6人の子どもを連れて、5か月前にトルコへ避難してきたという女性。病気の父親が働けないため、12歳と13歳の息子たちが、週10ドル程度の給料を稼ぎ家計を支えている

「“シリアには色があるの。花が咲き乱れて、川が流れていて、たくさんの木々がある。食べ物も色とりどりで、本当にカラフルな国。こことは全然違うの”と、話しかけてくれた子どもたちの笑顔が忘れられない」

 そう語るのは4月にシリア近隣3か国(ヨルダン・レバノン・トルコ)の難民キャンプ地を訪問したユニセフ・アジア親善大使を務める歌手のアグネス・チャンさん。現在、シリアを脱出した難民は約1000万人ともいわれ、シリア内戦勃発から約6年の月日がたとうとしている。

「2010年までシリアは比較的安定した国で、数十年にわたって続いたユニセフの支援からの卒業も間近でした。普通に旅行することも可能で、乳幼児の予防接種率は80~90%、義務教育にいたっては95%の子どもたちが享受できる環境にあったほどインフラも整備された国だったんです」

 ところが、“アラブの春”に端を発するシリア国内の民主化運動が肥大化し、イスラム国の台頭などにより社会的サービス網が完全に壊滅。身の危険を感じた多くのシリア国民が祖国を追われ、いま現在まで“21世紀最大の人道危機”は続くこととなる。

レバノン政府は、シリア難民による難民キャンプ地を正式には認めていない。非公式扱いにもかかわらず多くの難民が押し寄せている

「最大のシリア難民の受け入れ先であるザータリキャンプ(ヨルダン)をはじめ、多くのキャンプ地は砂漠の中にあります。故郷とは全く異なる環境で暮らすことは、精神的にも肉体的にもつらいこと。経済的にも困窮しているため、女児の7割は15歳前後での結婚、いわゆる児童婚をさせられます。イスラム教では4人まで妻を持つことを許されており、児童婚も当たり前なのです。そうして現地の人と結婚し、3000ドルほどの結納金をもらうことで生計を手助けする。一方、男児は低賃金であっても働いて家族のサポートをしなければ暮らしていけません。戦争は、子どもをものすごく早く大人にしてしまうんです

子どもたちにはまず教育が必要

 それだけではない。子どもたちには、過酷な状況下だからこその悪魔のささやきも迫る。テロ組織が近づき、「お金が欲しくないのか?」「現状を変えたくないのか?」などとリクルートをすることも少なくないというのだ。

「だからこそ、“教育”が必要なんです。今の子どもたちが憎悪の心で生きていかないように、健全な教育で正しい道筋を作っていかないといけない」とアグネスさんが力を込めるように、現在、ザータリキャンプにはユニセフなどの支援により学校が14校設置され(難民児童の就学率78%)、トルコの難民キャンプ地でも学校の建設が進んでいる。

「教鞭をとる先生の中には、何か月も給料をもらっていない人もいます。それにもかかわらず無償で教え続けるのはイスラムの教えがあるからです。滞在中、空腹で泣いている女の子にお菓子をプレゼントしたことがありました。すると、その子は何も言わず、その場にいたほかの子どもたちにお菓子を分け与え始めたんです。大人の私だってそんなことできるかわからない。涙が出てきました」

ヨルダンのザータリキャンプに住むシリア難民約8万人のうち4万人あまりは18歳未満の子ども。14校あるものの、学齢期の子ども約2万7000人の2割は学校に通えていない

 困っている人がいたら助け合う─。それもイスラム教の教え。一方で、そのイスラム教が原因で戦火が激化しているのは皮肉としか言いようがない。

「アフリカ諸国のような貧しさから生まれた負の連鎖ではなく、中東特有の複雑な理由で事態が悪化している。今では難民や移民問題がクローズアップされ、イギリスのEU離脱やトランプ大統領誕生にまで影響を及ぼしています。私自身、このようなケースは見たことがなく、極めて深刻な状況だと痛感しました」

 増え続ける難民に対処できず、現在、近隣3か国の国境は封鎖状態。重い病気を患っているなど特例を除いてシリア国外に脱出できない状況が続いている。

「キャンプ地に行ける人とそうでない人。各キャンプ地の設備の優劣もあるため、シリア難民が多層化していることも問題となっています」

目の前で人間が真っぷたつに……

 国際社会も短期的な解決は厳しいと判断し、現在はシリア難民問題を中長期に解決しようと動いている。難民キャンプ地では、教育のほかに手に職をつけられるようにと職業訓練施設も備えている。

「PTSDになった子どもには心理社会的ケアもしています。でも、そこで働く先生は“一生影響が出るだろう”って。ISILは、信じられないことに自宅の目の前に地雷を設置するそうです。玄関を出た目の前で人間が真っぷたつになる姿を見た子どもたちもいます。現地では過去を掘り起こすような会話は厳禁なのですが、子どもたちのほうからエピソードを話し始めるんです。どこかで吐き出さないとめいってしまうのかもしれません

5年間、キャンプの仮設家屋で暮らしている家族。「祖国でシリア国民として尊厳を取り戻したい」と願うこの家族は、6年前までは中流家庭として普通に暮らしていた

 アグネスさんは、“忘れられない出来事”があると話す。

「日本語を教えてほしいというので、“今日、家に戻ったら家族に『愛している』と言ってあげて”と伝えたんです。すると子どもたちは、“愛している”と私たちとハグをしながら練習を始めたんです。とっても素敵な笑顔で!(笑)子どもたちから子どもらしさを奪ってはいけません」

 そのうえで、「難民を受け入れた社会がよくなったという現象を作っていくことが重要」だと訴える。

「シリアのケースは、遠い国の出来事ではありません。普通の暮らしをしていた人が、ある日突然、有事によって避難をする。あるいは、隣国の人たちが避難をしてくる。そのときに私たちはどうするのか? シリアの現状を知ることは大事なこと。ひとりでも多くの日本人にこの状況を理解してもらい、協力の可能性を模索し続けることが未来を作ることにつながると思います

※シリア内戦とは?
 アラブ世界で巻き起こった大規模反政府デモ“アラブの春”が、2011年3月にシリアにも飛び火。アサド政権に対する民主化運動が、ほどなくして政権打倒の軍事的革命に変質してしまったことで内戦が始まる。ロシア・中国・イランがアサド政権をバックアップし、反体制派をアメリカ・トルコ・ヨーロッパ諸国が支持することから、国際社会では欧米と露中、中東社会ではトルコとイラン、そしてシリア国内ではアサドと反アサドが反目し合う、複雑な内戦事情を作り出している。また、イスラム過激派組織のイスラム国(ISIL)を筆頭とした多数のテロ組織も介在しているため、誰が誰と戦っているのか不透明な内戦として泥沼化しているだけに、今後も多くの避難民が生まれると予想されている。

<プロフィール>
1955年、香港生まれ。'72年『ひなげしの花』で日本デビューし一躍トップアイドルに。上智大学を経てカナダ・トロント大学(社会児童心理学)を卒業。'92年、米国スタンフォード大学教育学博士課程修了、教育学博士。5月23日に東京・中野サンプラザで『アグネス・チャンコンサート~朗らかに歌う~』を開催。詳細はMIN-ONのHPで。
http://www.min-on.or.jp/play/detail_12376.html