが、もう娘には会わせないと山田さんの母親が激怒。もう娘に会えないかもしれないと思った妻は、反省を口にするようになった。
《私はどうかしていました。今回も取り返しのつかないことをしてしまい、その事で皆様に大変迷惑をかけてしまったことを心の底から反省しています》《娘を大切にし、娘にパパの大切さを教えます。暴言を吐くようなことはしません》と反省文まで書いた。
「子どものこともあるし、今後は改善するのではないかと希望を持ちやり直すことに決めました。でも、この選択が間違いだったかもしれません」
と山田さんは弱々しく語った。
反省も長くは続かず娘が小学校に入学すると、再び飲酒。暴言、暴力、家出、知らない男と食事、朝帰り、出会い系サイトからのお金の振り込みや、“寝ている間に刺してやるからな”という脅迫も。400万円ほどあったはずの貯金も、知らぬ間に妻が3年間で使い切ってしまった。
「我慢するしかない」と思った山田さんは、争いを避けるため仕事から帰ると自室にこもるようになった。ドアや壁を容赦なく叩き罵声を浴びせる妻。顔を合わせればケンカし、もみ合いになったことも。
「寝室で動画を見ていたんです。するとその音がうるさいと、妻が怒りだしました。何度も何度もドアを叩いて叫ぶんです。もう我慢ができず、近くにあった手持ちのマッサージ器で威嚇するつもりが抑えきれずに妻を殴ってしまったんです。……そして妻に警察を呼ばれました。私は一方的な被害者ではなく加害者でもあることを認めます」
'14年10月、警察ざたになる出来事があった。山田さんが深刻な表情で振り返る。
妻からは暴行に対する手書きの謝罪文を要求された。周囲からは書くなと言われたが、家庭を壊したくないという思いから手書きで記したという。
夫の非を責めながら、自分は朝から酒を飲んで暴れる。自分のものを隠したと夫を責める。限界を感じた山田さんは、市の福祉課や児童相談所、警察にも相談していた。
だが、その後も妻の暴走は止まらない。寝室のドアの向こうから罵声を浴びせ続ける。
「何、無視してんだよ、いい加減にしろ。女ひとり、子ひとりてめぇが養えねぇくせに。離婚でいいよ、裁判するか。お前に慰謝料、さんざん請求してやるからな。(ドアを)開けろよ、開けろ」
止まらない妻に耐えかね、警察を呼んだが、警察官は、
「旦那さんが今日は外で泊まってください」
との言葉。妻に暴力をふるった反省から、暴走が止まらないときは警察を呼ぶようにしていたが、いつも外で泊まるのは山田さんだった。
過去には翌朝に家に帰っても、チェーンがかけられ家に入れてもらえない。何度も呼びかけると再び警察を呼ばれたことも。そんな繰り返しに心も身体もボロボロだった。
家を出よう……。他の選択肢はなかった。会社には翌朝電話をし、休職を願い出た。'15年3月16日のことだった。
……別居生活から2年。山田さんは今、アパートでひとり暮らしだ。妻とは娘との面会交流調停をすすめている。
「最後に娘に会ったのは、昨年10月です。11月も会う予定でしたが、直前に“娘が会いたくないと言っている”と連絡があり、それ以降、会えていません。会っても母親が一緒にいるので、会話はほとんどできませんでした。娘も察しているのか、私と目を合わせようとしないんです。今は娘に会いたい。ただそれだけです。娘が心配です」
あの妻に娘を任せて大丈夫だろうか。そんな不安もあるが、山田さん自身も追いつめられている現状を明かす。
「妻と娘が住んでいるマンションのローンの支払いと、生活費も渡しています。加えて私のアパートの家賃、生活費、弁護士費用。お金がいくらあっても足りません。仕事も手につかなくて、上司には“職場は遊ぶ場所じゃないんだよ”と注意されています。降格し、給料も下がって。もう首をくくるしか……」
山田さんはそういって、頭を抱える。取材中、「どうして、どうしてこんなことに……」と、うわごとのように何度も何度もつぶやいて、絞り出すように、
「出会わなければよかった。今は毎日そう思っています」
現在、精神科へ通院し、睡眠薬と抗うつ剤を服用しているという。目の下の深いクマがその苦悩を物語っていた。
DV事案を多数扱う森法律事務所副代表の森元みのり弁護士は、
「外面的には上品でかわいらしく、一見非の打ちどころのない女性が多いですね」
とDV妻の特徴を説明。
「女性からのDVでは、身体的暴力よりは、精神的なものが多数を占めます。“出来が悪い”“食べるのが遅いんだクズ”“役に立たない”“家族の足手まとい”といった人格を否定する言葉が含まれるようになると問題ですね」
山田さんのように暴力を受けるケースも増えているという。森元弁護士が続ける。
「相談に来る方は、妻からDVを受けているなんて誰も信じてくれないし、別れられないと思っている方が大半です。身体的暴力がある事例では、暴力を目撃する子どもに悪い影響があるとして離婚もできるし、親権も取れることが多い。だからこそ悩んでいる方はぜひ1度、相談していただきたい」
DVがひどくなれば家庭は壊れる。その中で育つ子どもにも当然、悪影響を与える。
社会心理学者の新潟青陵大学の碓井真史教授は、
「観察学習といって子どもは見たものを学びます。身近で暴力を見ることで、それが当たり前だと自然に身につけるようになる」
夫婦間のやりとりが子どもの成育を阻害するとも話す。
「子どもにとって親というのは全世界といってもいいぐらい絶対的な存在です。大好きな両親が、お互いに悪口を言っている場合、子どもは非常に不安定な精神状態になる」
すると、子どもは自らを安定させようと、こんな行動にでることもあると続ける。
「うまく心のバランスを保つため、母親か父親どちらかの味方につくのです。しかし結局、両方の遺伝子を引き継いでいるわけですから、自分のルーツを否定することになる。すると理想の男性像や理想の女性像を持てなくなり、自分がどんな人間になればいいかわからなくなる。現れ方はさまざまですが、情緒不安定な子どもになる可能性も」
前出の森元弁護士は、母親が子どもに父親の悪口を言わせるケースもあると話す。
「“バカ”とか“臭い”とか子どもを使うケースもあります。ただ加害者側は決まって、私にちゃんと向き合ってほしかった。愛情表現だったと話をします。客観的に見たら、全然愛情とは逆の行動ですよと思うんですけどね。不思議です」
夫の会社に、夫が浮気をしているとウソの連絡をして、社内で問題となり降格人事を受けた男性もいたという。
稼ぎ頭の夫を貶めておきながら、法廷の場で話す言葉は“愛している”“別れたくない”と主張するDV妻たちは理解の範囲を超える。今日もどこかで虐げられる夫の悲痛な叫びが聞こえる。