東京女子医科大学がんセンター長の林和彦さんの新著『子どもと一緒に知る「がん」になるってどんなこと?』(セブン&アイ出版)が、親子で一緒に学べる「がん」の新しい参考書として話題です。

東京女子医科大学がんセンター長 林和彦先生 撮影/吉岡竜紀

がんの知識も患者の気持ちもわかる!

 今や、2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで亡くなる時代である。毎年約100万人ががんになり、そのうち約60万人ががんを克服するという、もはや“がん=死”ではなく、がんを抱えて長く生きる時代なのに、「がんのことは、知っているようで知られていないことが多いように思われます」という林先生。

 がんの話題といえば、ワイドショーなどで有名人の闘病や死ばかりが取り上げられ、“がん=つらい、こわい”というイメージから抜け出せず、誰もが“自分だけはがんになるはずがない”と思っている、と語る。

「病院で、がんを告知しなければならない機会が数多くありますが、ほぼすべての方が“なぜ私ががんに!?”と、頭を抱えられます。がんになったことを家族にすら言えなかったり、絶対治るがんなのにショックのあまりうつ病になったり。乳がんの治療後の変化を受け入れられない夫婦が離婚に至ることや、がんになったことで職場をクビになってしまうことも多々あります。がんのことを正しく知っていれば、これらの不幸なケースは生まれないはず」

 林先生は市民講座を開き、新宿駅構内でイベントを行うなど、がんの啓蒙活動を始めたが、そこにがんについて知ってほしい健康な人は来ないことに気づく。そして病院で、ある子どもと出会い、転機を迎える。

「抗がん剤治療の副作用で髪が抜け落ちてしまった患者さんのお孫さんが、“おばあちゃん、気持ち悪い”って言ったんです。最初は“なんて思いやりのない子だ”と憤慨してしまったのですが、よく考えたら、この子はがんについて何も知らないから違和感を覚えるのは当然のこと。この子たちにがんのことを知ってもらうためにはどうしたらいいか。悩んだ末、“そうだ、学校に行って伝えよう!”と、ひらめいたのです」

 親が、子育てしながら、働きながらがんの闘病生活を送ることもめずらしくない今、子どもたちにがんをどう伝えたらいいのか。

 林先生ご自身、中学生のときに胃がんで父親を失っているが、亡くなる直前まで知らされていなかったという。そのため、不安やショック、悲しみを引きずった経験があるそうだ。

子どもへの教育でがん検診率もアップ

 思い立ったことをすぐに行動に移すタイプの林先生。さっそく教育委員会に出向き、学校の先生方に集まってもらった会で「がん教育」の必要性を熱く語ってみた。が、反応は薄かった……。

「学校での日々の教育や指導で多忙を極めるなか、これ以上、新しいことをやりたくないという本音があったんでしょう。そのときは本当に落ち込みましたね」

 しかし、あきらめかけた1か月後、ポツポツとがん教育をやりたいという手が挙がってきたのだ。元看護師だった養護教諭、子どもをがんで失っていた校長など、がんに関わる当事者たちであり、そのぶん、思い入れも強かった。子どもの発達段階に合わせて教材を手作りし、試行錯誤しながら授業を進めていった。

「子どもたちは真っ白なキャンパスのようで、教えられたことを信じ、すぐに実行します。教育はとても重要だと実感し、同時に大きな責任も感じました」

 林先生は、子どもたちについてもっと知りたいと思い、通信制の大学で教育学を学ぶようになった。

 診療の合間や休日を利用して教育実習をこなし、2014年に「特別支援学級自立教科教諭一種免許状」を、2017年1月に「中学校・高等学校保健科教諭一種免許状」を取得した。

「教員免許を取得することで、学校の先生方の対応もガラリと変わりましたね。円滑に、より充実した授業を行えるようになりました」

 こうした取り組みと同時に、文部科学省や厚生労働省も動き始め、今年度以降、全国の小学校、中学校、高等学校で、がん教育が一斉に展開される。

 しかし、多くの学校現場において、がん教育をどのように実施したらいいのか、いまだ手探りの状態だ。

 この本は、林先生がこれまで授業に使っていた手作りの教材をベースに、子どもだけでなく親はもちろん、がん教育を行う先生方、医療関係者にも役立つよう、1冊にまとめたものだ。

『子どもと一緒に知る「がん」になるってどんなこと?』(1400円+税/セブン&アイ出版)※記事中にある書影をクリックするとamazonの紹介ページにジャンプします

「本の中で、初期の乳がんにかかったお母さん、働きながら大腸がんと闘うお父さん、治らない肺がんを抱えて生きる選択をするおばあちゃんといった、実在する3人の患者さんの物語を紹介しました。どれも本当の話です。この物語を読むだけで、がんの知識から、がん患者さんが抱えるつらい気持ちや葛藤、がんについて知ってほしいことが伝わるよう工夫しました

 ちなみに、子どもたちにがん教育を実施した地域で、がんの検診率が上がったというデータがある。授業で「がんは早期発見、予防が大事」と聞いた子どもが親に伝えた結果だという。

「授業後、子どもたちは、“がんは死んでしまう病気でないことがわかった”“身近な人ががんになったら、支えられる人になりたい”など、素晴らしい感想を寄せてくれます。がん教育を通して、自分のいのちを大切にすることを学んだ子どもたちは、いずれは他人のいのちを思いやり、国の将来をも考えられる大人になってくれると信じています

取材・文/工藤玲子

<プロフィール>
はやし・かずひこ 1961年、東京都生まれ。東京女子医科大学の消化器外科、化学療法・緩和ケア科教授を経て、2014年よりがんセンター長に。「がん教育」にいち早く取り組み、教員免許(特別支援学校自立教科教諭一種免許状、中学校・高等学校保健科教諭一種免許状)も取得した。